小江戸・川越 神様のいるドッグカフェ 楓庵

友理潤

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第一幕 女装のナイト

プロローグ

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「とおりゃんせ とおりゃんせ~」

 小学生低学年とおぼしき女の子が、小さな口を大きく動かしながら歌い始めた。
 梅雨の晴れ間の蒸し暑さも、空が茜色に染まる頃にはひと段落し、道行く人々の顔もやわらいでいる。
 埼玉県内で屈指の観光地として知られる川越もまた同じだった。
 蔵造りの建物が続くメインストリートから少し離れた三芳野神社の参道は、木々の合間から覗く夕日によってオレンジ色に染まり、その中を3つの影が本殿に向かってゆっくりと進んでいる。

「こ~こはど~この 細道じゃ~」

 女の子と手をつないだお母さんが細い声で続く。
 二人が歌う『通りゃんせ』というわらべ歌の舞台は、この三芳野神社だという説があるらしい。女の子は、地元の高校で歴史の先生をしているお母さんからそのことを聞いたばかりだったのだ。

「天神さまの 細道じゃ~」

 女の子はもう一つの影の主に目をやりながら歌う。
 だがその主から歌声は返ってくるはずはない。
 なぜならチョコ色のトイプードルなのだから。
 スキップするような軽い足取りで、くりっとした瞳を女の子に向けている。
 その後も革のリードでつながれたトイプードルを相手に、女の子とお母さんの二人は息の合った歌を披露した。

「行きはよいよい 帰りはこわい~
こわいながらも
とお~りゃんせ とおりゃんせ~」

 そうして本殿の手前までやってきたところで、同じ歌詞を3回繰り返した合唱も終わった。

「ねえ、ママ。どうして『行きはよいよい』で『帰りはこわい』の?」

 女の子がお母さんを見上げながら不思議そうな目を向ける。
 お母さんは慈しむような優しい目で女の子を見つめながら、にこりと微笑んだ。

「昔、この神社はおっきなお城の中にあったの。だからここで暮らす人々がお参りする時、行きはすぐに通してもらえても、帰りは何か盗まれていないか、お奉行さんから厳しく取り締まられたようなの。うふふ。今では信じられないわよね」

 そうお母さんが解説し終えた頃には、女の子の興味はもう『通りゃんせ』の歌詞にはなかった。

「チョコ~! あははっ!」

 境内の中を「チョコ」と呼ばれたトイプードルとともに駆けまわっている。

「こらっ、和美《なごみ》。あんまり走ると転ぶわよ。それにチョコはもう年なんだから、そんなに連れまわしたらばてちゃうわ」

 困ったような顔でたしなめたお母さんは、ちらりと本殿の右手にある森に目を向けた。
 彼女の目には映っていないが、森の奥には『楓庵《かえであん》』と書かれた木造の看板がある。
 そこは知る人ぞ知る『行きはよいよい、帰りはこわいドッグカフェ』。
 なぜ帰りはこわいのか――それは楓庵にいる『神様』が『ペットを黄泉に送る』からだ。
 つまり年季の入った木のドアを開けば、ペットが生きて店を出ることはできず、飼い主は一人で帰るより他ないのだ。
 それでもひっきりなしに客が訪れるのは、楓庵にはちょっとした秘密があるからで……。
 そのことを知っているお母さんは、ぶるっと身震いをすると、弾んだ声をあげた。

「さあ、帰ってご飯にしましょう!」
「は~い!!」

 女の子が元気よく返すと、チョコも嬉しそうに尻尾を振る。
 そして3人は並んできた道を引き返しはじめる。
 彼女たちと入れ違うようにして、一人の若い女性が長い髪をなびかせながら、早足に本殿へ向かっていった。
 その表情があまりに厳しかったため、お母さんは思わず振り返って、彼女の足取りを目で追った。
 すると彼女は本殿ではなく、楓庵のある森へと消えていったではないか。

「お母さん、どうしたの?」
「え、あ、いや、なんでもないわ」

 お母さんは再び視線を前に戻した。
 空は紫色に変わりつつある。
 暗くなる前に家に帰ろう、そう気持ちを切り替えたお母さんは、女の子の手をぎゅっと握って、大きく足を踏み出したのだった。

◇◇

 チリリン――。
 木のドアが開くと同時に、来客を知らせる鈴が軽やかに鳴り響く。
 楓庵の不思議を求めるお客様に違いない。
 店のオーナーである、太田八尋《おおたやひろ》はカウンターの中から声をあげた。

「いらっしゃい」

 甘さと苦みが交じり合った色気のあるバリトンボイス。
 その声色に負けないくらい甘い顔立ちをした八尋の表情が、店に入ってきた若い女性を見て、少しだけ変わった。

「……おや?」

 思わず驚きの声が漏れたのも無理はない。
 お客様はすべからくペットと一緒のはずなのに、彼女はたった一人なのだから……。
 どうしてだろう、と小首を傾げた彼に対し、彼女は可愛らしい童顔を歪めて、開口一番、こう告げてきたのだった。

「お願いです! 私をここで雇ってください!」

 と――。

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