血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
766 / 1,289
第33話

(1)

しおりを挟む




 畳んだ自分の服を抱え、和彦は小さく唸り声を洩らす。守光から与えられている客間は、すっかりもう和彦の自室という様相だ。
 自宅マンションから必要に応じて服などを持ってきてもらっているためだが、客人らしく、遠慮しつつ部屋を使っているつもりだったのだ。なのに昨日、これを使ってくださいと、とうとう衣類用の収納ケースが客間に運び込まれてしまった。
 勘繰りたくはないが、『和彦のために』と言いながら、これから本格的に家具が配置されていくのではないかと、つい身構えてしまう。
「……少し、マンションに持って帰ろうかな……」
 せっかくクリニックが休みになるのだし、と声に出さずに続ける。
 世間はいよいよ、盆休みに突入する。多忙な生活を送っている和彦としては、堂々とクリニックを閉められる行事は歓迎したいところだが、ゆっくりできると素直に喜べるほど能天気ではない。これまでの経験で、休日を自由に過ごせた試しがないのだ。
 明日から約一週間、クリニックを閉めることになるが、どれぐらい休日として過ごせるだろうかと、すでにもう戦々恐々としている。
 できることならマンションに戻り、のんびりと寛ぎたいところだが、そういう希望すら、まだ守光に切り出せないでいた。
 一人になりたいと思いつつ、一人になるのが少し怖いという気持ちも和彦にはあった。
 数日前の鷹津との狂おしい行為を思い返した途端、胸の奥が妖しくざわつく。鷹津の腕の中で肉欲の獣に成り果てたときの高揚感は忘れ難い。同時に、鷹津の強引さに屈服させられた自身の浅ましさを、痛感もさせられる。
 鷹津との間にあったことを誰かに知られたらと考えると、寒気がする。賢吾にもさんざん指摘されてきたが、和彦は隠し事には向かない性格だ。特に、特別な関係を持つ男のことについては。
 長嶺の男は怖い――と、心の中でひっそりと呟いたとき、客間の外で騒々しい足音が聞こえてくる。和彦が知る限り、こんなににぎやかな気配を立てる人間は一人しかいない。ぎょっとすると同時に襖が開き、慌しく千尋が飛び込んできた。
「――先生、海に行こうっ」
 夏休みを待ちわびていた小学生かと思いつつ、和彦は胸元に手をやる。驚きすぎて、心臓の鼓動が痛いほど速くなっているのだ。
 目の前に座った千尋が、まるで主人の反応を待つ人懐こい犬のような眼差しで見つめてくる。なんとか動揺を鎮めた和彦は、抑えた声音で問いかけた。
「今からか?」
「違う、違う、明後日から出かけるんだよ」
 どちらにしても急な話だ。事態がよく呑み込めなくて眉をひそめると、和彦の戸惑いを察してくれたらしく、千尋は目を輝かせながら、弾んだ口調で説明を始めた。
「総和会の初代会長の法要があるんだ。でっかい寺で執り行うんだけど、今回は俺、オヤジに同行して出席することが決まってさ。で、法要のあとも行事があって、宿を取ることになってる」
「……宿の近くに、海があるのか?」
「すぐ側。前の法要のときは、オヤジやじいちゃんが法要に行って、ガキだった俺はそれを待っている間、泳いでたんだ」
 へえ、と声を洩らした和彦だが、すぐにあることに気づいて指摘する。
「泳ぐって、子供の頃ならともかく、お前は今は、ダメだろ」
 最初は意味がわからない様子で小首を傾げていた千尋だが、十秒ほどかけて、自分の体の状態を思い出したようだ。愕然とした表情で洩らした。
「あっ、俺、刺青……」
「大事なことを忘れるな。まだ入れている最中に、塩水になんて浸かったら大変だぞ。怪我しているのと同じ状態なんだからな」
 心底残念そうな顔をしている千尋を見ていると、可哀想にはなってくるが、何もかも覚悟して刺青を入れているのであれば、海水浴ができないことぐらい、大した問題にはならないはずだ。
 和彦は、千尋の頬を手荒く撫でてやる。
「そう、がっかりするな。この先、海に行く機会はあるだろうし、泳げなくても、足をつけるぐらいはできるだろ。ほら、砂浜で砂遊びもできるぞ」
「……先生、つき合ってくれる?」
 甘ったれの男らしい眼差しと口調でねだられて、嫌とは言えない。和彦は苦笑を浮かべて頷く。
「それぐらいならつき合うが、総和会の大事な行事じゃないのか? 遊びに行くわけじゃないと、眉をひそめる人もいるんじゃ――」
「それは大丈夫っ」
 ぐいっと身を乗り出してきた千尋の顔が眼前に迫る。反射的に仰け反りそうになったが、しっかりと両手を握られる。
「保養も兼ねて、家族や愛人――恋人を連れて来て、行事のあとに宿でゆっくりする人もいるって話だし。とにかく、法要をしっかり執り行なえれば、問題ないんだよ」
「お前、必死だな……」

しおりを挟む
感想 92

あなたにおすすめの小説

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

帝は傾国の元帥を寵愛する

tii
BL
セレスティア帝国、帝国歴二九九年――建国三百年を翌年に控えた帝都は、祝祭と喧騒に包まれていた。 舞踏会と武道会、華やかな催しの主役として並び立つのは、冷徹なる公子ユリウスと、“傾国の美貌”と謳われる名誉元帥ヴァルター。 誰もが息を呑むその姿は、帝国の象徴そのものであった。 だが祝祭の熱狂の陰で、ユリウスには避けられぬ宿命――帝位と婚姻の話が迫っていた。 それは、五年前に己の采配で抜擢したヴァルターとの関係に、確実に影を落とすものでもある。 互いを見つめ合う二人の間には、忠誠と愛執が絡み合う。 誰よりも近く、しかし決して交わってはならぬ距離。 やがて帝国を揺るがす大きな波が訪れるとき、二人は“帝と元帥”としての立場を選ぶのか、それとも――。 華やかな祝祭に幕を下ろし、始まるのは試練の物語。 冷徹な帝と傾国の元帥、互いにすべてを欲する二人の運命は、帝国三百年の節目に大きく揺れ動いてゆく。 【第13回BL大賞にエントリー中】 投票いただけると嬉しいです((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ポチポチポチポチ

かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい

日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。 たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡ そんなお話。 【攻め】 雨宮千冬(あめみや・ちふゆ) 大学1年。法学部。 淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。 甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。 【受け】 睦月伊織(むつき・いおり) 大学2年。工学部。 黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

奇跡に祝福を

善奈美
BL
 家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。 ※不定期更新になります。

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

星を戴く王と後宮の商人

ソウヤミナセ
BL
※3部をもちまして、休載にはいります※ 「この国では、星神の力を戴いた者が、唯一の王となる」 王に選ばれ、商人の青年は男妃となった。 美しくも孤独な異民族の男妃アリム。 彼を迎えた若き王ラシードは、冷徹な支配者か、それとも……。 王の寵愛を受けながらも、 その青い瞳は、周囲から「劣った血の印」とさげすまれる。 身分、出自、信仰── すべてが重くのしかかる王宮で、 ひとり誇りを失わずに立つ青年の、静かな闘いの物語。

処理中です...