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第31話
(16)
しおりを挟む異常に精神が高揚していた。
患者への施術を行ったあと和彦は、手を洗いながら、正面の鏡に映る自分の姿をじっと見据える。
満足に眠れず、肉体的にも精神的にも疲弊しているはずなのに、なぜだか疲労感が訪れないのだ。そのことになんら疑問を感じていなかったが、何げなく鏡を見てやっと、今の自分はおかしいのだと気づいた。
自分ではそう思ったことはないが、周囲の男たちからさんざん優しげだと評される顔立ちは、今は様相が違う。やけに目つきが険しくなり、強い光を宿している。目の下にうっすらと隈が出来ているせいか、荒んで、どこかキツイ顔つきとなっていた。
緊張と興奮と苛立ちと、どうやっても消せない欲情の残り火が、体の内から和彦を燃え上がらせ、神経を高ぶらせ続けているのだろう。
まるで自分の顔ではないようだと思いながら、午前中の予約がすべて終わったこともあり、ついでなので勢いよく顔を洗った。
濡れた前髪を掻き上げて、午後の予約を確認する。午前中が忙しかった分、午後は余裕のある状況となっており、少し考えて和彦は、昼休みの電話番として残っているスタッフにこう告げた。
「調子が悪いから、午後の予約の時間まで、仮眠室で横になるよ。誰から電話がこようが、起こさないでくれ」
スタッフは何か言いかけたが、和彦の顔つきの険しさに察するものがあったのか、頷いた。
仮眠室に入って鍵をかけた和彦は、すぐにネクタイを解き、ワイシャツのボタンも上から二つほど外す。横になろうとして、エアコンをつけてからブラインドを下ろした。
倒れ込むようにベッドに横になると、あっという間に眠気が押し寄せてくる。意識がなくなる前に、目覚ましのタイマーをセットしておいた。
すぐに眠れると思ったが、こんなときに限って、やけに自分の息遣いが気になった。普段より速く、荒い息遣い。まるで、快感に浸っている最中の、切迫したときのような――。
目を閉じたその瞬間に、昨夜、南郷に嬲られた光景が、体に刻みつけられた感覚とともに一気に蘇った。もちろん、和彦自身の痴態も。
総和会本部では、和彦の扱いはいつでも丁寧だ。最初はあくまで、長嶺組で囲われているオンナとしてのものだっただろうが、守光のオンナになり、南郷に詫びを入れさせたことなども重なった。その結果が、今の扱いだ。
ただ和彦自身は、自分が巨大な組織でどういう存在にあるのか、いまだに理解はしていない。賢吾や守光の付属品――オンナとしての扱いなら、それはそれでいい。むしろ困るのは、佐伯和彦という個人として尊重され、丁寧に扱われることだった。
こういう状況にあっても、総和会に取り込まれたくないと、心のどこかで抵抗感があるのだ。
「二階と三階は、先生が立ち入ることはあまりないでしょう。ご覧になりたいとおっしゃるなら、ご案内しますが」
三階で一旦エレベーターの扉を開けた吾川が、こちらを見る。和彦は困惑しつつ、エレベーターの外の様子に控えめに視線を向ける。
守光の居住スペースがある四階はまだ、多数の人間が宿泊できる研修施設だったというだけあって、ラウンジからしてホテルのような雰囲気も残しているのだが、三階はまさに会社のオフィスだった。
エレベーターホール自体は狭いと言えるが、そのスペースを囲む透明な仕切りの向こうは、整然とデスクが並んでいる。パソコンに向かっているスーツ姿の男たちの姿もあり、この場面だけ切り取ってみれば、自分は一体どこに足を踏み込んでしまったのかと、混乱しそうだ。
「間仕切りで、階全体を見渡せないようにしていますが、総本部で活動している委員会の連絡所があったり、それぞれの組や隊の詰め所もあります。二階も似たような感じですが、来客を出迎えるために、こういう表現も妙ですが、少し開放的な造りになっています。この建物はもとは研修施設だったので、普通の会社として捉えると混乱するでしょう。四階の雰囲気はホテルのようですからね。今日は案内をしていませんが、食堂や風呂もあります。が、これらを先生が利用することはないでしょう」
「ない、ですか……」
「ないですね。先生は特別な方ですから、すべて四階でおもてなしさせていただきます」
はっきりと言い切られ、和彦は曖昧な表情を浮かべるしかできない。
今日は、検査入院を終えた守光が、体調に問題がなければ本部に戻ってくる日だ。クリニックでの仕事を終え、本部に〈立ち寄った〉和彦だが、その守光の姿はまだなかった。
吾川なりに気をつかってくれたのか、本部内を案内すると申し出てくれ、和彦はそれを受け入れた。本部に興味があるからというより、主のいない住居で一人で過ごす居たたまれなさを、少しでも和らげるためだ。
「二階は午後から慌しくなり、夜も人の出入りは頻繁です。仕事でお疲れの先生にとっては、気忙しい思いはしたくないでしょうから、次は地下へご案内します」
吾川の言葉に頷くと、ようやくエレベーターの扉が閉まる。和彦はさりげなく、斜め前に立つ吾川を観察する。
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