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第一幕 女装のナイト
森を抜けた先には……
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◇◇
「お会計は2600円になります! ありがとうございました! またお待ちしております!」
痛い……。痛すぎる出費だわ……。
でも、満足そうにお腹をさすりながら「すごくうまかったぜ! ありがとな!」と素直にお礼を言ってきた少年を見れば、これでよかったのだと思えるから不思議なものだ。
「大丈夫か? 顔色悪いけど」
「えっ? うん、大丈夫よ。全然平気だから!」
本当はあまり大丈夫ではないが、そんなことを他人に打ち明けるのは気が引ける。武士は食わねど高楊枝ってやつだ。
それよりも気になって仕方ないのは、なんでこの子は私の隣を堂々と歩いているのか、ってこと。
今はメインストリートから少し離れたお店を出て、駅の方へ向かっている。
もしかして本当に迷子なのかもしれない。
そこで私は少しかがんで、彼と視線を合わせた。
「あなたはどこからきたの?」
「俺の名はソラだ! あなたって名前じゃねえよ!」
質問の答えになっていないが、まぁ名前が分かっただけでもよしとしようか。
「分かったわ、ソラくん。私は美乃里っていうの。ところでソラくんはお母さんとお父さんからはぐれちゃったのかな?」
「違うやい! 俺の母ちゃんと父ちゃんは空のてっぺんにいるんだ!」
「空のてっぺん……」
ソラが指さした方を見やると、青い空とゆったりと流れる白い雲が目に入る。
空にいるってことは……。そういうことよね……。
「ごめんね。嫌なことを思い出させちゃったね」
私が眉をひそめて暗い声をあげると、ソラは不思議そうに小首をかしげた。
「なんで美乃里が謝るんだ?」
「だって……」
「へんっ! これだからニンゲンはダメなんだよ! 何かあるといっつも謝ってばかり。俺は美乃里にうめえもん食わせてもらって感謝してるんだぜ? 謝ってもらう筋合いはねえよ。ほら、顔をあげろって。美乃里は何かを探してるんだろ? おまえの全身から焦りや不安の臭《にお》いがプンプン漂ってるしな。さあ、探し物が何なのか言ってみなって。せっかく言葉が使えるだからよ!」
な、なんなの? この子は……。
それに臭いってなによ?
ちゃんと汗を良い香りに変える柔軟剤を使ってるんだから!
言いたいことがありすぎて、かえって言葉が出てこない。
そんな私を見て、ソラはふいっと顔をそむけた。
「ちっ。言いたくないなら仕方ねえ。でもな。俺は受けた恩を絶対に返すのが信条なんだ。だからいいこと教えてやる」
「いいこと?」
「ああ、次に鐘の音が聞こえてきたら、三芳野神社の隣にある森の奥へ行ってみろ」
「へっ……? どうして?」と聞き返した私から、とっとと弾むような足取りで三歩離れたソラは、くるりとこちらを振り返った。
「そこに楓庵って茶屋があるからよ。そこに入ったら、美乃里がして欲しいことをちゃんと言ってみるんだぜ! 言葉は使わなきゃもったいないし、素直な気持ちを口に出せばすっきりするからよ」
「え、あ、うん……」
有無を言わせぬソラの口調に、思わず首を縦に振ったものの、彼の意図がまったく理解ができない。
けどソラは私の様子に満足したようだ。
ニカっと太陽のような笑顔になった。
「じゃあ、約束だぞ! これからは自分のして欲しいことは素直に言うってな!!」
そう言い残した彼は、風のように走り去ったのだった。
◇◇
ソラと別れた後、アルバイト探しを再開した私に、ちょっとした変化が生じた。
「あのぉ。アルバイトって募集してたりしませんか?」と声に出して聞けるようになったのだ。
ソラに「せっかく言葉が使えるんだから」と言われたからなのは、認めたくないけど事実だと思う。
どのお店にも「今はちょっと……」とやんわり断られたから、結果は変わらなかった。それでも何も言わないで店の前を横切るだけよりは、ずいぶんと気持ちが晴れやかなことに気づかされた。
これも「素直な気持ちを口に出せばすっきりするからよ」というソラの言ったことがピタリと当てはまったわけだ。
日は徐々に傾き、空の青に赤みが混じりはじめた頃。
ちょうど蔵造りの建物が続く通りを歩いていたところで、ドォーンと鈍い鐘の音が響いてきた。
音がしてきた方へ顔を上げると、ひときわ目立つ木造の塔のようなものが目に入る。
それは『時の鐘』と呼ばれている時計台で、江戸時代から庶民に時を報せてきたらしい。今では午前6時、正午、午後3時、午後6時の4回、鐘が鳴らされているのだそうだ。
スマホのロック画面に映る「18:00」の文字を見つめながら、私はソラから言われた言葉を思い起こしていた。
――次に鐘の音が聞こえてきたら、三芳野神社の隣にある森の奥へ行ってみろ。
たしか『かえであん』という茶屋があるって言ってたな。
ネットで『かえであん』と検索してみたが、ここら辺にはそういう名前のカフェはなさそうだ。
どういうことだろう?
でもソラが嘘を言ったとは思えない。
もしかしたらできたばかりのカフェでネットには情報がないのかもしれない。
だとしたらオープニングスタッフを募集してたりして。
ほのかな期待に胸を膨らませた私は、今立っている場所から三芳野神社までのルートを検索した。
ダメ元で彼の言葉を信じてみよう。
もしカフェがなければ、三芳野神社でお参りして帰ればいい。
そしておしゃれなカフェで働くのはあきらめて、普通にネットで職を探そう。
そう考えた私は東に進路をとって歩き出した。
けど人が少なくなるにつれて、消えかけていた不安が顔をのぞかせてくる。
自然と顔がこわばっていくのが分かった。
そうして夕日が目に映るすべてをオレンジ色に染めた頃に、三芳野神社の細い参道までやってきた。
途中、ペットを連れたお母さんと女の子にすれ違う。
でも挨拶すらせずに、私はソラが言ってた森の中へ入った。
高い木々に囲まれてうっそうとしている。
早くしないと真っ暗になっちゃう。
どこを歩いているのか分からなかったけど、とにかく前に進んでいく。
すると『楓庵』と書かれた木の看板がかけられた、木造の一軒家が目に飛び込んできたのだ。
一軒家というよりは草庵と言った方がいいかもしれない。まるでこの世のものではないくらいに浮世離れしているように感じられた。
古びた木のドアを押すと、ギイと音を立てながら開いていく。
チリリン――。
涼やかな鈴の音に心がすっと軽くなるのを覚えた。
中は木製のテーブルが2つとそれぞれに椅子が4脚ずつ。それとカウンターに4席。
そのカウンターの奥にはすらりと背の高い、細身の男性が一人。
顔に刻まれた皺や、白髪交じりの髪、醸し出している雰囲気からして、私よりも10は年上だろう。
でも中性的で端正な顔立ち、すっと伸びた高い鼻、そして優しそうな細い目は、年齢を感じさせない。
「いらっしゃい。……おや?」
心地よい重低音のきいた声だ。
客としてカウンターに座って、その声を堪能したい欲求にかられる。
でも私には言うべき言葉がある。
――じゃあ、約束だぞ! これからは自分のして欲しいことは素直に言うってな!!
ソラが何者なのか分からないけど、私は彼の言葉に背中を押されるように、大きな声で告げたのだった。
「お願いです! 私をここで雇ってください!」
「お会計は2600円になります! ありがとうございました! またお待ちしております!」
痛い……。痛すぎる出費だわ……。
でも、満足そうにお腹をさすりながら「すごくうまかったぜ! ありがとな!」と素直にお礼を言ってきた少年を見れば、これでよかったのだと思えるから不思議なものだ。
「大丈夫か? 顔色悪いけど」
「えっ? うん、大丈夫よ。全然平気だから!」
本当はあまり大丈夫ではないが、そんなことを他人に打ち明けるのは気が引ける。武士は食わねど高楊枝ってやつだ。
それよりも気になって仕方ないのは、なんでこの子は私の隣を堂々と歩いているのか、ってこと。
今はメインストリートから少し離れたお店を出て、駅の方へ向かっている。
もしかして本当に迷子なのかもしれない。
そこで私は少しかがんで、彼と視線を合わせた。
「あなたはどこからきたの?」
「俺の名はソラだ! あなたって名前じゃねえよ!」
質問の答えになっていないが、まぁ名前が分かっただけでもよしとしようか。
「分かったわ、ソラくん。私は美乃里っていうの。ところでソラくんはお母さんとお父さんからはぐれちゃったのかな?」
「違うやい! 俺の母ちゃんと父ちゃんは空のてっぺんにいるんだ!」
「空のてっぺん……」
ソラが指さした方を見やると、青い空とゆったりと流れる白い雲が目に入る。
空にいるってことは……。そういうことよね……。
「ごめんね。嫌なことを思い出させちゃったね」
私が眉をひそめて暗い声をあげると、ソラは不思議そうに小首をかしげた。
「なんで美乃里が謝るんだ?」
「だって……」
「へんっ! これだからニンゲンはダメなんだよ! 何かあるといっつも謝ってばかり。俺は美乃里にうめえもん食わせてもらって感謝してるんだぜ? 謝ってもらう筋合いはねえよ。ほら、顔をあげろって。美乃里は何かを探してるんだろ? おまえの全身から焦りや不安の臭《にお》いがプンプン漂ってるしな。さあ、探し物が何なのか言ってみなって。せっかく言葉が使えるだからよ!」
な、なんなの? この子は……。
それに臭いってなによ?
ちゃんと汗を良い香りに変える柔軟剤を使ってるんだから!
言いたいことがありすぎて、かえって言葉が出てこない。
そんな私を見て、ソラはふいっと顔をそむけた。
「ちっ。言いたくないなら仕方ねえ。でもな。俺は受けた恩を絶対に返すのが信条なんだ。だからいいこと教えてやる」
「いいこと?」
「ああ、次に鐘の音が聞こえてきたら、三芳野神社の隣にある森の奥へ行ってみろ」
「へっ……? どうして?」と聞き返した私から、とっとと弾むような足取りで三歩離れたソラは、くるりとこちらを振り返った。
「そこに楓庵って茶屋があるからよ。そこに入ったら、美乃里がして欲しいことをちゃんと言ってみるんだぜ! 言葉は使わなきゃもったいないし、素直な気持ちを口に出せばすっきりするからよ」
「え、あ、うん……」
有無を言わせぬソラの口調に、思わず首を縦に振ったものの、彼の意図がまったく理解ができない。
けどソラは私の様子に満足したようだ。
ニカっと太陽のような笑顔になった。
「じゃあ、約束だぞ! これからは自分のして欲しいことは素直に言うってな!!」
そう言い残した彼は、風のように走り去ったのだった。
◇◇
ソラと別れた後、アルバイト探しを再開した私に、ちょっとした変化が生じた。
「あのぉ。アルバイトって募集してたりしませんか?」と声に出して聞けるようになったのだ。
ソラに「せっかく言葉が使えるんだから」と言われたからなのは、認めたくないけど事実だと思う。
どのお店にも「今はちょっと……」とやんわり断られたから、結果は変わらなかった。それでも何も言わないで店の前を横切るだけよりは、ずいぶんと気持ちが晴れやかなことに気づかされた。
これも「素直な気持ちを口に出せばすっきりするからよ」というソラの言ったことがピタリと当てはまったわけだ。
日は徐々に傾き、空の青に赤みが混じりはじめた頃。
ちょうど蔵造りの建物が続く通りを歩いていたところで、ドォーンと鈍い鐘の音が響いてきた。
音がしてきた方へ顔を上げると、ひときわ目立つ木造の塔のようなものが目に入る。
それは『時の鐘』と呼ばれている時計台で、江戸時代から庶民に時を報せてきたらしい。今では午前6時、正午、午後3時、午後6時の4回、鐘が鳴らされているのだそうだ。
スマホのロック画面に映る「18:00」の文字を見つめながら、私はソラから言われた言葉を思い起こしていた。
――次に鐘の音が聞こえてきたら、三芳野神社の隣にある森の奥へ行ってみろ。
たしか『かえであん』という茶屋があるって言ってたな。
ネットで『かえであん』と検索してみたが、ここら辺にはそういう名前のカフェはなさそうだ。
どういうことだろう?
でもソラが嘘を言ったとは思えない。
もしかしたらできたばかりのカフェでネットには情報がないのかもしれない。
だとしたらオープニングスタッフを募集してたりして。
ほのかな期待に胸を膨らませた私は、今立っている場所から三芳野神社までのルートを検索した。
ダメ元で彼の言葉を信じてみよう。
もしカフェがなければ、三芳野神社でお参りして帰ればいい。
そしておしゃれなカフェで働くのはあきらめて、普通にネットで職を探そう。
そう考えた私は東に進路をとって歩き出した。
けど人が少なくなるにつれて、消えかけていた不安が顔をのぞかせてくる。
自然と顔がこわばっていくのが分かった。
そうして夕日が目に映るすべてをオレンジ色に染めた頃に、三芳野神社の細い参道までやってきた。
途中、ペットを連れたお母さんと女の子にすれ違う。
でも挨拶すらせずに、私はソラが言ってた森の中へ入った。
高い木々に囲まれてうっそうとしている。
早くしないと真っ暗になっちゃう。
どこを歩いているのか分からなかったけど、とにかく前に進んでいく。
すると『楓庵』と書かれた木の看板がかけられた、木造の一軒家が目に飛び込んできたのだ。
一軒家というよりは草庵と言った方がいいかもしれない。まるでこの世のものではないくらいに浮世離れしているように感じられた。
古びた木のドアを押すと、ギイと音を立てながら開いていく。
チリリン――。
涼やかな鈴の音に心がすっと軽くなるのを覚えた。
中は木製のテーブルが2つとそれぞれに椅子が4脚ずつ。それとカウンターに4席。
そのカウンターの奥にはすらりと背の高い、細身の男性が一人。
顔に刻まれた皺や、白髪交じりの髪、醸し出している雰囲気からして、私よりも10は年上だろう。
でも中性的で端正な顔立ち、すっと伸びた高い鼻、そして優しそうな細い目は、年齢を感じさせない。
「いらっしゃい。……おや?」
心地よい重低音のきいた声だ。
客としてカウンターに座って、その声を堪能したい欲求にかられる。
でも私には言うべき言葉がある。
――じゃあ、約束だぞ! これからは自分のして欲しいことは素直に言うってな!!
ソラが何者なのか分からないけど、私は彼の言葉に背中を押されるように、大きな声で告げたのだった。
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