4番目の許婚候補

富樫 聖夜

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フェア用SS

ネクタイにご用心

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2013年どこでも読書フェア用SSです。
時系列は3巻あたり。
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「やっぱりネクタイですかね」
 私が言うと、水沢さんと川西さんがうなずいた。
「そうね。面白味はないけど、それが無難よね。かさばらないし」
「こういう時は結局定番が外れがないのよ」
 その言葉に私もうんうんうなずいて、ペンを手に取る。
「じゃあ、昇進祝いはネクタイを買うことにします」
 私は広げていたノートに書いた「ネクタイ」という走り書きの文字に、二重丸を描いた。

 この春、うちの課の仁科係長と田中主任がそろって昇進した。
 係長は課長へ。主任は係長に。
 それで課のみんなで何かお祝いを贈ろうという話になって、その品物を何にするか昼休みの時間を利用して相談していたのだ。
 なぜ私がこんなことをやるかというと、秘書業務を受け持っているから。
 もう一人同じ職についている先輩もいるんだけど、部長にくっついて出張していることが多いため、なんだかんだ言ってその手の役目は私に回ってくる。
 お金を徴収するのも、その品物を買うのも渡すのも。
 徴収するのは一向に構わないのだけど、問題は渡す品物も私が選ぶ必要があるってことだ。
 自分のお金だけならともかく、みんなのお金だから下手なものは渡せない。
 結局、ネクタイという無難な方向へ行った私は、ネクタイ選びも水沢さんと川西さんに手伝ってもらった。
 いやだって、デパートに行ったんだけどものすごい種類があるんだ、これがまた。
 ブランドモノからノーブランドのものまで。
 値段もピンキリで、何を標準に選んだらいいのか全く分からない。
 課長や係長が好むブランドが分かればそこから選ぶという手もあるんだけど、ネクタイって表から見ているだけじゃ、それがどのブランドなのか分からないんだよね。
 皆でああでもこうでもないと一時間以上迷って、結局予算上限で買える中で一番無難なものになった。
 仁科課長にはどんなビジネスシーンでもOKな、ちょっとグレーがかった青の無地。
 無地といっても生地に折り柄と光沢があるから、とても高級そうに見える。
 田中係長は水色の細かいチェック柄だ。
 課長に比べて社外の人と会議する機会は少ないから少しカジュアルでも大丈夫だろうとの判断だ。
 ちなみに係長のネクタイを選んだのは恋人の川西さん。
 そしてなぜか課長のネクタイは私が選ばされた。
「上条ちゃんの選んだ色と柄なら、課長は絶対気に入るはずだから」
 って言って。

 休み明けの月曜日、買ったネクタイを持参した私は、いつ渡せばいいか思案していた。
 皆がお金を出し合ったものだから、みんなの前で渡したい。
 けれど、今日は月曜日で、あの二人は朝から社内会議やら他の課との打ち合わせの予定が目白押しだ。
 今だってマーケティング部へ二人揃って行っている。そしてその後には、課長には現在進めているとあるプロジェクトについて他社との打ち合わせの予定が入っている。
 私はパソコンで課長の予定表を見て「うーん」と唸った後、マグカップを手に給湯室に向かった。
 ティーパックの紅茶を入れ、その場で啜りながらどうしようかと考える。
 今日渡すなら、会議や打ち合わせの合間に戻ってくるその時か、一通りすべての予定が終わる就業時間の終了間際かになる。
 でも予定が押せ押せになると、その余裕もなくなるだろうし……
 そんなことを考えていると、こっちに向かって廊下を急ぎ足でやってくる複数の足音が聞こえた。
 戸口に顔を向けた私は、給湯室に入ってきた人たちを見て目を見張る。
「課長? 係長?」
 それはなんとマーケティング部に打ち合わせにいっているはずの仁科課長と田中係長だった。
 もう終わったのかと思った私だったけど、すぐに異変に気づく。
 課長がハンカチを右手に巻いていたのだ。
 それに、ワイシャツの胸のところが茶色くシミになっていた。
「上条か。悪い、そこどいてくれ。水使うから」
「は、はいっ」
 流しに寄りかかっていた私は、田中係長の言葉に慌てて脇に移動する。
「ごめんね、上条さん」
 微笑んでそう言ってから課長はハンカチを取って、蛇口から流れる水に右手をつっこんで冷やし始める。その手の甲はうっすらと赤くなっていた。これはもしかして……
「もしかして、火傷? コーヒーですか?」
「ああ、こぼしてしまってね」
 水で手を冷やしながら課長は答えた。けれど、係長が首を振る。
「お前のせいじゃないだろう。あれは、引っかけられたようなものだ」
「へ?」
 ――どうも、マーケティング部の女性社員の間で、誰が課長たちにお茶出しするかで熾烈な争いがあったらしい。
 そんな争いがあったことなど億尾にも出さないで、課長たちの所にコーヒーを持ってきたのは一人の女性社員だった。
 けれど、実はその彼女は争奪戦の勝者ではなかったのだ。
 直後にそれは発覚した。
 本来持っていくはずだった女性社員が「私が持っていくはずだったのに!」と言ってその場にやってきて、彼女に詰め寄ったのだ。
 どうやらお手洗いのために席を外していた隙に、抜け駆けされてしまったらしい。
 そのすごい剣幕に抜け駆けした彼女はビビッて後ずさりし、ちょうどコーヒーを飲もうとカップを持ち上げていた課長の手にぶつかってしまったのだ。
 その衝撃を受けても、課長はカップを離しはしなかったけれど、中身は盛大に零れて右手の甲と胸を直撃した。
 もちろんその場は大騒ぎになったが、二人は大したことはないとすぐに切り上げて帰ってきたらしい。
「あの場にいると、また二の舞になりそうだったからな」
 確かに、誰が手当するかでまた騒ぎになりそうだ。モテる人は大変だ。
「課長、大丈夫ですか?」
「赤くなっただけだから大丈夫。だけど問題はこっちだな」
 そう言って課長は自分の胸を見下ろした。
 白いシャツと細いストライプの入った淡いグレーのネクタイには、茶色いシミができている。
 社内だったこともあり、上着を着ていなかったのが災いしたようだ。
「この後、外部の会社と会議があるから、さすがにこれはマズイ」
「あっ」
 そうだ。この後、課長には他社との打ち合わせの予定があるのだ。
 コーヒーのシミのできた服を着ていくわけにはいかない。
 私は腕時計を見て顔をしかめた。
 外に替えの服を買いに行く時間もなさそうだ。

「ワイシャツは俺のを貸してやるよ」
 そこにのんびりとした声がかかる。田中係長だ。
「ちょうどクリーニングに出したのを、今朝受け取ってそのまま持ってきていていたんだ。サイズは同じだからそれに着替えればいい。あとは……ネクタイだな」
 ……ネクタイ!
 私の脳裏に、買ってきたばかりのお祝いの品が浮かんだ。
 そう、あれを今活用しないでどうするというのだ!
「ネクタイならあります!」
 私は口を開こうとした課長に、力いっぱい言った。
「昇進のお祝いに課のみんなでネクタイをご用意したんです。課長と係長のお二人に。それ、今日持ってきてますので、ぜひ使って下さい!」
 課長が私を顔を見下ろして、にこっと微笑んだ。
「そうか。それじゃ、皆の好意、有難く使わせてもらおうかな」
「はい! 今、持ってきますね!」

 急いで自分の席に戻り、川西さんと水沢さんに簡単に事情を説明した後、私は綺麗に梱包された包みを手に取って給湯室に戻った。
 そこではすでに係長の持ってきたワイシャツに着替え、一番上の首元のボタンをはめている課長の姿があった。
 係長のワイシャツは白の無地ではなくて、水色の細かいストライプが入ったものだ。
 白の無地よりオシャレ感がアップしていて、私はちょっと見とれてしまった。
 上着で隠すのが勿体ないくらいだ。
「ネクタイはそれ?」
 ぼうっとしている私に課長がやさしく尋ねる。
 私は慌ててうなずくと、その細長い包みを差し出した。
 ところが課長は笑顔のまま、こんなことを言い出したのだった。
「すまないけど、つけてくれるかな? 右手を動かすと少し引きつるような痛みがあってね」
「へ?」
 わ、私に課長のネクタイを結べ、と?
 思わず隣にいた係長に救いの目を向けてしまう。
 けれど彼は嫌そうに首を振った。
「野郎のネクタイを結ぶのはゴメンだな」
 BL的には美味しいシチュエーションなんだけど!
 とっさにそう思ってしまった私は、従姉妹の真央ちゃんにだいぶ毒されているかもしれない。
 けれど、ここのいる唯一の他人に断られてしまったからには、私がネクタイを結ぶしかないようだ。
 私は観念してネクタイの梱包を解いた。
 出てきたのは私の選んだ、青とグレーの混じった綺麗なネクタイ。
 幸い今着ているワイシャツにも、濃紺のスーツにもよく似合う。
 私はそのネクタイを手に、課長におずおずと言った。
「あ、あの、それじゃ、ちょっと屈んでもらえますか?」
 課長の背は高くて肩幅も広いので、私の背ではちょっと結びづらいのだ。
 課長はその言葉に「いいよ」と微笑んで私の方に屈んだ。
 急に近づいた顔にドキドキしながら私はネクタイを課長の首に回す。
 高校はブレザーでネクタイ着用だったから、結び方は知っている。
 けれど、自分でやるのと他人にやってあげるのは、だいぶ勝手が違った。
 手順を思い出しながら、もたもた結んでいると、ふと吐息が触れるくらい近い距離に課長の顔があって、じっと見られていることに気づいて、顔がカッと熱くなった。
 か、顔が、近い……!
 それに、このネクタイを結んであげている状態は、はたから見れば夫婦か恋人のように見えるのでは……?
 そう思うとますます顔は赤くなるし、心臓がドキドキして手が震えてしまう。
 それなのにようやく結び終わり、最後にきゅっとネクタイを締めて整えた後、手を離す時、とても残念な気がしたから不思議だ。
 課長が頭を上げながら言った。
「ありがとう、上条さん。とても助かったよ」
 それから、流しに置いてあったハンカチを手に取って私に微笑む。
「じゃあ、これからみんなの所にお礼を言いに行こうか」
「え?」
「これ、課のみんなからのお祝いなんだろう? おかげで助かったとお礼と報告をしなければね」
「はい!」
 私は笑顔で頷いた。
 さすが仁科課長だ。
 それに、そう。この機会に一緒に田中係長の分もみんなの前で渡してしまえばいい。
「私、一足先に部屋に戻って、田中係長の分もご用意しておきますね」
「おう、サンキュ」
 私は二人に軽く会釈すると、給湯室を出て廊下を部屋に向かった。
 課長にとっては不運な出来事だったけれど、私にしてみればそれほど悪いことじゃなかったと思いながら。

 * * *

 ……けれど、廊下を小走りに進む私は、給湯室を出ながら二人がこんな会話をしていたのに気付くことはなかった。
「何が手が痛くて、だ。ほとんど痛くないくせに、このムッツリが」
「酷いな。火傷したんだから、痛いのは事実だよ」
 苦笑する課長に、係長が眉を上げながら言った。
「それに、お前……確か机の中にネクタイ、常備していたよな? いつ不測の事態があってもいいようにって」
「……そうだったっけ? そんなことすっかり忘れていたよ」
 けれど、そう答える課長の口元にはいつもと違った種類の笑みが浮かんでいた。
 
 ――果たして、得をしたのはどっち?
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