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第32話
(3)
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「先生には、この建物の中でも寛いで過ごしていただくことが、我々の望みです。言っていただければ、部屋にお好みのアルコールをご用意いたします」
十分よくしてもらっていますと、モゴモゴと口ごもりながら応じた和彦は、エレベーターが四階に着いてほっとする。
ラウンジには、会合から流れてきたのか、数人の男たちの姿があった。コーヒーを飲みながら談笑しているという様子ではなく、真剣な顔で何か話し合っていたようだ。和彦と吾川がエレベーターから降りると、ソファに腰掛けたまま、こちらに会釈を寄越した。和彦も頭を下げて返し、なんとなく吾川に視線を向ける。
「幹部会の方々です。これから別室で、集まりがあるそうです」
だとしたら、守光も顔を出すのだろうかと考えていると、吾川が玄関のドアを開ける。大きな靴が一足並んでいるのを見て、反射的に和彦は顔を強張らせる。南郷だけが中にいるのではないかと思ったのだ。
足が竦みそうになったが、吾川に促されて玄関に入ると、背後でドアが閉まる。吾川は、一緒に玄関には入らなかった。立ち尽くしているわけにもいかず、おそるおそる部屋に上がった和彦は、ダイニングを覗く。一気に体の力が抜けた。
「来てたのか……」
安堵を声に滲ませて呟くと、イスに腰掛けていた賢吾がゆったりとした動作で立ち上がる。昨年の夏場もよく着ていた長袖の濃いグレーのワイシャツ姿だが、一人で寛いでいたらしく、ネクタイを緩め、ワイシャツのボタンも上から二つほど外している。
目の前にやってきた賢吾が両腕を軽く広げたので、意図を察した和彦は、アタッシェケースと紙袋を足元に置いてから、体を寄せた。両腕できつく抱き締められ、心地よさに吐息が洩れる。
「こっちは、先生の帰りを今か今かと待っていたのに、夜遊びか?」
冗談っぽく耳元で囁かれ、和彦は慌てて弁明する。
「帰ってくるまで、ここで会合があったなんて、知らなかったんだ。中嶋くんが迎えにきてくれたから、息抜きにつき合ってもらった。……だいたい、ぼくの帰りを待つぐらいなら、早く帰ってこいと携帯に連絡を入れたらよかっただろ」
「男心がわかってないな、先生」
「……ぼくも男だが……」
「よく知ってる」
そう言って賢吾の大きな手に尻を揉まれる。和彦は慌てて体を離そうとしたが、後ろ髪を掴まれて顔を仰向かされ、大蛇の潜む両目に覗き込まれると、甘い毒を注ぎ込まれたように動けなくなっていた。
ゆっくりと唇が重なってきて、喉の奥から声を洩らす。味わうようにじっくりと上唇と下唇を交互に吸われてから、歯列に舌先が擦りつけられる。ゾクゾクするような疼きが生まれ、和彦はその場に座り込みそうになったが、腰に回された賢吾の力強い腕がそれを許してくれない。
舌先を触れ合わせたところで、和彦は強い情欲に呑み込まれる。貪り合うように互いの唇と舌を吸い、唾液すらも啜る。馴染んだ男の味に、心底安堵していた。夢中で絡め合っていた舌を一旦解いたところで和彦は、賢吾の頬をてのひらで撫でる。
「まだ、ここにいて大丈夫なのか……?」
「息子が、父親の家に遊びに来たんだぜ。何を気にする必要がある」
「……そう単純でもないくせに」
「だったら言い直そうか? 父親に取り上げられたままのオンナの様子を見に来たと」
賢吾の声がわずかに怖い響きを帯びる。怯えた和彦が控えめに見つめると、賢吾は機嫌を取るようにこめかみに唇を押し当ててきた。
「すまねーな。先生に面倒を押しつけて。電話でも話したが、俺は自分のオンナを――」
「聞きたくない。……別にあんたを責めるつもりもないし、怒ってもいない。長嶺の男と関わるということは、こういうことだと思ってる」
和彦は自分から賢吾に頬ずりすると、唇をそっと吸ってやる。そんな和彦の目を間近から覗き込んできた賢吾は、苦々しげに呟いた。
「さらに、男の扱いが上手くなったか?」
「長嶺の男限定で、そうかもな」
思いがけず賢吾と会えたことで気分が高揚し、つい和彦は冗談めいたことを口にしていた。なんともいえない顔をした賢吾の反応がおもしろくて、クスクスと声を洩らして笑ってしまう。そんな和彦の髪を撫でていた賢吾だが、ふっと両目に険しさが宿ったかと思うと、乱暴に腕を掴んできた。
「先生の顔を見ておとなしく帰ろうかと思っていたが、気が変わった」
「えっ」
賢吾に引きずられるようにして連れ込まれたのは、和彦が使っている客間だった。電気をつけた賢吾に足元を払われて畳の上に倒れ込む。和彦は目を丸くしたまま、覆い被さってきた賢吾を見上げる。
「今から、ここで……?」
「嫌とは言わせない。俺のオンナなら、俺が求めたら、どこでだろうが受け入れろ」
「でも、会長が戻ってくるんじゃ――」
十分よくしてもらっていますと、モゴモゴと口ごもりながら応じた和彦は、エレベーターが四階に着いてほっとする。
ラウンジには、会合から流れてきたのか、数人の男たちの姿があった。コーヒーを飲みながら談笑しているという様子ではなく、真剣な顔で何か話し合っていたようだ。和彦と吾川がエレベーターから降りると、ソファに腰掛けたまま、こちらに会釈を寄越した。和彦も頭を下げて返し、なんとなく吾川に視線を向ける。
「幹部会の方々です。これから別室で、集まりがあるそうです」
だとしたら、守光も顔を出すのだろうかと考えていると、吾川が玄関のドアを開ける。大きな靴が一足並んでいるのを見て、反射的に和彦は顔を強張らせる。南郷だけが中にいるのではないかと思ったのだ。
足が竦みそうになったが、吾川に促されて玄関に入ると、背後でドアが閉まる。吾川は、一緒に玄関には入らなかった。立ち尽くしているわけにもいかず、おそるおそる部屋に上がった和彦は、ダイニングを覗く。一気に体の力が抜けた。
「来てたのか……」
安堵を声に滲ませて呟くと、イスに腰掛けていた賢吾がゆったりとした動作で立ち上がる。昨年の夏場もよく着ていた長袖の濃いグレーのワイシャツ姿だが、一人で寛いでいたらしく、ネクタイを緩め、ワイシャツのボタンも上から二つほど外している。
目の前にやってきた賢吾が両腕を軽く広げたので、意図を察した和彦は、アタッシェケースと紙袋を足元に置いてから、体を寄せた。両腕できつく抱き締められ、心地よさに吐息が洩れる。
「こっちは、先生の帰りを今か今かと待っていたのに、夜遊びか?」
冗談っぽく耳元で囁かれ、和彦は慌てて弁明する。
「帰ってくるまで、ここで会合があったなんて、知らなかったんだ。中嶋くんが迎えにきてくれたから、息抜きにつき合ってもらった。……だいたい、ぼくの帰りを待つぐらいなら、早く帰ってこいと携帯に連絡を入れたらよかっただろ」
「男心がわかってないな、先生」
「……ぼくも男だが……」
「よく知ってる」
そう言って賢吾の大きな手に尻を揉まれる。和彦は慌てて体を離そうとしたが、後ろ髪を掴まれて顔を仰向かされ、大蛇の潜む両目に覗き込まれると、甘い毒を注ぎ込まれたように動けなくなっていた。
ゆっくりと唇が重なってきて、喉の奥から声を洩らす。味わうようにじっくりと上唇と下唇を交互に吸われてから、歯列に舌先が擦りつけられる。ゾクゾクするような疼きが生まれ、和彦はその場に座り込みそうになったが、腰に回された賢吾の力強い腕がそれを許してくれない。
舌先を触れ合わせたところで、和彦は強い情欲に呑み込まれる。貪り合うように互いの唇と舌を吸い、唾液すらも啜る。馴染んだ男の味に、心底安堵していた。夢中で絡め合っていた舌を一旦解いたところで和彦は、賢吾の頬をてのひらで撫でる。
「まだ、ここにいて大丈夫なのか……?」
「息子が、父親の家に遊びに来たんだぜ。何を気にする必要がある」
「……そう単純でもないくせに」
「だったら言い直そうか? 父親に取り上げられたままのオンナの様子を見に来たと」
賢吾の声がわずかに怖い響きを帯びる。怯えた和彦が控えめに見つめると、賢吾は機嫌を取るようにこめかみに唇を押し当ててきた。
「すまねーな。先生に面倒を押しつけて。電話でも話したが、俺は自分のオンナを――」
「聞きたくない。……別にあんたを責めるつもりもないし、怒ってもいない。長嶺の男と関わるということは、こういうことだと思ってる」
和彦は自分から賢吾に頬ずりすると、唇をそっと吸ってやる。そんな和彦の目を間近から覗き込んできた賢吾は、苦々しげに呟いた。
「さらに、男の扱いが上手くなったか?」
「長嶺の男限定で、そうかもな」
思いがけず賢吾と会えたことで気分が高揚し、つい和彦は冗談めいたことを口にしていた。なんともいえない顔をした賢吾の反応がおもしろくて、クスクスと声を洩らして笑ってしまう。そんな和彦の髪を撫でていた賢吾だが、ふっと両目に険しさが宿ったかと思うと、乱暴に腕を掴んできた。
「先生の顔を見ておとなしく帰ろうかと思っていたが、気が変わった」
「えっ」
賢吾に引きずられるようにして連れ込まれたのは、和彦が使っている客間だった。電気をつけた賢吾に足元を払われて畳の上に倒れ込む。和彦は目を丸くしたまま、覆い被さってきた賢吾を見上げる。
「今から、ここで……?」
「嫌とは言わせない。俺のオンナなら、俺が求めたら、どこでだろうが受け入れろ」
「でも、会長が戻ってくるんじゃ――」
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