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第38話
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ただの〈オンナ〉であったなら、知る必要のないことだ。しかし和彦は、佐伯俊哉の息子だ。自分が生まれる前に起こったことだとしても、知らない顔はできなかった。
考え続けることに神経が疲弊して、たまらず目を閉じる。
かろうじて和彦は、若い頃の俊哉の姿を写真で見たことがあった。実家に保管してあるものではなく、里見が昔、古い資料の中からたまたま発見したものを見せてくれたのだ。
一方の守光は、若い頃はどんな感じだったのだろうかと、ふと想像した次の瞬間、和彦は目を開ける。
ジャケットから携帯電話を出そうとモゴモゴと身じろいでいると、何事かと護衛の組員が振り返る。なんでもないと答えて、ようやく携帯電話を取り出すと、ある人物へとかけた。
「もしもし、突然で悪いけど、頼みがあるんだ――」
座卓の上に積み上げられたアルバムに、和彦はそっと片手をのせる。このとき、形容しがたい切なさが胸を通り過ぎた。
浮き足立った状態で夕食と風呂を済ませたあと、いざ目的のアルバムを目の前にしたのだが、まさかこんな感傷に浸ることになるとは思わなかった。
和彦の中に〈普通の家庭〉という尺度は存在しないのだが、大切に保管されてきたであろう積み上げられたアルバムを目の前にすると、いろいろと考えてしまう。特に長嶺の家は行事ごとを大事にしているため、自分の実家との違いを痛感せざるをえない。
昨日千尋に電話で頼んだのは、本宅にある古いアルバムを見せてほしいというものだった。千尋は特に理由を問うことなく、あっさりと承諾してくれた。
想定外だったのは、仕事終わりに本宅に立ち寄り、客間でゆっくりと見るつもりだったのに、なぜかアルバムが賢吾の部屋に運び込まれていたことだった。その理由を聞こうにも、肝心の千尋が今夜は本宅にはいない。
この部屋に運び込ませたのは、きっと賢吾が命じたのだろうなと思いつつ、少し緊張しながら和彦は一冊のアルバムを手に取る。古いアルバム、と指定しておいたのだが、あからさまに目につく位置に置かれた新しいアルバムを無視することはできなかった。
慎重にアルバムを開くと、和彦の意識はあっという間に、台紙にきれいに貼られた写真に向いていた。
思った通り、どの写真にも子供の千尋が写っていた。就学前ぐらいのようだが、長嶺組の跡目として大事にされているのは、身につけたデザインの凝った子供服や小物からも見て取れる。またそれが、よく似合っているのだ。
意識しないまま和彦の顔は綻ぶ。いつだったか賢吾が、子供の頃の千尋は腺病質だったと言っていたが、確かに色が白く小柄な姿は、そう思わせる風情があった。
「今とは大違いだ……」
物珍しさもあって、まじまじと写真に見入っていたが、自分が何を確かめるつもりでアルバムを出してもらったのか思い出し、名残り惜しいがアルバムを閉じる。あとでじっくり見ようと、今度は少し古びたアルバムを開く。
いきなり紋付羽織袴姿の賢吾の写真が目に飛び込み、和彦の鼓動が大きく跳ねた。
若い、と口中で呟いて次のページを開いたとき、その格好の意味を一瞬で察し、慌ててアルバムを閉じた。
次は、一際立派な表装のアルバムを手に取る。中に収まっているのは、まさに歴史の一ページと表現できそうな、色褪せ始めている古い写真の数々だった。
どこかの神社の一角らしい場所で、ダークスーツ姿の男が、赤ん坊を抱いて立っている。非常に整った顔立ちをした若い男だ。千尋に似ているなと思ったとき、和彦は小さく声を洩らす。若い頃の守光だった。
じっくりと観察すれば、今も面影がしっかりと残っているとわかる。それでも、受ける印象はずいぶん違う。今は見事な白髪をしているが、写真の中の守光は黒髪を短く刈っており、体つきも痩身というより、力強さを秘めたしなやかさを感じさせる。腕に抱いているのは賢吾だろう。だとしたら、この頃の守光はまだ長嶺組の組長ではなかったはずだ。
当時、守光の中にはすでに、圧倒的な権力に対する渇望があったのだろうかと、写真を通してはわからないことを和彦は考える。
ページを捲っていくごとに、守光は年齢を重ねていき、貫禄と風格を増しているように見えた。それに伴い、長嶺組は勢力を拡大し、その間のどこかで、官僚として権力を得つつあった俊哉と出会っていたのだ。
「――そんなに熱心に見入るほど、若い頃のオヤジは色男か?」
前触れもなく背後から声をかけられ、和彦は危うく悲鳴を上げそうになる。おそるおそる振り返ると、いつからそこにいたのか、浴衣姿の賢吾が立っていた。風呂から上がってまっすぐ部屋に来たらしく、髪が濡れている。
考え続けることに神経が疲弊して、たまらず目を閉じる。
かろうじて和彦は、若い頃の俊哉の姿を写真で見たことがあった。実家に保管してあるものではなく、里見が昔、古い資料の中からたまたま発見したものを見せてくれたのだ。
一方の守光は、若い頃はどんな感じだったのだろうかと、ふと想像した次の瞬間、和彦は目を開ける。
ジャケットから携帯電話を出そうとモゴモゴと身じろいでいると、何事かと護衛の組員が振り返る。なんでもないと答えて、ようやく携帯電話を取り出すと、ある人物へとかけた。
「もしもし、突然で悪いけど、頼みがあるんだ――」
座卓の上に積み上げられたアルバムに、和彦はそっと片手をのせる。このとき、形容しがたい切なさが胸を通り過ぎた。
浮き足立った状態で夕食と風呂を済ませたあと、いざ目的のアルバムを目の前にしたのだが、まさかこんな感傷に浸ることになるとは思わなかった。
和彦の中に〈普通の家庭〉という尺度は存在しないのだが、大切に保管されてきたであろう積み上げられたアルバムを目の前にすると、いろいろと考えてしまう。特に長嶺の家は行事ごとを大事にしているため、自分の実家との違いを痛感せざるをえない。
昨日千尋に電話で頼んだのは、本宅にある古いアルバムを見せてほしいというものだった。千尋は特に理由を問うことなく、あっさりと承諾してくれた。
想定外だったのは、仕事終わりに本宅に立ち寄り、客間でゆっくりと見るつもりだったのに、なぜかアルバムが賢吾の部屋に運び込まれていたことだった。その理由を聞こうにも、肝心の千尋が今夜は本宅にはいない。
この部屋に運び込ませたのは、きっと賢吾が命じたのだろうなと思いつつ、少し緊張しながら和彦は一冊のアルバムを手に取る。古いアルバム、と指定しておいたのだが、あからさまに目につく位置に置かれた新しいアルバムを無視することはできなかった。
慎重にアルバムを開くと、和彦の意識はあっという間に、台紙にきれいに貼られた写真に向いていた。
思った通り、どの写真にも子供の千尋が写っていた。就学前ぐらいのようだが、長嶺組の跡目として大事にされているのは、身につけたデザインの凝った子供服や小物からも見て取れる。またそれが、よく似合っているのだ。
意識しないまま和彦の顔は綻ぶ。いつだったか賢吾が、子供の頃の千尋は腺病質だったと言っていたが、確かに色が白く小柄な姿は、そう思わせる風情があった。
「今とは大違いだ……」
物珍しさもあって、まじまじと写真に見入っていたが、自分が何を確かめるつもりでアルバムを出してもらったのか思い出し、名残り惜しいがアルバムを閉じる。あとでじっくり見ようと、今度は少し古びたアルバムを開く。
いきなり紋付羽織袴姿の賢吾の写真が目に飛び込み、和彦の鼓動が大きく跳ねた。
若い、と口中で呟いて次のページを開いたとき、その格好の意味を一瞬で察し、慌ててアルバムを閉じた。
次は、一際立派な表装のアルバムを手に取る。中に収まっているのは、まさに歴史の一ページと表現できそうな、色褪せ始めている古い写真の数々だった。
どこかの神社の一角らしい場所で、ダークスーツ姿の男が、赤ん坊を抱いて立っている。非常に整った顔立ちをした若い男だ。千尋に似ているなと思ったとき、和彦は小さく声を洩らす。若い頃の守光だった。
じっくりと観察すれば、今も面影がしっかりと残っているとわかる。それでも、受ける印象はずいぶん違う。今は見事な白髪をしているが、写真の中の守光は黒髪を短く刈っており、体つきも痩身というより、力強さを秘めたしなやかさを感じさせる。腕に抱いているのは賢吾だろう。だとしたら、この頃の守光はまだ長嶺組の組長ではなかったはずだ。
当時、守光の中にはすでに、圧倒的な権力に対する渇望があったのだろうかと、写真を通してはわからないことを和彦は考える。
ページを捲っていくごとに、守光は年齢を重ねていき、貫禄と風格を増しているように見えた。それに伴い、長嶺組は勢力を拡大し、その間のどこかで、官僚として権力を得つつあった俊哉と出会っていたのだ。
「――そんなに熱心に見入るほど、若い頃のオヤジは色男か?」
前触れもなく背後から声をかけられ、和彦は危うく悲鳴を上げそうになる。おそるおそる振り返ると、いつからそこにいたのか、浴衣姿の賢吾が立っていた。風呂から上がってまっすぐ部屋に来たらしく、髪が濡れている。
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