血と束縛と

北川とも

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第45話

(16)

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「……友人、だった?」
 バカなことを言うなという意味か、俊哉は短く息を吐いた。鼻で笑ったのかもしれない。
『一時的な用心棒代わりにあの男を使っている間に、わたしたちは互いに毒を注ぎ込んだ。――組をただ次の代に繋いでいくためだけの、能無しの装置なのかと罵ったら、顔色を変えていたな。わたしに対しては、心の中で毒づきながらも、結局家の名から逃げれる気のない怠惰者なまけものだと、あの男は言った』
 理解したくないが、理解できてしまう者同士、言葉で互いの弱い部分を抉ったということだろう。
『それで、二度と会うつもりはなかった。わたしは、わたしの人生を歩むことにしたからな。長嶺にしても、同じだったかもしれない。だが忌々しいことに、和泉家が抱えたトラブルの処理のために、わたしはまた、助けを借りることになった』
「もしかして、母さ……紗香さんの婚約破棄の件で、和泉家と婚約者の家が揉めていたこと……」
『佐伯と和泉と長嶺、血の呪いを受け継ぐ家同士の、共同作業だ。さすがに、和泉の家と長嶺を接触させることはしなかったし、言われたこと以外はするなと釘を刺しておいた。和泉の家に厭われると、土地に厭われる、という忠告も』
 このとき再会した守光は、もう夢見がちな、父親に従うだけのヤクザではなくなっていたという。
『奴の父親は死んでいた。突然死したと新聞の記事には出ていたが、長嶺本人は、追い落としたとわたしに話した。詳しくは聞かなかった。……違うな。聞けなかった』
 熱を帯びることも、抑揚が変わることもない俊哉の話しぶりに、和彦は怖気立つ。脳裏に浮かんだのは、紗香の命が消える瞬間を見ていた自分たち父子の姿だ。
『――紗香も、わたしと同じような人間だった。和泉の血を呪いながら、どう足掻けばいいかもわからない。初めて会ったときに受けた印象は、綾香によく似てはいるが、おとなしい、従順さだけが取り柄の女というものだった。そんな彼女が変わったのは、賀谷という医学生と恋仲になってからだ』
「……賀谷先生に会って、知っていることを全部教えてもらった」
『恋に狂った、というやつだな。まるで脱皮するように、紗香は別の生き物になった。赴任先で一人暮らしをしていたわたしは、紗香をずっと間近で見ていた。正直、あの変化ぶりには感銘を受けた。紗香の婚約破棄のごたごたの処理のため、さっき言ったように、長嶺と再会したのもよくなかった。血の呪いに抗えるのは、長嶺といい、己を構成する〈何か〉を削ぎ落とせる人間なのだと思った』
 ひたすら淡々と俊哉は話し続ける。それを聞き続ける和彦は、携帯電話を持つ手が氷のように冷たくなっていくのを感じた。こんな形で自分の出生にまつわる話を聞かされるのは、拷問に近かった。ただ、さまざまなことを知りすぎて感覚が麻痺している今だから、受け入れられるともいえる。
『自分が妊娠したと知ったとき、紗香は動揺していた。子供は産みたい。しかし、そうなれば確実に自分から引き離される。田舎の名家だ。婚約者以外の男の子を産んだなどと知られるわけにはいかないからな。見も知らない遠戚に養子にやられるぐらいならまだいい。縁も所縁もない人間のもとにいってしまったら――と、それをずっと心配していた』
「……同情したからぼくを引き取った、というわけじゃないんだろう……?」
 俊哉の語りを聞いていれば、嫌でもわかる。紗香との間に甘さや優しさを含んだ感情など介在していなかったのだと。
 電話の向こうから微かに何か軋む音が聞こえてきた。書斎のイスに座り直した音だと見当をつけた和彦は、自らも、膝を抱えるようにして座り直す。
『同情なんてものは、薄っぺらな感情だ。……紗香から妊娠の話を聞かされたとき、これは天啓だと思った。お前は、望まれて生まれた子だ。間違いなく』
「ぼくに、その言葉を信じろと?」
 皮肉っぽく洩らした和彦は、その口調が俊哉に似ていることに気づき、ハッとする。体を形成するものだけが、〈親〉から受け継ぐすべてではないのだと、この状況だからこそ実感していた。
 俊哉の口ぶりで、もうとっくに悟ってはいるのだ。自分は、俊哉の血を引いていないと。それでも、父子として生活してきた時間は、確かにこの体に宿っている。
「わからない……。父さんみたいな人が、どうして必死になってまで、ぼくを手元に置きたがったのか」
『長嶺と出会って、わたしは気づいたんだ。佐伯の血をどうしたいのか。――お前は、わたしが歩めなかった、わたしのもう一つの人生だ』
 わからない、と和彦は絞り出すようにもう一度呟く。それが聞こえなかったのか、あえて無視したのか、俊哉は話を続ける。
『紗香とは約束を交わした。子はわたしが引き取り、佐伯家の人間として育て、和泉の家には渡さないと。わたしの、というより、綾香の手元に置けるということで、紗香はひどく安堵していた。常にわが子の居場所がわかるということが、何より大事だったのだろう。ただしわたしは、お前が幼いうちは接触するのを禁じた。二人の母親の存在など、人格形成に悪影響を及ぼすのは、明白だからな』
「……紗香さんは、父さんに何を望んだんだ」
『お前を、賀谷と同じように医者にしたいということ。それと、その賀谷に迷惑をかけないこと。わたしは約束を守るつもりだった。和泉の家だけでなく、賀谷に危険が及ばないよう、長嶺に手を回したぐらいだ』
 なのに、と俊哉は洩らす。ここで初めて、口調にわずかな苛立ちが混じった。
『お前を佐伯家の人間として引き取り、育て、順調にやっていた中で、あんなことが起こった』
 紗香が精神的に安定しているうちは、俊哉との約束は守られていたのだろう。しかし結局は、和彦の記憶にあるとおりだ。悲劇は起こってしまった。母親が子に寄せる想いの深さを見誤っていたというより、紗香という女性を、俊哉は理解しきれていなかったのかもしれない。
『紗香は、世間知らずなままだった。お前を連れ去っても、二人で遠くに知らない土地に逃げる手段を思いつかず、結局、和泉家の土地に逃げ込んだ。それが彼女の本能だったということだ。わたしとの約束など、頭に残っていなかったのだろうな』
 俊哉が、理性の枠外で動く和彦を、紗香とよく似ていると感じていたとしても、不思議ではなかった。

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