天に掲げよ!懸かり乱れの龍旗を!〜もし上杉謙信が天才軍師を得ていたら〜

友理潤

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第一部・第三章 窮途末路

虎穴虎子! 本庄繁長の乱①

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永禄3年(1560年)4月1日――


 はたから見れば何事もなく年を越し、そして田植えの時期を無事に終えた越後国。

 しかし、その内側では大小様々な思惑が渦巻き、それらは少しずつ芽を出そうと、根を張り続けていたのである。

 そして……

 最初に芽を出したのは……


ーー武田晴信、進軍開始!! 晴信自らが二万の大軍を率いて、川中島へと向かっておるとのこと!!


 という報せであったーー


………
……
 武田軍の侵攻の報せが春日山城に届けられると、長尾景虎は早速家老たちを御館に集めた。
 田植えが終わったばかりということもあり、越後北部に領土を持つ揚北衆たちは、軒並み参加を見送ったが、それ以外の家老たちは景虎の招集に応じたのだった。

 もちろん名目は『武田晴信への対処』。

 景虎としては、大事な『長尾家統合』や『関東将軍拝命』が再来月に控えているだけに、今は軍事行動は起こしたくない、というのが本音だ。
 このような事にならないように、それらの時期は、あえて「来年のどこか」という噂を流布していたのだが、どこからどう漏れたのだろうか……
 
 しかし今はそのことを誰ぞに問いただしている場合ではない。

 とにかく今は二万の武田軍をどうにかしなければ、川中島は彼らによって蹂躙されてしまうだろう。
 長尾景虎は考えることもなく、自らが一軍を率いて出陣することを即決したのである。


「むざむざ出てきたか……望み通り、わが姫鶴一文字の錆にしてくれよう」
 
 
 これら全てが長尾政景の計算通りであったのは言うまでもあるまい。
 
 
 そして彼の想定通り、川中島への迎撃には、『景虎派』の中心とも言える、柿崎景家や本庄実乃(ほんじょうさねより)などの勇猛果敢な面々がずらりと顔を揃えたのだった。
 
 そんな中にあって長尾政景は一つの懸念を口にした。
 
 
「本庄繁長が何やら不穏な動きを見せております。ついては家老の一人を春日山城の留守居役として任命いただき、何かあればその者がすぐに対処できるようにしていただきたい」


 長尾家が長年苦しめられてきた本庄家に不穏な動きありと聞けば、無視することは出来ない。
 しかし明確な動きがない限り、長尾軍の主力の一部を春日山に置いておくことは、そのまま川中島における戦力の低下を意味する。
 
 最悪、本庄繁長が反乱を起こしても、現在は地元で待機している他の揚北衆たちと協力して鎮圧に向かえば、大ごとにならずに済む可能性が高い。
 
 これらを加味すれば、最低限の戦力を春日山に残しておけばよいという結論が導かれることは、もはや自然の流れというものだ。
 
 そうなればおのずと選択肢は一つ。
 すなわち「新参者」の中でも、特に動かせる兵が少ない者を留守に指名するということ……
 
 
「辰丸、お主は春日山に残り、何かあれば政景殿の指示に従って動くがよい」


「御意にございます」


 景虎はやむを得ず、辰丸にそう指示した。
 この時の辰丸はまだ城も持たず、せいぜい動かせる兵数は百人程度だ。
 その上、『景虎派』にも『上田派』にも属していない彼であれば、政景と摩擦を起こすこともないだろう。
 彼の鬼謀や川中島の地理に関する知識といった、彼の『頭脳』が使えないのは痛手ではあるが、今は仕方のないことだと景虎は割り切ったのだった。
 
 辰丸は景虎に一礼した後に、隣に座っている政景に対しても頭を下げる。
 
 
「政景様、どうぞよろしくお願いいたします」


「うむ、辰丸よ。そなたの働き、大いに期待しておる。わしとともに春日山と越後を固く守ろうぞ」


「はっ! かしこまりました! 」


 何を疑うこともなく、表裏のない声で返事をする辰丸。
 そんな彼のことを、政景は口元を緩ませながら見つめていた。
 そして政景の頭の中は、早くも次の事へと意識を傾け始めていたのであった。
 
 
 こうして政景の蒔いた種は、一つ芽を出せば、次々と芽を出していく。
 そして芽を出した途端に、長尾景虎と辰丸の二人の未来を覆い隠さんと、その蔓は急速に伸びていったのだった――
 
 
………
……
永禄3年(1560年)4月2日――
 
 
 評定の翌日にも関わらず長尾景虎は素早く兵を集めると、朝日が昇り始めるとともに出陣の触れを発した。
 
 
「狙うは宿敵、武田晴信の首! 皆の者! われに続け!! 」

――オオオオ!!


 景虎の号令が春日山の空にこだますと、長尾軍二万は一斉に進軍を開始する。
 彼らを見送る家中の者たちの中に辰丸の姿もあった。
 
 長尾家の家臣の一人として名を連ねて以降、景虎なき越後に残るのは初めての事となる辰丸は、言いようのない不安を胸の内に抱えていたことは確かだ。
 
 もちろんその不安の元が何なのかは分からない。
 
 しかし何か重大な事が起こるのではないかという予感は、いかに威風堂々とした輝かしい景虎の姿を見ても拭えるものではなかったのだった。
 
 
――ポンッ……


 すると、固い顔をしていた辰丸の肩の上に、優しく手が置かれた。
 辰丸はその手の持ち主の方へ視線を移すと、意外な人物の姿に思わず目を丸くした。
 
 それは留守居役の大将とも言える、長尾政景その人だったのである。
 彼は穏やかな口調で辰丸に話しかけたのだった。
 
 
「何も心配する事はない。景虎殿が戦の天才であれば、わしは留守居の秀才じゃ。
わしに全てを任せておけば、無事に留守居の大任を果たすことが出来よう! はははっ!! 」


 辰丸は豪快に笑い声を上げる政景の瞳をじっと見つめた。
 

 一方の政景も、辰丸の瞳をじっと見つめ返す。
 
 
 龍と大蛇が互いを牽制する……
 
 
 見る者が見れば、そのように映ったに違いない。
 
 
 それは決して火花を散らすようなあからさまな敵対を意味するものではない。
 ところが決して手と手を取り合うような友好的なものでもなかった。

 どこか互いの間合いを計るような……

 そんな緊張感を漂わせるものだったのである。

 
 しばらく視線を交わした二人。
 先にその視線をそらしたのは政景であった。


「では、わしは自分の屋敷に戻るゆえ、何かあればいつでも相談に来るがよい」


 政景は辰丸に背を向けてゆっくりと歩き出す。
 辰丸はその背中にも、じっと視線を向けていた。
 
 
 辰丸の目に入らぬ所まで歩いてきた政景の口元がニタリと緩む。
 
 
「鬱陶しい目をする男よのう」


 と、呟くとそのまま屋敷の中へと姿を消していったのだった。
 
 
 
 
 そして……
 
 それは景虎が川中島へと向かっていった翌々日の事だった――
 
 
 
――本庄繁長が蜂起!! 兵を集め、進軍の動きあり!!


 
 との一報が春日山城へと飛び込んできたのだ。
 
 
 もちろんこれも……
 
 
 長尾政景の蒔いた種の一つであった。


………
…… 
永禄3年(1560年)4月5日――
 
 
 春日山城の留守居を任された家老たちは、緊急で長尾政景の屋敷に集められると、今後の対応を協議した。
 そしてまるで高い場所から低い場所へと水が落ちていくかのように、ごく自然に本庄繁長の乱の鎮圧に向かう軍の大将は決められたのである。
 
 
 それは……


 辰丸であった。
 
 
「出陣は明日! 『川中島の守り神』と称された神算鬼謀の辰丸殿に全てを任せる! 大いに武功を立てられよ!! 」


 政景が高らかに告げると、辰丸は深々と頭を下げた。
 もちろん辞退する事は許されない。
 
 
 もはや政景の張った罠に自ら足を運んで行くより道が残されていない事を、辰丸は正しく理解していた。
 そして既に腹を括った辰丸は、自分の屋敷に戻ると険しい表情で呟いたのだった。
 
 
「こうなれば仕方ありません…… 政景様との勝負、受けて立ちましょう」


 と――
 
 
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