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第29話
(22)
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「あんたを、長嶺の本宅に直接送り届けなかったのには、それなりの理由がある。わしに――総和会会長に対して、報告の義務を果たしてほしかったからだ。あんたと佐伯家の人間を接触させることに、多少なりと危険を冒したつもりだ。わしも、賢吾も」
長嶺の男は、甘くはない。
和彦は、賢吾の表情をちらりとうかがう。守光の言葉に異を唱えなかったということは、賢吾も同じ意見なのだろう。ここが総和会の本部である以上、会長である守光を立てなければならないということもあるだろうが、賢吾もまた、長嶺組組長として組織を背負っている責任がある。
和彦が頷くと、賢吾に促されてイスに腰掛ける。正面に、賢吾と守光が並んで座ったが、荒々しさを感じさせない顔立ちと物腰の二人から、圧倒されるほどの凄みを放たれ、和彦は息を呑みつつも、改めて実感していた。
背負い、身の内に飼っている生き物は違えど、この二人は血が繋がった父子で、同じ世界に生きる極道なのだと。
和彦の緊張を感じ取ったのだろう。賢吾がわずかに唇を緩めた。
「そう、硬くなるな、先生。いつも俺に世間話をしているように、自分の兄貴と何を話したか、教えてくれればいい。何を聞かされても、少なくとも今は、佐伯家にちょっかいを出す気はねーからな」
「……今は?」
「長嶺の男から、先生を取り上げようとするなら、こっちにも考えがあるということだ」
本当に話していいのだろうかと、急に不安に駆られたが、男たちが何を考え、もしくは企んでいるのか、和彦に読みきることは不可能だ。口を噤んでいることも。
英俊の怜悧な眼差しを思い浮かべ、覚悟を決めた。放っておいてほしいというこちらの気持ちを無視しようとするのなら、ささやかに牙を剥く権利を与えられても許されるだろうと、誰に対してかそう言い訳をしながら、和彦は口を開く。
英俊から聞かされた内容そのものには、特に驚かされるものがあるわけではない。鷹津が得てきた情報が確かなものであったと裏づけが取れたようなものだ。重要なのは、佐伯家が和彦を必要としていると、英俊の口から告げられたことだ。
「ぼくの後ろに誰かがいると、感づいているようだった。だけど――……」
「それがヤクザだとまでは、さすがに気づいていない様子だったか?」
「少なくとも、兄さんは。父さんは……どうだろう」
そう答えながら和彦は、守光に目を向ける。守光と、和彦の父親である俊哉は、昔とはいえ面識があると聞いている。長年官僚の世界で、野心的に、そして精力的に生きてきた者特有の勘と知識で、俊哉は何か嗅ぎ取っているかもしれない。
守光と俊哉は、生きる世界は違うが、共通する鋭さを持っていた。その鋭さは、人が隠そうとするものすら見通してしまいそうなのだ。
守光は、賢吾を一瞥してから、皮肉っぽく唇の端を動かした。
「お前が余計なことをしたせいで、先生を苦しい状況に追い込んだな」
賢吾は心外だと言わんばかりに反論する。
「佐伯家の反応を知るために、必要だった。あの、お高くとまった家が、先生をいないものとして扱っているのなら、先生には悪いが、こちらとしては都合がよかった。むしろ予想外だったのは、どこかの〈大物〉の反応だ」
「さすがのお前でも、読み違えることはあるという、いい教訓だな」
守光が薄い笑みを浮かべたのとは対照的に、賢吾が忌々しげに唇を歪める。和彦は、いつ険悪な雰囲気になるかと気が気でないのだが、当人たちは、寸前のやり取りなど忘れたように、何事もなかった顔で和彦を見つめてくる。
和彦には馴染みがないが、父子とは、遠慮がない分、加減もわかっているからこそ、こういう会話も交わせるのだろうかと、少し不思議な気持ちになる。
もちろん長嶺父子が、世間の一般的な父子の枠に当てはまるとは、まったく考えていないが。
「……自分の気持ちは伝えてはみたけど、当然のように兄さんは――、ぼくの実家は聞き入れる気はないと思う。いままで以上に、執拗にぼくと接触しようとしてくるかもしれない」
「それは怖いな」
言葉とは裏腹に、賢吾は笑っていた。しかも、穏やかに。自分の言葉が軽く受け止められたのだと思い、和彦はムキになってさらに続けた。
「余裕たっぷりに笑っているけど、ぼくの身はともかく、組が目をつけられたら、どうするんだっ。きっと面倒なことになる。それに、あんたや千尋、組員たちに迷惑をかけることにも――」
「心配してくれるんだな」
さらりと賢吾に言われ、和彦は咄嗟に反応できなかった。自分の胸の内でどんな感情が湧き起こったのか把握しかねているうちに、顔が熱くなってくる。並んで座っている長嶺の男二人の顔が見られなくて、テーブルに視線を落としていた。
「そんな、つもりは……」
長嶺の男は、甘くはない。
和彦は、賢吾の表情をちらりとうかがう。守光の言葉に異を唱えなかったということは、賢吾も同じ意見なのだろう。ここが総和会の本部である以上、会長である守光を立てなければならないということもあるだろうが、賢吾もまた、長嶺組組長として組織を背負っている責任がある。
和彦が頷くと、賢吾に促されてイスに腰掛ける。正面に、賢吾と守光が並んで座ったが、荒々しさを感じさせない顔立ちと物腰の二人から、圧倒されるほどの凄みを放たれ、和彦は息を呑みつつも、改めて実感していた。
背負い、身の内に飼っている生き物は違えど、この二人は血が繋がった父子で、同じ世界に生きる極道なのだと。
和彦の緊張を感じ取ったのだろう。賢吾がわずかに唇を緩めた。
「そう、硬くなるな、先生。いつも俺に世間話をしているように、自分の兄貴と何を話したか、教えてくれればいい。何を聞かされても、少なくとも今は、佐伯家にちょっかいを出す気はねーからな」
「……今は?」
「長嶺の男から、先生を取り上げようとするなら、こっちにも考えがあるということだ」
本当に話していいのだろうかと、急に不安に駆られたが、男たちが何を考え、もしくは企んでいるのか、和彦に読みきることは不可能だ。口を噤んでいることも。
英俊の怜悧な眼差しを思い浮かべ、覚悟を決めた。放っておいてほしいというこちらの気持ちを無視しようとするのなら、ささやかに牙を剥く権利を与えられても許されるだろうと、誰に対してかそう言い訳をしながら、和彦は口を開く。
英俊から聞かされた内容そのものには、特に驚かされるものがあるわけではない。鷹津が得てきた情報が確かなものであったと裏づけが取れたようなものだ。重要なのは、佐伯家が和彦を必要としていると、英俊の口から告げられたことだ。
「ぼくの後ろに誰かがいると、感づいているようだった。だけど――……」
「それがヤクザだとまでは、さすがに気づいていない様子だったか?」
「少なくとも、兄さんは。父さんは……どうだろう」
そう答えながら和彦は、守光に目を向ける。守光と、和彦の父親である俊哉は、昔とはいえ面識があると聞いている。長年官僚の世界で、野心的に、そして精力的に生きてきた者特有の勘と知識で、俊哉は何か嗅ぎ取っているかもしれない。
守光と俊哉は、生きる世界は違うが、共通する鋭さを持っていた。その鋭さは、人が隠そうとするものすら見通してしまいそうなのだ。
守光は、賢吾を一瞥してから、皮肉っぽく唇の端を動かした。
「お前が余計なことをしたせいで、先生を苦しい状況に追い込んだな」
賢吾は心外だと言わんばかりに反論する。
「佐伯家の反応を知るために、必要だった。あの、お高くとまった家が、先生をいないものとして扱っているのなら、先生には悪いが、こちらとしては都合がよかった。むしろ予想外だったのは、どこかの〈大物〉の反応だ」
「さすがのお前でも、読み違えることはあるという、いい教訓だな」
守光が薄い笑みを浮かべたのとは対照的に、賢吾が忌々しげに唇を歪める。和彦は、いつ険悪な雰囲気になるかと気が気でないのだが、当人たちは、寸前のやり取りなど忘れたように、何事もなかった顔で和彦を見つめてくる。
和彦には馴染みがないが、父子とは、遠慮がない分、加減もわかっているからこそ、こういう会話も交わせるのだろうかと、少し不思議な気持ちになる。
もちろん長嶺父子が、世間の一般的な父子の枠に当てはまるとは、まったく考えていないが。
「……自分の気持ちは伝えてはみたけど、当然のように兄さんは――、ぼくの実家は聞き入れる気はないと思う。いままで以上に、執拗にぼくと接触しようとしてくるかもしれない」
「それは怖いな」
言葉とは裏腹に、賢吾は笑っていた。しかも、穏やかに。自分の言葉が軽く受け止められたのだと思い、和彦はムキになってさらに続けた。
「余裕たっぷりに笑っているけど、ぼくの身はともかく、組が目をつけられたら、どうするんだっ。きっと面倒なことになる。それに、あんたや千尋、組員たちに迷惑をかけることにも――」
「心配してくれるんだな」
さらりと賢吾に言われ、和彦は咄嗟に反応できなかった。自分の胸の内でどんな感情が湧き起こったのか把握しかねているうちに、顔が熱くなってくる。並んで座っている長嶺の男二人の顔が見られなくて、テーブルに視線を落としていた。
「そんな、つもりは……」
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