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第29話
(24)
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賢吾が立ち上がろうとしたが、次の守光の発言で動きを止めた。もちろん、和彦も。
「――総和会会長の権限で、先生をここで預かりたいと考えている」
「権限、か」
発せられた賢吾の声は、静かではあったが、ゾッとするほど冷たかった。守光もまた、同じような声で応じた。
「わしにとって、総和会も長嶺組も、同じぐらい大事だ。そのどちらも守るために最大限の努力と警戒をしなければならん」
「ここに置いて、先生の身が安全だと言い切れるのか?」
賢吾の問いかけで、和彦の脳裏を過ぎったのは、南郷の顔だった。反射的に和彦は立ち上がり、長嶺の姓を持つ男二人は、わずかに目を丸くする。頭で考えるより先に、口が動いていた。
「……ぼくが、総和会と長嶺組から距離を置きます。この世界の組織とはそういうものだとわかってはいますが、父子間で『権限』なんて単語を使われると、側で聞いているぼくが、心苦しいです。組織同士で難しい事態になるというなら、原因となっているぼくが、長嶺の人間と無関係になってしまえば――」
「面倒くさい長嶺の男たちなんて、いらねーか?」
軽い口調で賢吾に言われ、和彦はつい睨みつけてしまう。ムキになって言い返していた。
「そんなことは言ってないっ。ただ――……」
さらに言い募ろうとしたところで、守光が片手をあげて制する。そして、子の成果を誇る親のような顔で、賢吾を見た。
「わしとお前が争う姿は見たくないそうだ。父子関係で個人的に思うことがあるのかもしれんが、わしがこの先生を気に入っているのは、この性質だ。この先生は、長嶺の男たちを繋ぎ、総和会と長嶺組を繋ぐ。それに、お前の執着心の結果として、さまざまな男たちを繋ぐ。使える男たちを」
「――……俺以外の男に言われると、けっこうムカつくもんだな」
「狭量な男は嫌われるぞ」
賢吾が苦虫を噛み潰したような顔をする。和彦としては、二人が険悪な雰囲気にならなかったことに素直に安堵すべきなのか、戸惑わずにはいられない。所在なく立ち尽くしていると、守光に促され、ぎこちなくイスに座り直す。
「まあ、先生に悲壮な顔をさせるのは、本意ではない。少々厳しいことを言ってみたが、今のところ差し迫った危機はないだろう」
「意地の悪いジジイだ……」
賢吾の洩らした言葉に、和彦のほうがハラハラするが、当の守光は穏やかに笑っている。この父子が保っている関係のバランスは、他人である和彦には本当に難解だ。
「では、ジジイのささやかなわがままとして、今夜は二人でここに泊まってくれ。お前としても、総和会会長と長嶺組長がケンカ別れしたと噂されるより、久しぶりに父子が一晩語り合ったようだと思われるほうが、煩わしくなくていいんじゃないか」
「……どうあっても、自分のわがままは通す気だな」
「お前とよく似ているだろう?」
澄ました顔で応じた守光に、賢吾が何も言えなかったことで、一応の結論は出たようだ。賢吾が目配せしてきたので、和彦は小さく頷いた。
守光と賢吾の晩酌は、非常に和やかなものだった。和彦も少しつき合ったのだが、二人が笑い合って話している姿が新鮮で、同時に、羨ましくもあった。
組織という利害が絡むときは遠慮なく互いの意見をぶつけていながら、こうも簡単に空気を切り替えられるものかと感心すらしたが、やはり父子として、組織を背負う者として、積み重ねてきたものがあるからこそ可能なことなのかもしれない。
二人に倣って日本酒を口にしていた和彦だが、疲れと緊張のせいもあり、すぐに酔いが回ってくる。守光の勧めもあって、先に席を立つと、シャワーを浴びて汗を洗い流し、客間に入る。すでに床が延べてあった。
布団の傍らに座り込んだ和彦は、ほっと息を吐き出す。この三日間、本当にいろいろあったと、改めて噛み締めていた。いろいろありすぎて、現実感が伴っていない部分もある。もしかすると、目を背けていたいという気持ちの現れかもしれない。
隠れ家に南郷が来たことを、賢吾に黙っているわけにはいかない。何をされたかも。
沈鬱な気分に陥りかけた和彦だが、だからこそ、ここで嫌なことに思い至った。もしかすると賢吾は、何もかも承知していたのではないか、ということだ。
『あんたを実家から守るため、さらには長嶺組の存在を知られないために、長嶺組長は総和会を利用することにした。あんたの身を、一時総和会に自由にさせることと引き換えに。――自由に、というのは、もちろんこういう行為も含めてだ』
南郷から言われた言葉が、脳裏を過ぎる。なんとなくだが南郷から、言葉による毒を注ぎ込まれたようだった。南郷の前では否定して見せたが、今になってじわじわと効き始め、和彦の中に猜疑心を生み出そうとしている。
「――総和会会長の権限で、先生をここで預かりたいと考えている」
「権限、か」
発せられた賢吾の声は、静かではあったが、ゾッとするほど冷たかった。守光もまた、同じような声で応じた。
「わしにとって、総和会も長嶺組も、同じぐらい大事だ。そのどちらも守るために最大限の努力と警戒をしなければならん」
「ここに置いて、先生の身が安全だと言い切れるのか?」
賢吾の問いかけで、和彦の脳裏を過ぎったのは、南郷の顔だった。反射的に和彦は立ち上がり、長嶺の姓を持つ男二人は、わずかに目を丸くする。頭で考えるより先に、口が動いていた。
「……ぼくが、総和会と長嶺組から距離を置きます。この世界の組織とはそういうものだとわかってはいますが、父子間で『権限』なんて単語を使われると、側で聞いているぼくが、心苦しいです。組織同士で難しい事態になるというなら、原因となっているぼくが、長嶺の人間と無関係になってしまえば――」
「面倒くさい長嶺の男たちなんて、いらねーか?」
軽い口調で賢吾に言われ、和彦はつい睨みつけてしまう。ムキになって言い返していた。
「そんなことは言ってないっ。ただ――……」
さらに言い募ろうとしたところで、守光が片手をあげて制する。そして、子の成果を誇る親のような顔で、賢吾を見た。
「わしとお前が争う姿は見たくないそうだ。父子関係で個人的に思うことがあるのかもしれんが、わしがこの先生を気に入っているのは、この性質だ。この先生は、長嶺の男たちを繋ぎ、総和会と長嶺組を繋ぐ。それに、お前の執着心の結果として、さまざまな男たちを繋ぐ。使える男たちを」
「――……俺以外の男に言われると、けっこうムカつくもんだな」
「狭量な男は嫌われるぞ」
賢吾が苦虫を噛み潰したような顔をする。和彦としては、二人が険悪な雰囲気にならなかったことに素直に安堵すべきなのか、戸惑わずにはいられない。所在なく立ち尽くしていると、守光に促され、ぎこちなくイスに座り直す。
「まあ、先生に悲壮な顔をさせるのは、本意ではない。少々厳しいことを言ってみたが、今のところ差し迫った危機はないだろう」
「意地の悪いジジイだ……」
賢吾の洩らした言葉に、和彦のほうがハラハラするが、当の守光は穏やかに笑っている。この父子が保っている関係のバランスは、他人である和彦には本当に難解だ。
「では、ジジイのささやかなわがままとして、今夜は二人でここに泊まってくれ。お前としても、総和会会長と長嶺組長がケンカ別れしたと噂されるより、久しぶりに父子が一晩語り合ったようだと思われるほうが、煩わしくなくていいんじゃないか」
「……どうあっても、自分のわがままは通す気だな」
「お前とよく似ているだろう?」
澄ました顔で応じた守光に、賢吾が何も言えなかったことで、一応の結論は出たようだ。賢吾が目配せしてきたので、和彦は小さく頷いた。
守光と賢吾の晩酌は、非常に和やかなものだった。和彦も少しつき合ったのだが、二人が笑い合って話している姿が新鮮で、同時に、羨ましくもあった。
組織という利害が絡むときは遠慮なく互いの意見をぶつけていながら、こうも簡単に空気を切り替えられるものかと感心すらしたが、やはり父子として、組織を背負う者として、積み重ねてきたものがあるからこそ可能なことなのかもしれない。
二人に倣って日本酒を口にしていた和彦だが、疲れと緊張のせいもあり、すぐに酔いが回ってくる。守光の勧めもあって、先に席を立つと、シャワーを浴びて汗を洗い流し、客間に入る。すでに床が延べてあった。
布団の傍らに座り込んだ和彦は、ほっと息を吐き出す。この三日間、本当にいろいろあったと、改めて噛み締めていた。いろいろありすぎて、現実感が伴っていない部分もある。もしかすると、目を背けていたいという気持ちの現れかもしれない。
隠れ家に南郷が来たことを、賢吾に黙っているわけにはいかない。何をされたかも。
沈鬱な気分に陥りかけた和彦だが、だからこそ、ここで嫌なことに思い至った。もしかすると賢吾は、何もかも承知していたのではないか、ということだ。
『あんたを実家から守るため、さらには長嶺組の存在を知られないために、長嶺組長は総和会を利用することにした。あんたの身を、一時総和会に自由にさせることと引き換えに。――自由に、というのは、もちろんこういう行為も含めてだ』
南郷から言われた言葉が、脳裏を過ぎる。なんとなくだが南郷から、言葉による毒を注ぎ込まれたようだった。南郷の前では否定して見せたが、今になってじわじわと効き始め、和彦の中に猜疑心を生み出そうとしている。
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