血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
1,036 / 1,289
第41話

(10)

しおりを挟む
「見てわかるだろうが、ここは元は保育所だった。無認可保育所っていうのか。……よくわからんが。――経営者が借金で首が回らなくなって、いろいろあって手放すことになったようだ。買い手がつきそうなら、とっとと更地にでもして売りに出すんだが、そうはいかない事情があって、何年もこのままだ」
 南郷はこちらの反応など求めていないだろうと判断して、和彦は返事をしなかった。それどころではなかったというのもある。
 踊り場で何げなく顔を上げて、ハッと息を詰める。正面の壁に大きな鏡があり、そこに和彦自身の姿が映っていたのだ。
 今は、自分の顔は見たくなかった。視線を逸らし、その拍子に、いつの間にか立ち止まっていた南郷の背にぶつかる。またよろめくことになった和彦に、振り返った南郷は表情も変えない。何事もなかったように二人はまた階段を上がる。
「倉庫代わりに使うだけなのももったいないから、一時期は、若い連中を住まわせるかという話も出たが、この辺りは、昔から住んでいる人間が多くて、新参者は目立ちすぎる。だから、荷物を運び込むのも気を使う」
 二階に着いたところで、さらに上に続く階段に気づく。屋上には何があるのだろうかと思いはしたが、わざわざ南郷に問うほどのことではない。
 和彦は、手招きされるまま、三部屋並んだうちの一部屋に足を踏み入れた。
 本当に保育所だったのだなと、室内を見回して改めて納得する。
 オルガンやロッカー、子供サイズのテーブルやイスが壁際へとまとめて押しやられ、部屋の半分ほどを占めているが、それでも窮屈だとは感じない広さがあった。適当に片付けられた雑多さはあるが、同時に、なんともいえない物寂しさも感じる。
 精神的に弱っているせいか、やけに感傷的になる和彦とは対照的に、南郷は暖房を入れて効きを確かめると、すぐに部屋を出ていく。足音からして、どうやら隣の部屋に向かったらしい。
 和彦は所在なく立ち尽くしていたが、やはり外の様子が気になって、窓に近づく。分厚いカーテンの隙間から外を見ると、テラスに出られるようになっていた。南郷が出て行った扉のほうにちらりと目を向けてから、テラスへと出る。
 非常時の避難路なのか、二階から庭へと下りられるよう大きな滑り台が設置されていた。
 平時であったなら、さぞかし好奇心が刺激されていただろうなと、和彦は口元に淡い笑みを刻む。
「それに近づくな、先生。錆びてボロボロになっているんだ」
 背後から突然声をかけられ、危うく飛び上がりそうになる。振り返ると、南郷が開いた窓から顔だけ出していた。和彦は急いで部屋に戻る。
「すみませんっ……。せっかく部屋を暖めていたのに」
「別に、寒いのはあんただからな」
 そう応じながら南郷が、運んできた折り畳みベッドを壁際に置いて開く。
「ここが、あんたの今夜の寝床だ。不満なら、寝袋もあるが」
「……これで十分です」
「ベッドが狭いのは我慢してもらうしかないが、毛布は新しいのが何枚もあるから、必要なだけ使ってくれ。あとは、着替えか」
 意外な甲斐甲斐しさを見せて南郷は再び部屋を出て行ったが、また戻ってきたとき、今度はビニールで包装された新しいスウェットスーツと、毛布を数枚持っていた。
「スウェットは、自分の替え用で買っておいたものだから、あんたには多分――、いや、絶対大きいな。小さいよりはマシだろう」
 押し付けられたスウェットスーツと、ベッドの上に置かれた毛布を交互に見て、和彦は疑問を口にした。
「南郷さん、もしかして、ここで……」
「俺の隠れ家ヤサの一つだ。とはいっても、総和会の息がかかった不動産屋が管理してる物件なんだが。人の気配がないところが気に入って、仕事で遠出した帰りに、ときどきホテル代わりに使っている。そのまま、数日ズルズルと泊まり込むことも、たまに。帰って寛げる場所ってものを俺は持ってないから、気ままなものだ」
 南郷がこちらを見て、皮肉っぽく唇を歪めた。
「俺は、ひとところに身を落ち着けて、寝起きができない性質だ。本部だけは別だが、あそこに住み込むわけにもいかない。いい部屋に住んで、羽振りがいいところを下の連中に見せるのも役目だと、オヤジさんには常々言われているんだが、俺みたいな男には、これがなかなか難しい」
「俺みたい、とは?」
 咄嗟に出た問いかけに対して、南郷がベッドを指さす。座ったらどうだと言われて、スウェットスーツを抱えたまま和彦はぎこちなく腰かけた。

しおりを挟む
感想 92

あなたにおすすめの小説

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

何故か正妻になった男の僕。

selen
BL
『側妻になった男の僕。』の続きです(⌒▽⌒) blさいこう✩.*˚主従らぶさいこう✩.*˚✩.*˚

奇跡に祝福を

善奈美
BL
 家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。 ※不定期更新になります。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい

日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。 たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡ そんなお話。 【攻め】 雨宮千冬(あめみや・ちふゆ) 大学1年。法学部。 淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。 甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。 【受け】 睦月伊織(むつき・いおり) 大学2年。工学部。 黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。

オム・ファタールと無いものねだり

狗空堂
BL
この世の全てが手に入る者たちが、永遠に手に入れられないたった一つのものの話。 前野の血を引く人間は、人を良くも悪くもぐちゃぐちゃにする。その血の呪いのせいで、後田宗介の主人兼親友である前野篤志はトラブルに巻き込まれてばかり。 この度編入した金持ち全寮制の男子校では、学園を牽引する眉目秀麗で優秀な生徒ばかり惹きつけて学内風紀を乱す日々。どうやら篤志の一挙手一投足は『大衆に求められすぎる』天才たちの心に刺さって抜けないらしい。 天才たちは蟻の如く篤志に群がるし、それを快く思わない天才たちのファンからはやっかみを買うし、でも主人は毎日能天気だし。 そんな主人を全てのものから護る為、今日も宗介は全方向に噛み付きながら学生生活を奔走する。 これは、天才の影に隠れたとるに足らない凡人が、凡人なりに走り続けて少しずつ認められ愛されていく話。 2025.10.30 第13回BL大賞に参加しています。応援していただけると嬉しいです。 ※王道学園の脇役受け。 ※主人公は従者の方です。 ※序盤は主人の方が大勢に好かれています。 ※嫌われ(?)→愛されですが、全員が従者を愛すわけではありません。 ※呪いとかが平然と存在しているので若干ファンタジーです。 ※pixivでも掲載しています。 色々と初めてなので、至らぬ点がありましたらご指摘いただけますと幸いです。 いいねやコメントは頂けましたら嬉しくて踊ります。

帝は傾国の元帥を寵愛する

tii
BL
セレスティア帝国、帝国歴二九九年――建国三百年を翌年に控えた帝都は、祝祭と喧騒に包まれていた。 舞踏会と武道会、華やかな催しの主役として並び立つのは、冷徹なる公子ユリウスと、“傾国の美貌”と謳われる名誉元帥ヴァルター。 誰もが息を呑むその姿は、帝国の象徴そのものであった。 だが祝祭の熱狂の陰で、ユリウスには避けられぬ宿命――帝位と婚姻の話が迫っていた。 それは、五年前に己の采配で抜擢したヴァルターとの関係に、確実に影を落とすものでもある。 互いを見つめ合う二人の間には、忠誠と愛執が絡み合う。 誰よりも近く、しかし決して交わってはならぬ距離。 やがて帝国を揺るがす大きな波が訪れるとき、二人は“帝と元帥”としての立場を選ぶのか、それとも――。 華やかな祝祭に幕を下ろし、始まるのは試練の物語。 冷徹な帝と傾国の元帥、互いにすべてを欲する二人の運命は、帝国三百年の節目に大きく揺れ動いてゆく。 【第13回BL大賞にエントリー中】 投票いただけると嬉しいです((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ポチポチポチポチ

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

処理中です...