血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
947 / 1,289
第38話

(28)

しおりを挟む
「責めているのか? 人並み以上のものは与えてきただろう。お前もわたしに従って、結局のところ安穏とした医者としての生活を手に入れ、満喫していた。長嶺の人間と知り合わなければ、おそらく今も。お前は結局、自分を満たしてくれる環境を与えてくれるのであれば、相手は誰だっていいんだ」
「そんなことはないっ」
 和彦が声を荒らげると、俊哉は軽く眉をひそめる。だが次の瞬間には、極上の優しい笑みを浮かべた。ただし和彦にとっては、底知れない俊哉の闇を感じる恐ろしい表情だ。
 かつて俊哉は、こんな表情を浮かべながら――。
 古い記憶が刺激され、軽い吐き気を催す。無意識に和彦は口元に手をやり、必死に実の父親から目を背けていた。
 この感覚があるから、何があっても自分は俊哉に逆らえないと思ってしまう。骨身に刻みつけられるどころか、体中に流れる血に、細胞に、俊哉への恐怖が組み込まれているのだ。だから、会いたくなかった。
「――定期的にお前と会う機会を作らせる」
 じっと考え込んでいた和彦は、何か大事なことを言われた気がして我に返る。
「えっ?」
「息子の身を案じる父親としては当然の要求だ。わたしと交渉をしたいなら、向こうも呑まざるをえないだろう」
 化け狐と腹の探り合いだと、どこか楽しげに俊哉は呟いた。
「……会いたくないというぼくの要求は、当然通らないんだろうね」
「上手く立ち回れ、和彦。今は紳士ぶっている連中だが、お前をわたしに取り上げられるかもしれないとわかった途端、どんな極道らしい手口を使ってくるかしれない。お前は野獣どもの中でがんばって、自分だけじゃなく、わたしも守るんだ。言う通りにできたら、褒美をやろう」
 このとき自分がどんな表情を浮かべたのか、和彦には自覚はなかった。ただ俊哉は短く声を洩らして笑ってから、スマートな動作で立ち上がる。和彦の目の前に立つと、スッと耳元に顔を寄せて言った。
「お前は、特別な息子だ。英俊よりも。だから、〈父さん〉が言いたいことはわかっているな?」
 和彦は震えを帯びた声で、俊哉が求める答えを口にする。
「ぼくは――」


 靴音を響かせて俊哉は去っていった。
 和彦は、魂が抜けてしまったような虚脱感に全身を支配されていた。ベンチに腰掛けたまま半ば呆然として、さきほどまでの俊哉とのやり取りを思い返す。それは苦行に近い作業だが、自分は何か重要な言葉を聞き洩らしたのではないかと、不安で仕方なかったのだ。
 やはり会うべきではなかったと、後悔を噛み締める。俊哉と話してみて痛感したが、すべてを知りながら、和彦の身柄を巡って一歩も引くつもりはない。父親としての強い情に駆られてのことという一面は確かにあるだろうが、それだけではない。そう断言できる程度には、和彦は俊哉という人物を知っていた。
 さきほど話していた口ぶりでは、和彦を通して、守光を手玉に取ろうと企んでいる節すらある。
 ゾッとして身を震わせたあとで和彦は、自分の迂闊さを口中で罵っていた。
 俊哉に直接、昔、守光との間に何があったのか尋ねようと思っていたのに、できなかったのだ。怒っている素振りを一切見せなかった俊哉に、それでも委縮してしまった。
 ほんの三十分、隣り合って話していただけなのに、和彦の精神力は限界まで消耗していた。これまで男たちに注がれてきた激しくも優しい情愛すら奪い取られたように思え、そう感じる自分に、心底恐怖する。
「……気持ち悪い……」
 再び込み上げてきた吐き気に、口元をてのひらで覆う。そこに、総和会の護衛の男がさりげなく近づいてきた。
「佐伯俊哉氏は、通りからタクシーに乗ったそうです。我々も帰りましょう」
 のろのろと頷いた和彦は立ち上がろうとしたが、体がふらついてベンチに手をつく。素早く男に片腕を取られて支えられた。
「大丈夫ですか?」
「……体が冷えたみたいで。少し気分が悪い、です……」
「でしたら、急いで車に」
 足元が覚束ない和彦は腰を抱えられるようにして、やや強引に歩かされる。駐車場で待機していた車の後部座席に乗り込むと、速やかに車は動き出した。
「これから、どこに?」
 預けていた携帯電話をコートのポケットに入れてから、和彦は問いかける。答えはわかりきったものだった。
「本部にお連れするよう、言いつけられています」
「ああ、そうか……」
 守光に、俊哉と話した内容を報告しなくてはならない。もちろん、言われたことすべてではなく、和彦が選別する必要がある。薄々察しているにせよ、鷹津と俊哉が通じていることも、隠さなくてはならないだろう。
 守光と向き合って、また神経を擦り減らすことになるのかと考えた途端、和彦は限界を迎えた。
「――今日は、マンションに戻ります」

しおりを挟む
感想 92

あなたにおすすめの小説

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

奇跡に祝福を

善奈美
BL
 家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。 ※不定期更新になります。

かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい

日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。 たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡ そんなお話。 【攻め】 雨宮千冬(あめみや・ちふゆ) 大学1年。法学部。 淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。 甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。 【受け】 睦月伊織(むつき・いおり) 大学2年。工学部。 黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

帝は傾国の元帥を寵愛する

tii
BL
セレスティア帝国、帝国歴二九九年――建国三百年を翌年に控えた帝都は、祝祭と喧騒に包まれていた。 舞踏会と武道会、華やかな催しの主役として並び立つのは、冷徹なる公子ユリウスと、“傾国の美貌”と謳われる名誉元帥ヴァルター。 誰もが息を呑むその姿は、帝国の象徴そのものであった。 だが祝祭の熱狂の陰で、ユリウスには避けられぬ宿命――帝位と婚姻の話が迫っていた。 それは、五年前に己の采配で抜擢したヴァルターとの関係に、確実に影を落とすものでもある。 互いを見つめ合う二人の間には、忠誠と愛執が絡み合う。 誰よりも近く、しかし決して交わってはならぬ距離。 やがて帝国を揺るがす大きな波が訪れるとき、二人は“帝と元帥”としての立場を選ぶのか、それとも――。 華やかな祝祭に幕を下ろし、始まるのは試練の物語。 冷徹な帝と傾国の元帥、互いにすべてを欲する二人の運命は、帝国三百年の節目に大きく揺れ動いてゆく。 【第13回BL大賞にエントリー中】 投票いただけると嬉しいです((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ポチポチポチポチ

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

処理中です...