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第44話
(26)
しおりを挟むショッピングエリアを抜けてきた和彦は、広々としたアトリウムを見回す。年末の買い出しに来ている人も多いのか、商業ビル内はどこも混雑している。簡単に買い物を済ませるつもりだったが、商品を見ているより、レジに並ぶ時間のほうが長くかかった。
休憩スペースで少し座りたかったが、案の定というべきか、空いているイスがない。場所を移動しようにも、ここが里見との待ち合わせ場所だった。
「何を買ったんだい?」
唐突に話しかけられて驚く。いつの間にか里見が傍らに立っていた。和彦は、持っている袋を軽く掲げて見せる。
「ダウンジャケット。荷物になると思って持ってこなかったけど、家の近所を散歩してたら、やっぱりいるなと思って」
案内板でビル内に量販店が入っているのを見つけて立ち寄り、手頃な価格のものを買ったのだ。里見は軽く眉をひそめる。
「言ってくれたら、おれのを持ってきてあげたのに」
「いいよ。きっと、もったいなくて袖を通せないから。里見さん、着道楽ぶりに拍車がかかってるんじゃない?」
そうかな、と呟いて、里見が自分の格好を見下ろす。シャツの上からVネックニットを着ており、いかにも仕立てのいいイタリアンカラーのコートを羽織っている。知的で品のいい外見をさらに引き立てる装いに、和彦は少しだけ見惚れてしまう。昔は、里見と二人で出かけるたびに、誇らしい気分になったものだ。
ふいに里見に顔を覗き込まれ、危うく仰け反りそうになる。里見は険しい目つきとなった。
「……何、里見さん?」
「いや、実家できちんと休めているのかなと思ったんだ。なんだか疲れているように見える」
相変わらず目敏いと、和彦は素直に感心する。言い繕うことはできなかった。
「ずっと気を張ってる。自業自得なんだけど。今回は、大事な用があって呼び戻されただけで、そうでなかったら――……」
「大事な用?」
答えようとしたが咄嗟に言葉が出ず、和彦は視線をさまよわせてしまう。里見はちらりと笑みをこぼした。
「約束通り、夕飯を食べようか。ここならいろんな店が入ってるから、ちょうどいい。君が食べたいものを食べよう」
現金なもので、実家では特に何か食べたいということはなく、用意された食事を義務として胃に収めていただけだというのに、里見と並んで歩いていると、それだけで食欲が湧いてくる。
「――昔を思い出すね。君とこうやって、よく一緒にご飯を食べに行ってた。最初はおれを警戒して、なかなか隣を歩いてくれなかったんだ。なんというか、もらわれてきたばかりの子猫みたいで、あれは……可愛かった」
懐かしそうに目を細める里見の横顔を一瞥して、和彦は小さな声で呟く。
「里見さんは、いつでも優しかった」
「おれは……、君に優しくて甘い自分が好きだった。そして、そのことに溺れそうだった。――君を引きずり込みながら」
和彦の医大合格が決まったあと、もう会わないほうがいいと言ったのは里見だ。大人としての配慮と苦悩を滲ませた理由を告げられて、和彦としては納得するしかなかった。不安定な時期を支えてくれた恩人の人生を、縛り付けたくはなかったからだ。
互いを想い合っての別れは、きれいな思い出だけを和彦に残してくれた。だからこそ、こうして里見の側にいると、いまだに気持ちは揺れるのだ。
エレベーターに乗り込むとき、たまたま里見と手が触れ合う。手の甲で感じた微かな体温を、和彦はひどく意識してしまう。ふっと隣を見遣ると、里見はかつてのように愛しげにこちらを見つめていた。
忘れてはいけないと、自分に言い聞かせる。里見は、和彦の面影にすがりつきたかったという理由で、その兄である英俊を抱ける残酷な男なのだ。
和彦の将来を考えてとはいえ、自分から別離を切り出しておきながら、勝手な人だと思う。だったらいっそのこと、ずっと一緒にいてくれればよかったのに――。
「和彦くん」
里見に呼ばれてハッとする。軽く背を押されてエレベーターを降りた和彦は、足元に視線を落とした。
里見との別離は、すべての始まりだ。たくさんの人との出会いを経て、今の和彦がいる。男たちに大事にされ、執着され、束縛されるオンナとして。いまさら引き返せないというのもあるが、何より、後悔はしていない。できないのだ。
和彦は目についた店の看板から、どの店に入るか決める。
「今日は、午後から父さんと出かけてたんだ」
鰻屋の奥まったテーブルについた和彦は、注文後、そう切り出す。おしぼりで手を拭いていた里見は、意外そうに目を丸くした。
「どこに……と、おれが聞いていいのかな?」
「里見さんに聞いてほしいから、話すんだ」
和彦はちろりと唇を舐めてから、慎重に里見の表情の変化を観察する。
「――兄さんの婚約者に引き合わされた」
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