血と束縛と

北川とも

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第37話

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「わしが顔を出すわけにもいかんし、名代を出しても、歓迎されるとも思わんかったので、花を贈らせてもらったんだが、そうか、体調が――……」
 思うところがあるのかもしれないが、守光の表情からは一切何も読み取れない。しかし次の瞬間、和彦の視線に気づいたのか、薄い笑みを向けられた。
「〈あちら〉では、たっぷりわしの所業を聞かされたかね?」
「えっ、あっ、いえ、そんなこと……」
「いずれは、あんたの耳にもいろいろと入るだろう。それを否定する気はないよ。わしは、総和会会長の座を手に入れるために、鬼になった。若い時分に世話になった相手ですら、追い落とした。そこまでしても、総和会を盤石の組織にしたかった。その先に、今以上の長嶺組の安寧があると思っている。賢吾ですら、まだ理解はしてくれんだろうが」
 返事のしようがなくて和彦は口ごもる。総和会の頂点に立つ守光が、その組織について語るとき、力のうねりのようなものを肌で感じる。気圧され、自分ごときが軽々に意見など口にできないという気持ちになる。
 和彦にはうかがい知ることのできない権力の構図と蠢きが、守光には見えているのだろう。まるで箱庭の中で、自由に人や物を配置し、排除し、完璧な景観を作り出そうとしているかのように。特別な場所に飾られているのは、間違いなく長嶺組だ。
 景観を乱す存在は、どう扱われるかと想像して、和彦はそっと身を震わせる。つい、自分から切り出していた。
「……ぼくが連休中、御堂さん――第一遊撃隊隊長のもとで過ごしたことを、不快に思われたのではないですか?」
 守光の目に、鋭い光がちらつく。
「オンナ同士、相性がいいのかもしれんな」
 さらりと投げつけられた言葉に、カッと和彦の体は熱くなる。羞恥ではなく、屈辱感からの反応だった。しかも、御堂を侮辱されたと感じてのものだ。
「元気のないあんたをなんとかできないかと思いながらも、わしを含めて皆が手をこまねいていた。そこに賢吾が、御堂秋慈に任せてみてはどうかと提案してきた。あんたと御堂が急速に親しくなっていることは、わしの耳にも報告は入ってはいたが、さて、と躊躇した。だが、賢吾の提案は間違っていなかったようだ。少なくとも、こうしてわしと食事をともにしてくれている」
「御堂さんはもちろん、清道会の方たちにはよくしていただきました。おかげで、いい気分転換ができました。あっ、いえ、今の環境に不満があるというわけではなく……」
「わかっている。襲撃事件に続いて、刑事に連れ去られるという目に遭って、あんたにとっては、総和会や長嶺組の庇護下にいることが、かえって不安がらせたんだろう。そういうものから少しでも距離を置きたいという心情は、理解しているつもりだ」
 和彦は反射的に目を伏せる。そのどちらにも、守光が策略を持って関わったのではないかと、疑惑の眼差しを向けそうになったためだ。いや、証拠はないが、確信を持っていた。少なくとも、総和会側から存在を疎んじられていた鷹津は、警察を辞めて姿を隠した。もう和彦は、あの男と連絡が取れないのだ。
 守光に詰め寄りたいが、できなかった。和彦は守光のオンナであり、何より、守光が怖い。
 自分自身の情けなさをぐっと噛み締め、やはり今晩、まだ守光に会うべきではなかったのだと痛感していた。従順なオンナでいるには、気持ちが揺れすぎる。
 もっともそれは、鷹津のことだけが原因ではない。連休中、男子高校生との間に生まれた秘密のせいだ。
 玲と別れたのは、昨日だ。たった一日しか経っていないというのに、まるで夢を見ていたような感覚に陥っているのだが、体にはまだはっきりと、玲がつけた愛撫の跡が残っている。そんな体で、今は守光の前に座っているのだ。だから、怖い。
 今日は疲れているため、夕食をともにするだけで帰らせてほしい――。たったこれだけのことを告げるのは、ひどく勇気を必要とする。
 勘が鋭すぎるほど鋭い長嶺の男ならば、確実に何かを感じ取るはずだ。
 和彦が逡巡を続けていると、お茶を飲み干した守光が静かに切り出した。
「――さて、食事も終えたことだし、出るとしよう。今晩はわしは、これから人と会う予定があってな。あんたとゆっくり過ごすことができない」
 ハッと和彦が視線を上げると、守光は口元に酷薄そうな笑みを浮かべていた。こちらの逡巡などすべて見通しているとでも言うように。
「昨日まで休みだったとはいえ、あんたも他所の土地で過ごして気疲れしただろう。そのうえ今日は仕事だ。マンションに戻ってしっかり休むといい」
「あっ……、ありがとう、ございます」
「その代わりと言ってはなんだが、途中までわしの車に乗ってくれんかね。あんたと会うのは久しぶりだ。もう少し、一緒に過ごしたい」
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