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第29話
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背後から、揶揄するように声をかけられる。ビクリと身を竦めた和彦は振り返ることすらできなかったが、傍らに立たれると無視するわけにもいかない。ゆっくりと顔を上げると、目の前に大きな手が差し出された。
「怪我はしてないか、先生」
「……手が汚れてますから。一人で立てます」
和彦が立ち上がろうと身じろいだ瞬間、強い力で腕を掴まれ、無理やり引き立たされた。驚いた和彦は目を見開き、南郷の顔を真正面から見つめる。南郷が、ニヤリと笑った。
「ツンケンしたあんたが泥で汚れている姿は、実に加虐的なものを刺激される」
その発言に不穏なものを感じ、咄嗟に南郷の手を振り払おうとしたが、それ以上の力で引き寄せられる。後頭部に手がかかり、暴力性を秘めた南郷の目を間近で見てしまうと、それだけで和彦は息苦しくなる。
当然の権利のように南郷が唇を塞いできた。南郷の肩を押し退けようとして和彦は、自分の手が泥で汚れていることを思い出し、躊躇する。その一瞬の隙を、南郷は見逃さなかった。深い口づけで和彦を威圧してくる。
「んっ、うぅ……」
熱い舌が強引に口腔に押し込まれ、我がもの顔で蠢く。不快さに総毛立つが、口腔を隈なく舐め回された挙げ句に、舌を搦め捕られてきつく吸い上げられているうちに、身の内を這い回るある感覚に襲われる。
肉の疼きだった。
おかげで、昨夜南郷の手で感じさせられた事実を改めて直視することになり、それが耐え難い苦痛となる。
和彦は、不自然な形で止まっていた手をようやく動かし、南郷の肩を押し退ける。服を汚してしまうなどとためらっている場合ではなかった。
一度は南郷から体を離し、後退りながら周囲を見回す。道の真ん中でなんてことをと思ったのだが、和彦の恥じらいを南郷は嘲笑った。
「こんなところに、いまさら誰が来るっていうんだ。ぬかるんだ地面を見てわかっただろ。俺たち以外の新しい足跡がついてないことを。何をしようが、どんな声を上げようが、自由ってわけだ」
和彦は踵を返して駆け出そうとしたが、その動きを待っていたように南郷に背後から抱きかかえられ、引きずられる。そして、道の脇に建つ空き家の塀に押し付けられた。荒っぽい動作でTシャツをたくし上げられそうになり、和彦は南郷の手を拒もうとしたが、耳元で囁かれた言葉で動けなくなった。
「あんたは一度でも、こう考えなかったか? 長嶺組長は何もかも知ったうえで、あんたの身を総和会に――俺に預けたと」
和彦が顔を強張らせると、唇の端に笑みをちらりと浮かべた南郷が、言葉を続ける。
「長嶺組の男たちにとって、あんたは使い勝手のいい医者で、そのうえあんた自身の体は、具合がいい。だが、実家が難物だ。肉親の情ってものは厄介だが、あんたの実家はそういう類じゃなく、扱いが難しい。実社会での位置という意味で。これをヤクザは、天敵というんだ。なのに長嶺組長は、あんたを手元に置いている。手放し難い、大事で可愛いオンナということだ」
話しながらも南郷の手は動き続け、汗に濡れた肌を撫で回し、胸の突起を指先で弄ってくる。さらに、首筋をベロリと舐め上げられた。
「あんたを実家から守るため、さらには長嶺組の存在を知られないために、長嶺組長は総和会を利用することにした。あんたの身を、一時総和会に自由にさせることと引き換えに。――自由に、というのは、もちろんこういう行為も含めてだ」
ここで南郷に、顔を覗き込まれる。和彦は視線を逸らすことなく見つめ返した。自分でも意外なことだが、今南郷が言ったようなことを、和彦はまったく考えていなかった。そもそも、そんな余裕がなかったということもあるが、それ自体、ずいぶん間が抜けた話なのかもしれない。
この世界の男たちは、和彦を大事に扱ってくれはするものの、それぞれが狡猾さ悪辣さ、残酷さを持っている。賢吾に関しては、特にそんな気質を感じさせる。なのに――。
南郷は、嘲りなのか、感嘆なのか、短く息を吐き出した。
「……その顔だと、長嶺組長を信頼しているんだな。自分を、今のような生活に追い込んだ本人を」
硬く凝った胸の突起を強く抓られ、膝から崩れ込みそうになったが、南郷の体が密着してきて、思わず逞しい肩にすがりついていた。南郷のポロシャツは汗でぐっしょりと濡れており、体つきや体温がてのひらを通して生々しく伝わってくる。
「そういう……、綺麗な言葉じゃないんです。長嶺組長は、ぼくがこの世界から逃げ出さないために、他の男と関係を持たせた。情や利害でぼくを雁字搦めにして、繋ぎとめているんです。そこまでするあの人だけど――、あなたは違う」
「違う?」
「長嶺組長は、あなたは選ばない……はずです」
「あんたが俺を嫌っているからか」
「怪我はしてないか、先生」
「……手が汚れてますから。一人で立てます」
和彦が立ち上がろうと身じろいだ瞬間、強い力で腕を掴まれ、無理やり引き立たされた。驚いた和彦は目を見開き、南郷の顔を真正面から見つめる。南郷が、ニヤリと笑った。
「ツンケンしたあんたが泥で汚れている姿は、実に加虐的なものを刺激される」
その発言に不穏なものを感じ、咄嗟に南郷の手を振り払おうとしたが、それ以上の力で引き寄せられる。後頭部に手がかかり、暴力性を秘めた南郷の目を間近で見てしまうと、それだけで和彦は息苦しくなる。
当然の権利のように南郷が唇を塞いできた。南郷の肩を押し退けようとして和彦は、自分の手が泥で汚れていることを思い出し、躊躇する。その一瞬の隙を、南郷は見逃さなかった。深い口づけで和彦を威圧してくる。
「んっ、うぅ……」
熱い舌が強引に口腔に押し込まれ、我がもの顔で蠢く。不快さに総毛立つが、口腔を隈なく舐め回された挙げ句に、舌を搦め捕られてきつく吸い上げられているうちに、身の内を這い回るある感覚に襲われる。
肉の疼きだった。
おかげで、昨夜南郷の手で感じさせられた事実を改めて直視することになり、それが耐え難い苦痛となる。
和彦は、不自然な形で止まっていた手をようやく動かし、南郷の肩を押し退ける。服を汚してしまうなどとためらっている場合ではなかった。
一度は南郷から体を離し、後退りながら周囲を見回す。道の真ん中でなんてことをと思ったのだが、和彦の恥じらいを南郷は嘲笑った。
「こんなところに、いまさら誰が来るっていうんだ。ぬかるんだ地面を見てわかっただろ。俺たち以外の新しい足跡がついてないことを。何をしようが、どんな声を上げようが、自由ってわけだ」
和彦は踵を返して駆け出そうとしたが、その動きを待っていたように南郷に背後から抱きかかえられ、引きずられる。そして、道の脇に建つ空き家の塀に押し付けられた。荒っぽい動作でTシャツをたくし上げられそうになり、和彦は南郷の手を拒もうとしたが、耳元で囁かれた言葉で動けなくなった。
「あんたは一度でも、こう考えなかったか? 長嶺組長は何もかも知ったうえで、あんたの身を総和会に――俺に預けたと」
和彦が顔を強張らせると、唇の端に笑みをちらりと浮かべた南郷が、言葉を続ける。
「長嶺組の男たちにとって、あんたは使い勝手のいい医者で、そのうえあんた自身の体は、具合がいい。だが、実家が難物だ。肉親の情ってものは厄介だが、あんたの実家はそういう類じゃなく、扱いが難しい。実社会での位置という意味で。これをヤクザは、天敵というんだ。なのに長嶺組長は、あんたを手元に置いている。手放し難い、大事で可愛いオンナということだ」
話しながらも南郷の手は動き続け、汗に濡れた肌を撫で回し、胸の突起を指先で弄ってくる。さらに、首筋をベロリと舐め上げられた。
「あんたを実家から守るため、さらには長嶺組の存在を知られないために、長嶺組長は総和会を利用することにした。あんたの身を、一時総和会に自由にさせることと引き換えに。――自由に、というのは、もちろんこういう行為も含めてだ」
ここで南郷に、顔を覗き込まれる。和彦は視線を逸らすことなく見つめ返した。自分でも意外なことだが、今南郷が言ったようなことを、和彦はまったく考えていなかった。そもそも、そんな余裕がなかったということもあるが、それ自体、ずいぶん間が抜けた話なのかもしれない。
この世界の男たちは、和彦を大事に扱ってくれはするものの、それぞれが狡猾さ悪辣さ、残酷さを持っている。賢吾に関しては、特にそんな気質を感じさせる。なのに――。
南郷は、嘲りなのか、感嘆なのか、短く息を吐き出した。
「……その顔だと、長嶺組長を信頼しているんだな。自分を、今のような生活に追い込んだ本人を」
硬く凝った胸の突起を強く抓られ、膝から崩れ込みそうになったが、南郷の体が密着してきて、思わず逞しい肩にすがりついていた。南郷のポロシャツは汗でぐっしょりと濡れており、体つきや体温がてのひらを通して生々しく伝わってくる。
「そういう……、綺麗な言葉じゃないんです。長嶺組長は、ぼくがこの世界から逃げ出さないために、他の男と関係を持たせた。情や利害でぼくを雁字搦めにして、繋ぎとめているんです。そこまでするあの人だけど――、あなたは違う」
「違う?」
「長嶺組長は、あなたは選ばない……はずです」
「あんたが俺を嫌っているからか」
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