血と束縛と

北川とも

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第32話

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 シートに座り直し、再び外の景色に目を向ける。外はまだ明るく、日没までの時間を考えると、このまま帰宅するのは惜しい気がした。ここのところ一切寄り道をせず、おとなしく総和会本部に戻っていたのだが、今日は運転手が中嶋ということもあり、思いきって切り出してみた。
「帰りに寄りたいところがあるんだけど、いいかな?」
「どこでもおつき合いします」
「だったら、書店に……」
「ついでに、外で夕飯も済ませませんか」
 意外な申し出に和彦は目を丸くする。決まり事というわけではないが、総和会本部に滞在するようになってから、夕食は守光の住居で規則正しく済ませるようになっていた。多忙な守光は同席しないことのほうが多いが、その代わり、吾川が食事の相手を務めてくれるのだ。
「……連絡を入れておかないと――」
「大丈夫です。本部から言われたんですよ。今晩は、先生と外でゆっくり過ごしてこいと。そろそろ先生の息抜きが必要だと判断したのかもしれませんね」
「ああ、だから君なのか」
「そういうことです」
 許可が出ているなら、気が楽だ。和彦は久しぶりに晴れやかな笑顔を浮かべ、どこで食事をするか、さっそく中嶋と相談を始めた。


 総和会本部の建物が見えてきても、和彦は上機嫌だった。書店で欲しい本を購入できたし、中嶋の勧めで入ったイタリアンレストランの料理も美味しかった。一杯だけグラスワインを飲んだが、指先までアルコールが行き渡ったようだ。
 何日ぶりかに味わった夜の街の空気が、気分を高揚させてくれる。熱帯夜であったとしても、まとわりつくようなむし暑さすら、気持ちよく感じたぐらいだ。
 感じる解放感が強ければ強いほど、自覚する。守光の庇護下で遠慮がちに過ごすことに、自分は窒息しかけていたのだと。
 無意識のうちにため息をこぼしていたらしく、中嶋が声をかけてきた。
「疲れましたか、先生」
「あっ、いや……。せっかくの夜遊びだったのに、もっと気楽に楽しみたかったなと思ったんだ」
「夜遊びといっても、まだ宵の口ですよ。先生が本部に滞在中の身でなければ、もっと連れ回したんですけど。さすがに今夜は、事情がありますから」
 一体なんのことかと首を傾げた和彦は、何げなく前方を見て、目を丸くする。総和会本部の建物の前に大勢のスーツ姿の男たちが立っており、門から次々に出てくる車を誘導して見送っている。
 朝、和彦が出勤するときは、相変わらず息を潜めたような静けさだったが、夜になって様子が変わっていた。
「あれ……」
 思わず声を洩らすと、こちらが言おうとしたことを察したように中嶋が説明する。
「今日は午後から、本部で緊急会合が開かれたんです。普段以上に物々しい雰囲気になるので、本部のほうが先生に気をつかったんだと思います。会合が終了する時間まで、先生に外にいてもらうというのは」
「ああ……。だから食事に誘ってくれたのか」
 最初に教えてくれればいいのに、という心の声が洩れていたのか、前を向いたまま中嶋は肩を竦める。
「先生がリラックスした様子だったので、総和会の事情を話すのが、なんだか忍びなくて」
「怒ってるわけじゃないんだ。息抜きできて楽しかったし。……別に、本部での生活が嫌だというわけじゃないからな。君らはなんでもすぐに南郷さんに報告するから、迂闊なことが言えない。あっ、これも――」
「言いませんよ。南郷さんには、先生は楽しんでましたとだけ報告しておきます」
「……やっぱり報告するんじゃないか」
 恨みがましい口調でぼそりと呟いてみたが、中嶋の耳には届かなかったようだ。車は門を潜り、駐車場で停まる。総和会の流儀にのっとり、中嶋に後部座席のドアを開けてもらい、和彦はアタッシェケースと紙袋を持って車を降りた。
「君も本部に寄るのか?」
 和彦の問いかけに、中嶋は芝居がかった仕種で首を横に振る。
「俺の仕事は、先生を無事にここまで送り届けることです。――それでなくても、下っ端がうろつける場所じゃないですから」
 苦笑いしつつ中嶋が視線を向けた先には、建物から出てきた吾川の姿があった。ここで和彦のお守は、中嶋から吾川に引き継がれる。
 中嶋に見送られながら、吾川に伴われて裏口から建物に入る。
「中嶋くんから聞きましたが、今日は会合があったそうですね」
 エレベーターに乗り込んでから和彦が切り出すと、吾川は頷く。
「会長からの指示です。先生が気にされることがないようにと、あえてお知らせしませんでした」
「気をつかっていただいて、ありがとうございます。おかげで……という言い方も変ですが、外でのん気にアルコールまで飲んでしまって」

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