767 / 1,289
第33話
(2)
しおりを挟む
「だってさあ、俺、せっかくの夏なのに、夏らしいこと何もしてないんだよ? 去年もそれなりに忙しかったけど、今年ほどじゃなかった。だからせめて、こういうときぐらい、楽しむとまではいかなくても、ゆっくりしたいなあ、って」
「意地悪を言うつもりはないが、ゆっくりしたいなら、ぼくが行かなくてもできるだろ」
「――長嶺の男たちが一堂に会するのに、あんたがいなくてどうする」
突然、二人の会話に割って入ったのは、いつからそこにいたのか、開いた襖の傍らに立った守光だった。入っていいかと問われて頷くと、守光が二人の傍らに座る。このとき、畳んだ服の山にちらりと視線が向けられ、和彦はさりげなく自分の背後に隠す。
「すみません、片付けている途中だったもので……」
「この部屋も、ずいぶんあんたの私物が増えた。どうにかしないとな」
「クリニックが休みに入ったら、少しマンションに持ち帰ろうかと思っています」
「いや、そういうことではなくて――……、まあ、今はそのことはいい。法要のことだ」
守光にひたと見つめられ、和彦は背筋を伸ばす。すると守光が、淡い笑みをこぼした。
「堅苦しい話をするわけではないんだ。楽にしてくれないか、先生」
「あっ、はい……」
そう言われて、和彦は肩からわずかに力を抜く。
「先日、あんたが名簿を見たときに言っただろう。ちょっとした行事があると。それが、総和会が毎回執り行っている初代の法要だ。花見会は、世代を超えた交流会のような側面があるが、法要はあくまで内輪の集まり。花見会のように華やかな行事にはならん。形式にそって粛々と進むだけだ」
淡々とした口調でここまで話した守光が、次の瞬間、ニヤリと笑った。食えない笑い顔は、雰囲気が賢吾とよく似ている。
「総和会として大事なのは法要だが、長嶺組……長嶺の家にとって大事なのは、そのあとだ」
「あと、ですか?」
「宿を移して、ささやかに休養をとる。今は、わしや賢吾だけじゃなく、長嶺の男として千尋もがんばってくれたからな。家族旅行のようなものだ」
守光の穏やかな表現に、総和会や長嶺組という組織を知っている和彦としては、困惑するしかない。しかも、その『家族旅行』に、自分も同行するようなのだ。
「――……家族旅行、ですよね?」
「そうだ」
柔らかな声ながらそう言い切られると、もう何も言えない。長嶺の男が決めてしまったのなら、和彦は逆らうことはできないのだ。
決して嫌というわけではないが――。
ちらりと千尋に視線を向けると、にんまりと笑って返される。出かけられるのが楽しみで仕方ないという顔だ。
「……明後日出発なら、急いで準備をしないといけませんね」
ぽつりと和彦が洩らすと、守光は満足そうな顔をして立ち上がる。
「話は決まった。わしから賢吾に連絡しておこう」
そう言い置いて客間を出て行き、襖が閉まると同時に和彦は大きく息を吐き出す。ほんの何分か前の予感が的中したことに、いっそ清々しい気分になる。
そっと苦笑を洩らしかけたが、部屋にまだ千尋が残っていることを思い出した。
「お前は、今日は泊まっていくのか?」
和彦の問いかけに、千尋が首を横に振る。
「ううん。先生とじいちゃんと一緒にメシ食ったら、帰るよ。法要の打ち合わせや、準備もあるし」
「そうか」
数秒ほど、会話に不自然な間が空く。熱心に見つめてくる千尋の眼差しに不穏なものを感じた和彦は、あえて気づかないふりをして、背を向ける。
「バッグに着替えを詰め込まないと。……スーツは一着ぐらい持って行ったほうがいいのかな」
畳んだ服を手に取ろうとしたとき、突然背後から千尋に抱き締められた。勢いがよすぎたせいで、前のめりに倒れ込みそうになった和彦だが、ぐいっと引き戻される。
「こらっ……」
振り返ると、千尋の強い眼差しの直撃を受ける。何かが気になっている様子だ。和彦は軽く身を捩って座り直すと、千尋の顔を覗き込んだ。
「どうかしたのか?」
「んー、この部屋に入って、先生の顔を見た瞬間から気になってたんだけど――」
顔を寄せてきた千尋が、そっと唇を重ねてくる。ふざけているのかと思った和彦は、笑いながら押し退けようとしたが、次の千尋の言葉を聞いて顔を強張らせた。
「先生、なんか艶っぽい。全身から色気が漏れてて、エロい」
長嶺の男は本当に怖い。和彦が隠そうとしているものを、あっという間に本能で嗅ぎ取ってしまうのだ。
和彦は、鷹津とのやり取りも行為も、完璧に自分の中に押し込めているつもりだったが、そう思っていたのは自分だけだったのかもしれない。千尋が気づいたぐらいだ。守光など、クリニックから戻ってきた和彦を一目見て、何かがあったと確信した可能性もある。
「意地悪を言うつもりはないが、ゆっくりしたいなら、ぼくが行かなくてもできるだろ」
「――長嶺の男たちが一堂に会するのに、あんたがいなくてどうする」
突然、二人の会話に割って入ったのは、いつからそこにいたのか、開いた襖の傍らに立った守光だった。入っていいかと問われて頷くと、守光が二人の傍らに座る。このとき、畳んだ服の山にちらりと視線が向けられ、和彦はさりげなく自分の背後に隠す。
「すみません、片付けている途中だったもので……」
「この部屋も、ずいぶんあんたの私物が増えた。どうにかしないとな」
「クリニックが休みに入ったら、少しマンションに持ち帰ろうかと思っています」
「いや、そういうことではなくて――……、まあ、今はそのことはいい。法要のことだ」
守光にひたと見つめられ、和彦は背筋を伸ばす。すると守光が、淡い笑みをこぼした。
「堅苦しい話をするわけではないんだ。楽にしてくれないか、先生」
「あっ、はい……」
そう言われて、和彦は肩からわずかに力を抜く。
「先日、あんたが名簿を見たときに言っただろう。ちょっとした行事があると。それが、総和会が毎回執り行っている初代の法要だ。花見会は、世代を超えた交流会のような側面があるが、法要はあくまで内輪の集まり。花見会のように華やかな行事にはならん。形式にそって粛々と進むだけだ」
淡々とした口調でここまで話した守光が、次の瞬間、ニヤリと笑った。食えない笑い顔は、雰囲気が賢吾とよく似ている。
「総和会として大事なのは法要だが、長嶺組……長嶺の家にとって大事なのは、そのあとだ」
「あと、ですか?」
「宿を移して、ささやかに休養をとる。今は、わしや賢吾だけじゃなく、長嶺の男として千尋もがんばってくれたからな。家族旅行のようなものだ」
守光の穏やかな表現に、総和会や長嶺組という組織を知っている和彦としては、困惑するしかない。しかも、その『家族旅行』に、自分も同行するようなのだ。
「――……家族旅行、ですよね?」
「そうだ」
柔らかな声ながらそう言い切られると、もう何も言えない。長嶺の男が決めてしまったのなら、和彦は逆らうことはできないのだ。
決して嫌というわけではないが――。
ちらりと千尋に視線を向けると、にんまりと笑って返される。出かけられるのが楽しみで仕方ないという顔だ。
「……明後日出発なら、急いで準備をしないといけませんね」
ぽつりと和彦が洩らすと、守光は満足そうな顔をして立ち上がる。
「話は決まった。わしから賢吾に連絡しておこう」
そう言い置いて客間を出て行き、襖が閉まると同時に和彦は大きく息を吐き出す。ほんの何分か前の予感が的中したことに、いっそ清々しい気分になる。
そっと苦笑を洩らしかけたが、部屋にまだ千尋が残っていることを思い出した。
「お前は、今日は泊まっていくのか?」
和彦の問いかけに、千尋が首を横に振る。
「ううん。先生とじいちゃんと一緒にメシ食ったら、帰るよ。法要の打ち合わせや、準備もあるし」
「そうか」
数秒ほど、会話に不自然な間が空く。熱心に見つめてくる千尋の眼差しに不穏なものを感じた和彦は、あえて気づかないふりをして、背を向ける。
「バッグに着替えを詰め込まないと。……スーツは一着ぐらい持って行ったほうがいいのかな」
畳んだ服を手に取ろうとしたとき、突然背後から千尋に抱き締められた。勢いがよすぎたせいで、前のめりに倒れ込みそうになった和彦だが、ぐいっと引き戻される。
「こらっ……」
振り返ると、千尋の強い眼差しの直撃を受ける。何かが気になっている様子だ。和彦は軽く身を捩って座り直すと、千尋の顔を覗き込んだ。
「どうかしたのか?」
「んー、この部屋に入って、先生の顔を見た瞬間から気になってたんだけど――」
顔を寄せてきた千尋が、そっと唇を重ねてくる。ふざけているのかと思った和彦は、笑いながら押し退けようとしたが、次の千尋の言葉を聞いて顔を強張らせた。
「先生、なんか艶っぽい。全身から色気が漏れてて、エロい」
長嶺の男は本当に怖い。和彦が隠そうとしているものを、あっという間に本能で嗅ぎ取ってしまうのだ。
和彦は、鷹津とのやり取りも行為も、完璧に自分の中に押し込めているつもりだったが、そう思っていたのは自分だけだったのかもしれない。千尋が気づいたぐらいだ。守光など、クリニックから戻ってきた和彦を一目見て、何かがあったと確信した可能性もある。
67
あなたにおすすめの小説
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
奇跡に祝福を
善奈美
BL
家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。
※不定期更新になります。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
帝は傾国の元帥を寵愛する
tii
BL
セレスティア帝国、帝国歴二九九年――建国三百年を翌年に控えた帝都は、祝祭と喧騒に包まれていた。
舞踏会と武道会、華やかな催しの主役として並び立つのは、冷徹なる公子ユリウスと、“傾国の美貌”と謳われる名誉元帥ヴァルター。
誰もが息を呑むその姿は、帝国の象徴そのものであった。
だが祝祭の熱狂の陰で、ユリウスには避けられぬ宿命――帝位と婚姻の話が迫っていた。
それは、五年前に己の采配で抜擢したヴァルターとの関係に、確実に影を落とすものでもある。
互いを見つめ合う二人の間には、忠誠と愛執が絡み合う。
誰よりも近く、しかし決して交わってはならぬ距離。
やがて帝国を揺るがす大きな波が訪れるとき、二人は“帝と元帥”としての立場を選ぶのか、それとも――。
華やかな祝祭に幕を下ろし、始まるのは試練の物語。
冷徹な帝と傾国の元帥、互いにすべてを欲する二人の運命は、帝国三百年の節目に大きく揺れ動いてゆく。
【第13回BL大賞にエントリー中】
投票いただけると嬉しいです((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ポチポチポチポチ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる