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第46話
(13)
しおりを挟む「――相手を怯ませたいなら、目を狙え」
コーヒーを一口飲んでの鷹津の言葉に、和彦は唇をへの字に曲げる。
「前に、違う人間から同じようなアドバイスをされた。……素人に、いきなり人間の目を狙えって、ハードルが高いんだよ。ヤクザや、元刑事にはわからないだろうけど」
そう言って和彦はトーストをかじる。なんとなく気が向いて作ったシュガートーストだが、和彦がグラニュー糖をパンに振りかけていると、鷹津は露骨に嫌そうな顔をしていた。シュガートーストとブラックコーヒーの組み合わせがいかに素晴らしいか、この男は一生知ることはないのだと思うことで、鷹津の無礼を和彦は静かに許したのだ。
「目が嫌なら、喉元だ。とにかく突け。思いきりな」
和彦が顔をしかめると、呆れたように鷹津がため息をつく。
「お前、野獣相手にお上品に説得したら、どうにかなるなんて考えてねーだろうな?」
「……そこまでお人よしじゃない」
どうだかな、と言いたげに鷹津が鼻を鳴らす。
雪が解けてから、和彦はログハウスの周辺を走るようになり、室内でも簡単な筋トレを始めた。鷹津は、和彦の体調が完全に復調するのを待っていたように、朝から物騒なことを言い出したのだ。
「言っておくが、お前がのほほんとしていられるのは、いままで運がよかったからだ。長嶺父子の威光が強すぎるってのもある。だがな、本当にヤバイ奴には、そんなものは通用しない。むしろ、積極的にお前を狙ってくる可能性もゼロじゃないってことだ。手加減のない暴力ってのは一度受けたら、肉体以上に精神がぶっ壊れる」
「経験者は語る、か?」
「おう。何度、ボッコボコにされたか。おかげで性格が捻くれた」
鷹津なりの冗談なのか判断がつかず、和彦は微妙な表情で返す。
「大事なのは、初手の攻撃を受けないこと。ケンカ慣れしてないお前に、殴り合いで勝てなんて無茶は求めない。とにかく、相手の虚を衝け」
「そのために、目や喉元を狙うのは効果的だと」
「警察署では、女相手に護身術の講習会を開くことがあるんだ。そのとき教えるのは、腕を掴まれたときの振り払い方や、背後から拘束されたときの逃げ方だ。非力な人間でもできるあまり力を使わない方法で、主に変質者相手を想定したものだが、さて、お前を狙ってくるとしたら、その類の連中だと思うか? 指を捻ったぐらいで逃げ出すような小心者だと?」
和彦の脳裏に浮かんだのは、南郷の顔だった。もしかすると、何か目的を持った暴漢に狙われることもあるかもしれないが、現在のところ和彦が明確に敵意と畏怖を同時に抱いているのは、南郷しかいない。
「……容赦するなということか」
「それぐらいの覚悟を持てということだ」
自ら身を守る術を得ようとしている今の和彦の状況を知ったとき、長嶺の男たち――特に賢吾はどんな顔をするだろうかと、ふと想像する。ここに来てから、賢吾のことはあえて意識の片隅に閉じ込めるようにしている。それでもときおり考えてしまうのは、賢吾という存在の重さ故だ。
それをわかっているから、自分自身が押し潰されかねないと、和彦は危惧を抱く。肉体は衰弱とは程遠いところまで立ち直ったが、精神はまだ不安定で、前触れもなく塞ぎ込みそうになるのだ。
大蛇の執着に晒されて大丈夫だとは、到底言えない。
「一度、あの世界から離れてみると、自分の弱さを実感するんだ。ぼく自身は非力で、何も力を持たない」
「お前を知ってる人間なら、みんなわかってることだな。だからこそ、有効な手がある」
「なんだ?」
「非力で弱い存在に、大抵の奴は油断するってことだ」
あー、と和彦は声を洩らす。目や喉元を狙えという話は、ここに繋がるのだ。ついムキになって鷹津に問いかける。
「ぼくを知らない相手だったら? 例えば、誰かに依頼されて、ぼくを拉致しに来たとしたら。そういう人間なら、相手が誰だろうが油断しないだろ」
「……さらりと物騒なこと言うな、お前は。そうだな――」
不自然に言葉を切った鷹津は何事もなかったようにパンにかぶりつき、最初は返答を待っていた和彦だが、あまりに自然に食事を続けるため、諦めて自分のシュガートーストを食べる。コーヒーも飲み干してしまうと、さっさと鷹津が立ち上がり、片付けを始める。和彦も自分の使った食器をキッチンに持っていくと、鷹津が受け取ってあっという間に洗い始める。
「なあ、さっきの話の続きは……?」
「わかりやすく実践してやるから、テーブルとイスを壁際に移動させてくれ」
四人掛けとはいえコンパクトなテーブルセットなので、難しい作業ではない。和彦が言われた通りにテーブルとイスを移動させると、鷹津がキッチンから出てくる。
「俺に凄んでみろ」
「はあ?」
「組の奴らがよくやるだろ。相手の襟元掴んで、顔を近づけて威嚇するのを。あれをやってみろ」
何を言い出すのかと疑問に思いながらも、鷹津はいたって真剣な顔をしているため、なんとなく逆らえない。和彦は鷹津が着ているトレーナーの襟元を掴み寄せ、本人なりに鋭い眼光で鷹津を見据えて顔を近づける。
「……俺の記憶にある組の奴らは、そんなにお上品じゃなかったぞ」
「本物と比べるなっ。踏んできた場数が違うだろっ」
一瞬、鷹津の両目に殺気が宿った。本能的に和彦が身構えるより先に、片頬にふっと鷹津のてのひらが触れた。殴られた――わけではない。完全にふいをつかれたせいで、軽く力を加えられただけで顔の向きを変えられ、さらに視界がぐるりと上下にひっくり返る。気がついたときには、天井を見上げていた。
鷹津の襟元は掴んだままだが、それ以上の力で、鷹津に腕を掴まれている。仰向けで倒れそうになっている自分を支えているたのだとようやく理解したとき、鷹津に声をかけられた。
「おい、立てるか?」
和彦は、鷹津の腕にすがりつくようにして体勢を立て直す。自分の身に何が起こったのか、まだよく事態が呑み込めなかった。
「今のが制圧術の一つだ。相手のバランスを崩せばいいから、本来ならほとんど力はいらない。今みたいに体を支える必要はないからな。遠慮なく相手は地面に転がしておけ」
鷹津はもう一度、今度は体の動きを説明しながら、ゆっくりと実演をする。最初のときは突然のことでわからなかったが、しっかり足も払われたため、簡単に体のバランスが崩されたのだ。
「次は、背後から拘束されたときの対処法だ。――毎日少しずつ教えてやるから、何度も繰り返して体に叩き込め。俺相手に決められるようになれば、そうだな……、初見のチンピラ程度なら、ぶちのめせるはずだ。いい機会だから、打撃技も教えてやる」
「……先は長いな」
「時間はたっぷりある。多分な」
鷹津自身、このログハウスにどれぐらいの期間滞在するのか、はっきりとした目途は立っていないのだろう。すべては、外の状況次第なのだ。
このでかい男を本当に転がせるようになるだろうかと心配する和彦とは対照的に、鷹津は意味ありげに薄い笑みを浮かべる。このときになって、まだ腕を掴んでいる手の力強さを意識する。
耳元に顔を寄せた鷹津が囁いてきた。
「じっくりと、〈あいつら〉の知らないお前に作り替えてやる」
背筋に走ったのは強烈な疼きで、咄嗟に身を引こうとした和彦だが、あっさりと鷹津の両腕の中に捉えられていた。
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