932 / 1,289
第38話
(13)
しおりを挟む
「んっ? ああ、あいつらに、あんたの身の回りの世話をさせるという話か。それは、まだ先のことだ。今から渋い顔をしないでくれ」
正面を向いた南郷に、和彦の表情が見えるはずもない。それでもズバリと言い当てられ、思わず眉間を指の腹で押さえる。南郷が短く笑い声を洩らしたように思えたが、多分、気のせいだろう。
捲り上げていたシャツの袖を下した和彦は、ふっと息を吐き出す。すかさず長嶺組の組員が歩み寄ってきた。
「お疲れ様です、先生。……申し訳ありません。せっかくのお休みなのに、来てもらうことになって」
「いつものことだから、気にしないでくれ。それに今日は、思っていたより軽い怪我ばかりだったから、いつもの仕事に比べたら――」
仕事を終えた気楽さもあり、和彦が口元に淡い笑みを浮かべると、それを受けた組員が大仰にしかめっ面を作った。
「まったく。ガキってのは、ときどきとんでもないことをしでかすもんですよ」
二人の視線は自然と、傍らで正座している青年へと向けられる。頬に大きな絆創膏を貼ってはいるものの、目立った怪我といえばそれぐらいだ。なかなかいい体つきをしており、坊主頭もあいまって、道ですれ違いたくないタイプに見える。だが今は、叱られた犬のように項垂れ、肩を落としていた。
昨日、南郷から紹介された、加藤や小野寺と同年齢ぐらいだろう。長嶺組の正式な組員というわけではなく、いわゆる組員見習いのようなものだ。組員から小遣いをもらいながら、仕事の手伝いをしているそうだが、ただの雑用もあれば、危険な橋を渡ることもある。
若いのだから、今からでもまっとうな仕事に就くことは十分に可能だろうが、食えないヤクザたちは、その辺りは巧みだ。彼らの居場所は組が作ってやるといわんばかりに、程々に世話を焼き、程々に厳しく躾をする。まるで、親代わりのように。そうやって囲い込み、組から抜け出せなくするのだ。
長嶺組だろうが総和会だろうが、人材を集めるためにやることは、基本的に変わらない。
和彦は視線を上げると、広めの室内をゆっくりと見回す。やけに窮屈に感じるのは、部屋にいる人間の数が多いせいだ。和彦や組員たちを含めて、男ばかり十人いる。
二人ほど床に敷いたマットの上に横たわり、他の青年たちは、つらそうではあるものの、とりあえず床の上に座っている。普段はふてぶてしい面構えで、肩をいからせて歩いているであろう彼らは、一様に神妙な表情を浮かべていた。当然、和彦を恐れてのものではなく、部屋にいる組員たちが睨みを効かせているからだ。
「いちゃもんをつけられてからの、殴り合いのケンカなんて、笑い話にもなりゃしない。相手が、イキがってるだけのチンピラ崩れだったから、組の名前が出る事態にはならなかったんですけどね。……ガキとバカのケンカの後始末に、先生の手を借りることになって、こいつらの面倒を見ている身としては、なんとお詫びをすればいいのか」
「まあ、一番の重傷が少し縫合する程度の怪我で、骨折や内臓が傷つくとかの大事にならなくてよかったよ。あっ、万が一のこともあるから、あとで気分が悪くなったとか、頭が痛いとか言い出したら、さすがに病院に連れて行ってくれ」
「だったら、こいつらに対する仕置きは、一日ぐらい様子を見たほうがいいってことですね」
人の悪い笑みを浮かべての組員の言葉に、項垂れた坊主頭がますます位置を低くする。和彦は曖昧な返事をして部屋を出た。
キッチンで手を洗ってから、ジャケットに袖を通していると、組員に問われる。
「先生、夕飯はどうされますか?」
「あー、もうそんな時間か。そういえば、お腹が空いたな」
「食べたいものがあるなら、おっしゃってください。すぐに最寄の店を調べます」
「……あれこれ考えるの面倒だから、てっとり早くコンビニで――」
「先生に、休みの日にはできる限りコンビニ弁当は食べさせるなと、うちの笠野から言われているんです。それをさせるぐらいなら、本宅に連れて来てくれとも言われています」
厳しいなと、口中で呟いた和彦は苦笑を洩らす。
「じゃあ、焼き肉がいいな。一人だと寂しいから、ここにいる組員たちだけじゃなく、部屋にいる子たちも、動けるようなら誘っていいか?」
「肉が食えると聞いたら、這ってでもついて来ますよ。……明日は一日中説教で、メシも食えなくなるでしょうから、今のうちに」
傷に障らない程度にしてやってくれと、医者として和彦は控えめに忠告はしておいた。
正面を向いた南郷に、和彦の表情が見えるはずもない。それでもズバリと言い当てられ、思わず眉間を指の腹で押さえる。南郷が短く笑い声を洩らしたように思えたが、多分、気のせいだろう。
捲り上げていたシャツの袖を下した和彦は、ふっと息を吐き出す。すかさず長嶺組の組員が歩み寄ってきた。
「お疲れ様です、先生。……申し訳ありません。せっかくのお休みなのに、来てもらうことになって」
「いつものことだから、気にしないでくれ。それに今日は、思っていたより軽い怪我ばかりだったから、いつもの仕事に比べたら――」
仕事を終えた気楽さもあり、和彦が口元に淡い笑みを浮かべると、それを受けた組員が大仰にしかめっ面を作った。
「まったく。ガキってのは、ときどきとんでもないことをしでかすもんですよ」
二人の視線は自然と、傍らで正座している青年へと向けられる。頬に大きな絆創膏を貼ってはいるものの、目立った怪我といえばそれぐらいだ。なかなかいい体つきをしており、坊主頭もあいまって、道ですれ違いたくないタイプに見える。だが今は、叱られた犬のように項垂れ、肩を落としていた。
昨日、南郷から紹介された、加藤や小野寺と同年齢ぐらいだろう。長嶺組の正式な組員というわけではなく、いわゆる組員見習いのようなものだ。組員から小遣いをもらいながら、仕事の手伝いをしているそうだが、ただの雑用もあれば、危険な橋を渡ることもある。
若いのだから、今からでもまっとうな仕事に就くことは十分に可能だろうが、食えないヤクザたちは、その辺りは巧みだ。彼らの居場所は組が作ってやるといわんばかりに、程々に世話を焼き、程々に厳しく躾をする。まるで、親代わりのように。そうやって囲い込み、組から抜け出せなくするのだ。
長嶺組だろうが総和会だろうが、人材を集めるためにやることは、基本的に変わらない。
和彦は視線を上げると、広めの室内をゆっくりと見回す。やけに窮屈に感じるのは、部屋にいる人間の数が多いせいだ。和彦や組員たちを含めて、男ばかり十人いる。
二人ほど床に敷いたマットの上に横たわり、他の青年たちは、つらそうではあるものの、とりあえず床の上に座っている。普段はふてぶてしい面構えで、肩をいからせて歩いているであろう彼らは、一様に神妙な表情を浮かべていた。当然、和彦を恐れてのものではなく、部屋にいる組員たちが睨みを効かせているからだ。
「いちゃもんをつけられてからの、殴り合いのケンカなんて、笑い話にもなりゃしない。相手が、イキがってるだけのチンピラ崩れだったから、組の名前が出る事態にはならなかったんですけどね。……ガキとバカのケンカの後始末に、先生の手を借りることになって、こいつらの面倒を見ている身としては、なんとお詫びをすればいいのか」
「まあ、一番の重傷が少し縫合する程度の怪我で、骨折や内臓が傷つくとかの大事にならなくてよかったよ。あっ、万が一のこともあるから、あとで気分が悪くなったとか、頭が痛いとか言い出したら、さすがに病院に連れて行ってくれ」
「だったら、こいつらに対する仕置きは、一日ぐらい様子を見たほうがいいってことですね」
人の悪い笑みを浮かべての組員の言葉に、項垂れた坊主頭がますます位置を低くする。和彦は曖昧な返事をして部屋を出た。
キッチンで手を洗ってから、ジャケットに袖を通していると、組員に問われる。
「先生、夕飯はどうされますか?」
「あー、もうそんな時間か。そういえば、お腹が空いたな」
「食べたいものがあるなら、おっしゃってください。すぐに最寄の店を調べます」
「……あれこれ考えるの面倒だから、てっとり早くコンビニで――」
「先生に、休みの日にはできる限りコンビニ弁当は食べさせるなと、うちの笠野から言われているんです。それをさせるぐらいなら、本宅に連れて来てくれとも言われています」
厳しいなと、口中で呟いた和彦は苦笑を洩らす。
「じゃあ、焼き肉がいいな。一人だと寂しいから、ここにいる組員たちだけじゃなく、部屋にいる子たちも、動けるようなら誘っていいか?」
「肉が食えると聞いたら、這ってでもついて来ますよ。……明日は一日中説教で、メシも食えなくなるでしょうから、今のうちに」
傷に障らない程度にしてやってくれと、医者として和彦は控えめに忠告はしておいた。
71
あなたにおすすめの小説
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
奇跡に祝福を
善奈美
BL
家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。
※不定期更新になります。
かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
帝は傾国の元帥を寵愛する
tii
BL
セレスティア帝国、帝国歴二九九年――建国三百年を翌年に控えた帝都は、祝祭と喧騒に包まれていた。
舞踏会と武道会、華やかな催しの主役として並び立つのは、冷徹なる公子ユリウスと、“傾国の美貌”と謳われる名誉元帥ヴァルター。
誰もが息を呑むその姿は、帝国の象徴そのものであった。
だが祝祭の熱狂の陰で、ユリウスには避けられぬ宿命――帝位と婚姻の話が迫っていた。
それは、五年前に己の采配で抜擢したヴァルターとの関係に、確実に影を落とすものでもある。
互いを見つめ合う二人の間には、忠誠と愛執が絡み合う。
誰よりも近く、しかし決して交わってはならぬ距離。
やがて帝国を揺るがす大きな波が訪れるとき、二人は“帝と元帥”としての立場を選ぶのか、それとも――。
華やかな祝祭に幕を下ろし、始まるのは試練の物語。
冷徹な帝と傾国の元帥、互いにすべてを欲する二人の運命は、帝国三百年の節目に大きく揺れ動いてゆく。
【第13回BL大賞にエントリー中】
投票いただけると嬉しいです((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ポチポチポチポチ
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
好きなあいつの嫉妬がすごい
カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。
ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。
教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。
「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」
ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる