1,165 / 1,289
第44話
(25)
しおりを挟むベッドに横たわった和彦は、天井を見上げたまま大きくため息をつく。本当は寝返りを打ちたいが、それすら億劫だ。とにかく、疲れ果てていた。
午後二時頃に俊哉とともに実家に戻ったあと、和彦は何もする気力も体力も起こらず、すぐに自分の部屋に引きこもった。その後、綾香の戻ってきた気配がしたが、わざわざ一階に下りて顔を見せる気にもならなかった。英俊は、いまだ戻ってきていない。
それでよかったかもしれない。とてもではないが、英俊の顔をまともに見られなかった。
ようやくもぞりと身じろいで、和彦は体の向きを変える。昔から使っている本棚が視界に入り、わずかに胸が痛んだ。かつては、兄が選んでくれた本がずらりと並んでいたのだ。
他人が放つ毒にあてられたと、和彦は苦々しく心の中で呟く。
おかげで帰りの車の中では、俊哉とは会話を交わすどころではなかった。せめて、〈彼女〉との対面の意図について問い質すべきではあったが。
今からでも――と、なんとか気力を振り絞って起き上がろうとしたとき、携帯電話が鳴り始める。里見との連絡用で使っているものだ。
どうしても、自分の兄と寝ている人だという事実が、和彦の脳裏をちらつく。嫉妬とも嫌悪ともつかない感情に、胸苦しくなる。
ためらっているうちに着信音は途切れたが、一分の間も置かず、再び鳴り始めた。里見からの電話を避けることは、実質的には不可能だ。いざとなれば実家の固定電話にかけてくることもできる。
無駄な足掻きをやめて、ベッドを下りた和彦は電話に出ていた。
『今、大丈夫かな』
何日ぶりかに聞いた里見の声は、不思議なほど耳に馴染んだ。前回、クリニックを訪ねてきた里見との再会は最悪に近く、もしかするともう二度と、顔を合わせることはないのではないかと、密かに覚悟すらしていたのだ。
しかし現金なもので、何事もなかったように里見に話しかけられると、和彦はあっという間に昔の感覚へと引き戻されそうになる。一心に里見を慕っていた頃に。
「……うん。自分の部屋にいるから」
正直に答えたあと、自分が一度は電話に出なかったことを思い出し、慌てて和彦は付け加える。
「ちょっとベランダに出てたんだ。電話に気づくの遅れて……」
ふっと里見が笑った気配がする。それだけで、わずかに身構えを解いていた。今は、里見と話すのに人の耳を気にしなくていいのだ。
「どうかした、里見さん?」
『夕方から会えないかと思って』
電話で話すのはいい。しかし、直接会うのは抵抗があった。
なかなか返事をしない和彦に、里見は柔らかな口調で続ける。
『君に会って謝りたいことがある。それに、きちんと話しておきたいことも』
「……それは、兄さんのこと?」
『そうだ』
「ぼくには聞く権利はないよ。里見さんの口から、兄さんのことを。もう里見さんとは……」
恋人同士ではないし、想いを残しているわけでもない。
『聞き苦しい言い訳なんていらない、ということかな』
「……里見さん、昔より意地が悪くなったみたいだ」
和彦は苦い口調で洩らす。一方の里見は引くつもりはないようだ。
『君のほうは、おれに話したいことはない?』
「ない……とは、言えない。偉そうなこと言ったばかりだけど、本当はいろんなことを聞きたいよ。自分に関係あることも。ないことも。知らないことばかりで、不安になる」
『何かあった?』
言いかけて、口を噤む。すると里見がこう提案してきた。
『せっかくだから、外で夕飯を食べよう。待ち合わせ場所を指定してくれたら、迎えに行くよ』
里見からの電話に出た時点で、こうなることは決まっていたようなものだ。
待ち合わせ場所と時間を決めてから、和彦は一階に下りる。今晩の夕飯は外で食べてくるというメモを、ダイニングテーブルの上に残しておく。
里見との待ち合わせ時間までまだ余裕はあったが、部屋で鬱々としているより、一刻も早く外の空気を吸いたかった。
再びスーツに着替えて慌ただしく家を出ると、通りでタクシーに乗り込む。一息ついて背もたれに体を預けようとして和彦は、ふと後ろを振り返る。尾行を気にするのは習性だ。
注意深く後ろを走る車を観察してから、ひとまず尾行はついていないと判断した。
56
あなたにおすすめの小説
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
奇跡に祝福を
善奈美
BL
家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。
※不定期更新になります。
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
帝は傾国の元帥を寵愛する
tii
BL
セレスティア帝国、帝国歴二九九年――建国三百年を翌年に控えた帝都は、祝祭と喧騒に包まれていた。
舞踏会と武道会、華やかな催しの主役として並び立つのは、冷徹なる公子ユリウスと、“傾国の美貌”と謳われる名誉元帥ヴァルター。
誰もが息を呑むその姿は、帝国の象徴そのものであった。
だが祝祭の熱狂の陰で、ユリウスには避けられぬ宿命――帝位と婚姻の話が迫っていた。
それは、五年前に己の采配で抜擢したヴァルターとの関係に、確実に影を落とすものでもある。
互いを見つめ合う二人の間には、忠誠と愛執が絡み合う。
誰よりも近く、しかし決して交わってはならぬ距離。
やがて帝国を揺るがす大きな波が訪れるとき、二人は“帝と元帥”としての立場を選ぶのか、それとも――。
華やかな祝祭に幕を下ろし、始まるのは試練の物語。
冷徹な帝と傾国の元帥、互いにすべてを欲する二人の運命は、帝国三百年の節目に大きく揺れ動いてゆく。
【第13回BL大賞にエントリー中】
投票いただけると嬉しいです((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ポチポチポチポチ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる