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第28話
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ジャケットのボタンを外しながら移動する和彦に、揶揄するように賢吾が話しかけてくる。和彦は素っ気なく応じた。
「そんなひどいことは思わないが、否定はしない」
「ふむ。機嫌が悪そうだ」
「……あんなものを見せられて、機嫌がいいわけないだろう」
「総和会と縁がありながら、南郷の土下座を『あんなもの』呼ばわりできるのは、多分先生ぐらいのものだろうな」
いつもであれば、苦々しく感じながらも受け流せるのであろうが、事実今の和彦は機嫌が悪かった。ついカッとして、脱いだジャケットを賢吾に投げつける。
「手打ち式ってなんだ? まるでぼくが、ヤクザになったみたいだ。長嶺の男に大事にされている立場を利用して、大層な詫びを求めたと思われたはずだ」
「傲慢なオンナだと思われるのは嫌か?」
澄ました顔で賢吾に問われ、返事に詰まった和彦は、きつい眼差しを向ける。ささやかに持っているプライドや恥というものを嘲笑われた気がしたのだ。
「もう、いい……。今日は誰とも話したくない」
賢吾の足元に落ちたジャケットを拾い上げ、傍らを通り過ぎようとする。次の瞬間、腰に賢吾の片腕が回される。何事かと思ったときには和彦の体は浮き上がり、爪先が廊下から離れていた。
「おいっ……」
反射的に身を捩ろうとしたが、まるで荷物のように賢吾の肩に担ぎ上げられる。バランスを崩しかけて、咄嗟に賢吾の着ているワイシャツを握り締める。わけがわからないまま、もう一度身を捩ろうとして、賢吾に尻を叩かれた。
「おとなしくしてろ。落とすぞ」
「だったら下ろしてくれっ。一体なんのつもりだ」
賢吾の背を逆さまに見ているうちに頭に血がのぼり、さらに声を荒らげると、眩暈までしてくる。たまらず和彦は、広い背を拳で殴りつけたが、まったく堪えていないらしく、賢吾の足取りが乱れることはない。
寝室に入ってから、和彦の体はベッドに転がされる。すぐに起き上がって抗議をしようとしたが、素っ気なく賢吾に肩を押され、また仰向けで転がった。
「怒りを露わにしている先生は、艶やかだな。この世界の男たちの怒り方とは、まったく違う。女のヒステリーのようでもあるが、理性的であろうと努めている様子が健気で、ずっと眺めていたくなる」
そんなことを言いながら賢吾がのしかかってきて、真上から見下ろされる。和彦は必死に睨みつけていたが、賢吾に髪を撫でられただけでうろたえてしまい、頬を包み込むように触れられたときには、視線を逸らしていた。
「……どうしようもなく、悔しい」
ぽつりと和彦が洩らすと、賢吾が顔を寄せてくる。
「何が?」
「南郷さんにあんな形で土下座をされて、なぜだか屈辱的だった。こちらの意思なんて関係なく、謝罪を受け入れろと、脅迫されているように感じた。だけどぼくは、それを受け入れるしかなかった」
「自分のオンナに、そんな惨めな気持ちを味わわせたということは、俺にとっても屈辱的だ」
賢吾の言葉にハッとして、和彦は目を見開く。うかがうように見上げた先で、賢吾は遠いどこかを見つめるような眼差しをしていた。
「長嶺組組長のオンナに悪さをしたんなら、俺が南郷にカタをつけさせるのが、本来の流儀だ。だが先生は、総和会会長のオンナでもある。その総和会会長が、組織の調和のために、今回の問題を個人間の〈諍い〉にしたんなら、俺は口出しできない。――長嶺組長の力も男気もその程度かと、見下げるか?」
淡々とした賢吾の口調の下から、ゾクリとするような凄みを感じる。ごくわずかな関係者以外は、今回の件はあくまで南郷が和彦に対して、少々の無礼を働いた程度だと認識している。しかし、そのわずかな関係者の一人である賢吾としては、守光と南郷の対応で組織が円滑に動くとわかってはいても、思うところはあるだろう。
いや、そうであってほしいと、和彦が願ってしまう。
組のためという大義名分で、賢吾に割り切ってほしくないのだ。
数日前、電話で三田村が言っていた通りだ。和彦は、自分のことで感情的になる賢吾の姿を見たかった。そうすることで、自分の存在の重さを確認したかった。
「……そんなことは、しない。揉めないでほしいと頼んだのは、ぼく自身だ。何よりあんたには、組や組員を守る責任がある」
「聞き分けがよすぎると、後々えらいことになるぞ。それこそ、手前勝手な都合で男たちに振り回されて、ヤクザすべてを憎みたくなるかもしれない」
「これまでは、振り回してないと言うのか?」
虚をつかれたように目を丸くした賢吾だが、すぐに鋭い笑みを唇の端に刻む。惚れ惚れとするほど魅力的だが、寒気がするほど怖くもある笑みだった。
「そんなひどいことは思わないが、否定はしない」
「ふむ。機嫌が悪そうだ」
「……あんなものを見せられて、機嫌がいいわけないだろう」
「総和会と縁がありながら、南郷の土下座を『あんなもの』呼ばわりできるのは、多分先生ぐらいのものだろうな」
いつもであれば、苦々しく感じながらも受け流せるのであろうが、事実今の和彦は機嫌が悪かった。ついカッとして、脱いだジャケットを賢吾に投げつける。
「手打ち式ってなんだ? まるでぼくが、ヤクザになったみたいだ。長嶺の男に大事にされている立場を利用して、大層な詫びを求めたと思われたはずだ」
「傲慢なオンナだと思われるのは嫌か?」
澄ました顔で賢吾に問われ、返事に詰まった和彦は、きつい眼差しを向ける。ささやかに持っているプライドや恥というものを嘲笑われた気がしたのだ。
「もう、いい……。今日は誰とも話したくない」
賢吾の足元に落ちたジャケットを拾い上げ、傍らを通り過ぎようとする。次の瞬間、腰に賢吾の片腕が回される。何事かと思ったときには和彦の体は浮き上がり、爪先が廊下から離れていた。
「おいっ……」
反射的に身を捩ろうとしたが、まるで荷物のように賢吾の肩に担ぎ上げられる。バランスを崩しかけて、咄嗟に賢吾の着ているワイシャツを握り締める。わけがわからないまま、もう一度身を捩ろうとして、賢吾に尻を叩かれた。
「おとなしくしてろ。落とすぞ」
「だったら下ろしてくれっ。一体なんのつもりだ」
賢吾の背を逆さまに見ているうちに頭に血がのぼり、さらに声を荒らげると、眩暈までしてくる。たまらず和彦は、広い背を拳で殴りつけたが、まったく堪えていないらしく、賢吾の足取りが乱れることはない。
寝室に入ってから、和彦の体はベッドに転がされる。すぐに起き上がって抗議をしようとしたが、素っ気なく賢吾に肩を押され、また仰向けで転がった。
「怒りを露わにしている先生は、艶やかだな。この世界の男たちの怒り方とは、まったく違う。女のヒステリーのようでもあるが、理性的であろうと努めている様子が健気で、ずっと眺めていたくなる」
そんなことを言いながら賢吾がのしかかってきて、真上から見下ろされる。和彦は必死に睨みつけていたが、賢吾に髪を撫でられただけでうろたえてしまい、頬を包み込むように触れられたときには、視線を逸らしていた。
「……どうしようもなく、悔しい」
ぽつりと和彦が洩らすと、賢吾が顔を寄せてくる。
「何が?」
「南郷さんにあんな形で土下座をされて、なぜだか屈辱的だった。こちらの意思なんて関係なく、謝罪を受け入れろと、脅迫されているように感じた。だけどぼくは、それを受け入れるしかなかった」
「自分のオンナに、そんな惨めな気持ちを味わわせたということは、俺にとっても屈辱的だ」
賢吾の言葉にハッとして、和彦は目を見開く。うかがうように見上げた先で、賢吾は遠いどこかを見つめるような眼差しをしていた。
「長嶺組組長のオンナに悪さをしたんなら、俺が南郷にカタをつけさせるのが、本来の流儀だ。だが先生は、総和会会長のオンナでもある。その総和会会長が、組織の調和のために、今回の問題を個人間の〈諍い〉にしたんなら、俺は口出しできない。――長嶺組長の力も男気もその程度かと、見下げるか?」
淡々とした賢吾の口調の下から、ゾクリとするような凄みを感じる。ごくわずかな関係者以外は、今回の件はあくまで南郷が和彦に対して、少々の無礼を働いた程度だと認識している。しかし、そのわずかな関係者の一人である賢吾としては、守光と南郷の対応で組織が円滑に動くとわかってはいても、思うところはあるだろう。
いや、そうであってほしいと、和彦が願ってしまう。
組のためという大義名分で、賢吾に割り切ってほしくないのだ。
数日前、電話で三田村が言っていた通りだ。和彦は、自分のことで感情的になる賢吾の姿を見たかった。そうすることで、自分の存在の重さを確認したかった。
「……そんなことは、しない。揉めないでほしいと頼んだのは、ぼく自身だ。何よりあんたには、組や組員を守る責任がある」
「聞き分けがよすぎると、後々えらいことになるぞ。それこそ、手前勝手な都合で男たちに振り回されて、ヤクザすべてを憎みたくなるかもしれない」
「これまでは、振り回してないと言うのか?」
虚をつかれたように目を丸くした賢吾だが、すぐに鋭い笑みを唇の端に刻む。惚れ惚れとするほど魅力的だが、寒気がするほど怖くもある笑みだった。
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