血と束縛と

北川とも

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第46話

(12)

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 黙々とパスタを食べていると、隣で鷹津が小気味いい音を立てながら人参のピクルスを食べ始める。鷹津の食事の様を無意識に目で追っていると、当の鷹津がふいにこちらを見て、ニヤリとした。
「お前今、いやらしいことを考えてたろ」
「……なっ、に、言って……」
「さすがに今晩は、もう勃たないぞ。明日の朝ならもしかすると――」
「食事中に品のないことを言うなっ。そもそもぼくは、いやらしいことなんて考えてないからなっ」
「本当か?」
 鷹津の笑みが、ニヤニヤへと進化している。和彦は反論しようとしたが、言葉が出てこない。自分の分が非常に悪いことはわかっていた。実は、食事をしている鷹津の口元を見て、行為の最中に自分を貪ってくる獣のような姿が重なってしまったのだ。
「意地の悪い男だな……」
 和彦がぼそりと洩らした言葉に、さらりと鷹津が返す。
「お前は、可愛いな」
 もう鷹津の顔は見られなかった。急いで食事を済ませると、後片付けを鷹津に任せて薪ストーブの前に移動しようとして、気が変わった。ダウンコートを手に玄関に向かうと、すかさず鷹津に止められる。
「お前、一応病み上がりなんだから、チョロチョロするな」
 さきほどの仕返しとばかりに、和彦はにっこりと笑いかける。
「ぼくがとてつもなく元気になったのは、あんたが一番よくわかってるだろ」
「……このヤロー」
「玄関前で外の空気を吸うだけだ」
 そう言って玄関を出た和彦は、身が引き締まるような寒さに首を竦めてドアを閉めた。
 日没は間近で、遠くの空にわずかながら夕焼けが覗いている。ログハウスの周囲には夜の気配が色濃く忍び寄っていた。静寂を破るのはパタパタという水音で、溶けた雪が庇から地面に落ちているのだ。このまま冷え込めば、明日の朝にはツララが見られるかもしれない。
 和彦はウッドデッキに置かれたベンチに腰掛けると、ただ目の前の景色を眺める。冬の間だけ外の世界から隔絶されたようなこの場所は、息を潜めて生活するにも、療養するにも最適だ。鷹津はいつから目星をつけていたのだろうかと考える。
 突然、玄関のドアが開き、鷹津が顔を出した。
「おい、お茶飲むか?」
 和彦は目を丸くしたあと、頷く。それだけ聞いて鷹津は顔を引っ込める。
 知り合った当初は、蛇蝎の片割れらしく下劣で横暴で危険な存在として、とにかく鷹津は嫌な奴だったのだ。それが、自分を気遣ってお茶まで淹れてくれるようになるとは、と和彦は感慨深さすら覚える。
 自惚れかもしれないが、自分が、鷹津を変えたのだと思っている。人生すらも変えてしまった。もちろん、和彦自身も、何もかも変わってしまった。
 それでも、だからこそ、生き抜いていかなければならない。流されるままに生きてきた和彦に、さまざまなものを託してくれる人がいると知ったのだから。
「生きていかないと……」
 白い息とともにそう吐き出したところで再びドアが開き、鷹津がカップを手に出てきた。
「寒いな……。飲んだら、さっさと中に入れよ」
 差し出されたカップを礼を言って受け取ろうとして、じっとこちらを見つめてくる鷹津と目が合った。この瞬間、ふっと頭に浮かんだある考えが、和彦の感情を激しく揺さぶった。
「おい――」
 驚いた表情を見せた鷹津が隣に腰掛け、顔を覗き込んでくる。何事かと戸惑ったあと、和彦は自分の変化を知る。両目から涙が溢れ出していた。慌てて手の甲で拭うが、涙は止まらない。
 少し間を置いてから、鷹津にぶっきらぼうな口調で問われた。
「どうした?」
「……つい考えたんだ。そうしたら急に涙が出てきて、自分でびっくりした」
「何を考えた」
 慎重な手つきで渡されたカップを受け取り、一口お茶を飲む。急な感情の高ぶりは、落ち着くのも早い。和彦は急に気恥ずかしくなってきた。
「言わなきゃダメか?」
「俺の腰が抜けかけるほど驚かせて、悪いと思うならな」
 そんなタマかよと、和彦は笑ってしまう。もう一度手の甲で目を拭ってから、ぽつぽつと話した。
「――……二人が望んでいたのは、こんな生活だったのかもしれない、と思ったんだ……」
「二人?」
「ぼくの実の両親。駆け落ちしたくても、家のことを考えてできなかったみたいで。でももし、何もかも捨てて一緒に逃げていたら、どんな生活をしていただろうなって。どちらも世間知らずっぽかったみたいだけど、特にぼくの母なんて、本当に箱入り娘だったらしくて、きっと、父は苦労してたはずだ。ここみたいに、静かで人があまりこない場所でひっそりと暮らしながら、母のことを甲斐甲斐しく世話したのかもしれない」
 実際のところ、二人のことはよく知らない。あくまで和彦の想像でしかないが、鷹津からカップを渡されたとき、賀谷の姿が重なったのだ。
 心も体も満たされたからなのか、夜が訪れようとしているこの時間だからなのか、一瞬胸に走った寂しさがよく効いた。また涙が出そうになり、和彦は唇を噛む。
 おい、と鷹津に呼ばれて顔を向けると、すかさず唇を塞がれた。和彦は素直に口づけを受け入れる。
 時間をかけて互いを味わい、ようやく唇を離したとき、涙はもう引っ込んでいた。そして鷹津にこう言われる。
「苦労はするだろうが、案外楽しいかもしれない。惚れた相手に、とことん尽くす生活は」
 鷹津の言葉には実感がこもっていると感じるのは、気のせいかもしれない。そう思いながらも、和彦の頬はじわじわと熱くなってくる。これではなんのために外の空気を吸いに出たのかわからない。
「お前も元気になったことだし、明日から何かやりたいことはあるのか」
「……やっぱり体力作り。それと、せっかくいい講師がいるんだから、護身術みたいなものを習いたい」
 本気かと、鷹津の表情が言っている。
「完全に身を守るのは無理かもしれないけど、抵抗の意思ぐらいは示せるようになりたい、なと……」
「それで相手が逆上する可能性も、考えてのことだな? 言いたかないが、これまでお前の周囲にいたのは、ヤクザとしては紳士の部類だぞ。お前に価値を見出さない奴なら、平気で――」
「自信が欲しい。相手を少しでも怯ませられる術を、自分は持ってると。それだけでいい」
 和彦の手からカップを取り上げ、鷹津が口をつける。それから深々と息を吐き出した。
「俺に教わるからには、せめて一人ぐらいは制圧できるようになろうぜ」
「できるかな」
「やるんだよ。必要になったら」
 誰を想定しているのか、鷹津は楽しそうに目を細めている。あえてそこは指摘しないで、和彦は明日からの体力作りのメニューについて相談してみた。
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