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第35話
(21)
しおりを挟む三田村が電話を一本かけると、三十分もしないうちに長嶺組の組員たちが部屋にやってきた。
総和会の人間が一人もいなかったことにわずかに疑問は感じたが、和彦はあれこれと質問できる気力もなく部屋を出て、外に待機していた車に乗り込んだ。
その間、和彦は一切口を開かなかった。問いかけに対して、頭を微かに動かす程度だったが、よほど疲れきっているように見えたらしく、組員たちから向けられる眼差しは、ひどく痛ましげだった。
和彦を見つけたことで役目は終わりということか、本宅に着いたとき、三田村の姿はなかった。そのことを寂しいと思う余裕は和彦にはなく、組員に促されるまま中に入る。
賢吾はまだ戻ってきていないということで、まっすぐ客間へと案内された。甲斐甲斐しく、何かしてほしいことはないかと聞かれたが、和彦は首を横に振り、とにかく一人にしてもらう。
人目がなくなって改めて、鷹津が警察を辞めていたという事実を噛み締めていた。
和彦の中で鷹津という男を表す要素の中に、〈悪徳刑事〉というものがある。ヤクザすら脅して利益を享受していたようなどうしようもない男で、和彦も、下卑た物言いや下劣な人間性が嫌いで堪らなかった。それなのに気がつけば、番犬としての鷹津を受け入れ、挙げ句、オンナになるとまで口走っていた。
流されたと言い訳をするつもりはない。情を交わし続けていくうちに、鷹津は和彦にとって、特別な男になっていたのだ。
だから今、こうして打ちのめされている。鷹津の決断したことに。
警察官という職を失った鷹津は、まるで引き換えのように俊哉と手を組み、武器を手に入れた。やろうと思えば、和彦と長嶺組――長嶺の男たちとの繋がりすらも断ち切ることができる、恐ろしい武器だ。
「本当に、バカだ……。選ぶものを、間違っている」
小さく呟いた和彦は、ふと部屋の隅に視線をやる。着替えが入った紙袋を、組員はきちんと持ってきてくれたのだ。ここで自分の格好を眺める。長嶺の本宅にいて、鷹津が買ってくれた服のままなのは、ひどい背徳行為のように感じられた。
着替えようと一度は立ち上がった和彦だが、脱力感がひどくて、派手な音を立てて畳の上に座り込む。すると、部屋の外に組員が待機していたらしく、すかさず声をかけられた。
「先生、大丈夫ですか?」
「……ああ。着替えようとして、つまずいただけだ」
結局、再び客間に入ってきた組員に手伝ってもらい、楽な服に着替える。脱いだばかりの服と、紙袋に入った服は、クリーニングに出すということで抱えて持っていかれた。
足音が遠ざかったのを確認してから、和彦は畳の上に仰向けで寝転がる。
しばらくそうしていると、抑えた足音が部屋に近づいてくる。和彦の脳裏に浮かんだイメージは、静かに獲物に忍び寄る大蛇の姿だった。
「――そんなところに転がっていないで、休むなら布団を敷いてもらえ」
和彦が見上げた先で、賢吾が無表情で立っていた。外から戻ってきたばかりらしく、スーツ姿だ。
向けられる眼差しの冷ややかさに内心でゾッとしながら、和彦は起き上がろうとする。当然のように手を差し出されたが、気がつかないふりをした。
賢吾は畳の上に胡坐をかくと、和彦を気遣う言葉をかけるでもなく、すぐに用件を切り出した。
「鷹津は何か言っていたか?」
「何か、って……」
「俺の大事で可愛いオンナをさらって、一日行方をくらました理由だ」
和彦は力なく首を横に振る。
「様子はおかしいとは思ったが、何も……。警察を辞めたことも、部屋を引き払ったことも、そんなこと、一言も言ってなかった」
ふいに、初めて聞いた鷹津の趣味の話を思い出す。一気に込み上げてくるものがあり、賢吾の前では感情を抑えるつもりだったというのに、視界が涙でぼやけた。慌てて手の甲で拭うと、眼差し同様、冷ややかな声で賢吾に言われる。
「俺の前で、他の男を想って泣くな」
「……そんなんじゃ、ない……」
一時的な感情の高ぶりが落ち着くまで、和彦は深呼吸を繰り返し、何度も目を擦る。我ながら子供のようだと思っていると、突然手首を掴まれる。驚いた顔を上げると、賢吾が苦い表情をしていた。
「そんなに感情的なお前の姿は、初めて見たかもしれない。……脅すためにお前を拉致したときも、反対に、三田村のことで俺を脅してきたときも、お前は怖がってはいても、感情的ではなかった。ああ、総和会の加入書を書かせるときは、少し荒れていたな。だが、悲しんではなかった」
賢吾の指先に涙を拭われ、その感触にまた込み上げてくるものがある。昨日からの出来事と、聞かされたばかりの事実に、感情の乱高下が激しくて、自分でも涙を止めようがないのだ。
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