小江戸・川越 神様のいるドッグカフェ 楓庵

友理潤

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第一幕 女装のナイト

このドッグカフェ、普通じゃない

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「えっ……?」

 明らかに動揺を隠せないでいるおじさま。
 そりゃそうよね。
 店に入ってきた見知らぬ人に、いきなり「雇ってください!」なんて言われたら、誰でもそうなると思う。
 でも一度口に出してしまったからには後に引けない。

「お願いします! もうここしかないんです! 私、こういう雰囲気のカフェで働くのが憧れで、町中を探し回ったんですけど、どこもアルバイトなんて募集してなくて。だからここで断られたら、おしまいにしようって決めてるんです。お願いです! 私を働かせてください!」

 私は必死に頭を下げた。
 すると正面にいるおじさまとは違う方向から声が聞こえてきたのだ。

「八尋。いいじゃねえか。働いてもらいなよ」

 私は声の主の方へ顔を向ける。カウンターの奥の影からぬっと姿をあらわしたのは、なんとソラだった。唖然とする私を見て、彼は大きく口を開けて笑い飛ばした。

「あはは。鳩が豆鉄砲を食ったような顔しやがって。まさか美乃里が奉公先を求めていたなんて思いもよらなかったぜ」

 八尋と呼ばれたおじさまがソラへしかめ顔を向ける。

「そう簡単に言われてもね。ここは普通とは少し違うことをソラ様もご存知でしょうに……」

「普通じゃねえだと? へんっ! ニンゲンが勝手に決めた物差しで測るんじゃねえよ」

「しかし……」

「しかしもかかしもあるもんか! 女中を一人雇ったところで、給金が出せねえわけでもあるまい。美乃里の人となりは安心しろ。俺のお墨付きだ。ちょっと臆病なところはあるが、悪いヤツじゃねえよ。あとは働けるかどうかだ。ただそれは、八尋じゃなくて美乃里が決めることだろ?」

「うーん……。分かりましたよ」

 見た目からして親子ほどに年が離れているはずなのに、ソラは八尋さんを丸め込めんでしまった。
 それに八尋さんはソラに『様』をつけていたけど、いったいどういう関係なんだろう?

「やいっ、美乃里! ボサッとしてる暇なんてねえぞ。客がくるから」

「えっ?」

 ソラがひょいっと投げたものを受け取ると、それは真っ白なエプロンだった。
 どうやら戸惑っている場合ではないみたい。
 私はジャケットを脱いでエプロンをつける。
 その直後、背後のドアが開けられて、ちりりんと鈴の音が響いた。

「い、いらっしゃいませ!」

 大学4年間、コンビニでアルバイトしていたからだろうか。お客さんの来店と同時に声が出ていた。
 ところが挨拶した後に顔をあげた私は、ぎょっとして次の言葉を失ってしまった。
 今年還暦を迎える私の母よりは年下と思われるおばさまだ。黒いシャツの上から、薄手の黒いカーディガンを羽織っている。丈の長いスカートも黒。つまり彼女は全身を黒で固めており、まるで葬式の参列者を彷彿させるコーデだったのだ。
 しかし私の肝を冷やしたのは格好ではなく、顔つきだった。
 観光地のカフェにきたとは思えないほど疲れていて、目の下には大きなクマができている。ほとんど化粧もしていないようで、深い皺が目立っていた。
 まるでこの世の終わりのような表情に、失礼ながら背筋に冷たいものが走ってしまったのである。
 固くなった私に対し、彼女は消え入りそうな声でたずねてきたのだった。

「どの席に座ればいいかしら?」
「え? それは、あの……」
「空いてる席にどうぞ」

 私に代わって、八尋さんがカウンター越しに声をかけた。

「はい」

 低くて沈んだ声をあげた彼女は、フラフラした足取りでテーブル席に腰をかけようとしている。

「だ、大丈夫ですか?」

 私が手を貸すと、おばさまは「ありがとう」と口元に乾いた笑みを浮かべて席に着き、フリフリのついたガーリーなバッグを膝の上に置いた。
 持つ手が少し震えてたから、彼女にしてみればかなり重いに違いない。

「あの、お荷物をこちらにどうぞ」

 気を利かせたつもりで、店の脇に置いてあった竹製のバスケットを彼女の椅子の横に差し出した。
 けど急に彼女は険しい表情になって、鋭い声をあげたのだった。

「そんなもの。いらないに決まってるでしょ!」
「えっ?」

 なんで怒られたのか分からずに目を白黒させる私を、おばさまは眉間にしわを寄せて睨みつけている。
 とにかくこういう時は謝るに限る。
 私は深々と頭を下げた。

「ご、ごめんなさい」
「このバッグが何なのか、見ればわかるでしょう!?」

 いえ、分かりません。
 ……とは言えずに困っていると、八尋さんが右手で水の入ったコップをテーブルに置いた。そして左手に持っていたものをおばさまの前へ出しながら問いかけたのである。

「こちらもテーブルの上でよろしいでしょうか?」

 それは白い陶器でできたペット用の水入れ。
 おばさまの顔がみるみるうちにほころび、真っ青だった頬に赤みが加わった。

「ふふ。ありがとう。テーブルの上でいいわ」
「かしこまりました」

 もしかしてバッグの中にペットがいるの?
 ここはペット同伴OKのドッグカフェってこと?
 にわかに混乱した私。
 しかし驚くのはまだ早かった。
 次の瞬間、とんでもないことが起こったのである。

「ねえ、ママ。大丈夫!? ママの怒った声が聞こえたけど!」

 なんとバッグの中から高い声が聞こえてきたではないか!

「まあ! レオちゃん! ママは大丈夫よ。心配かけて、ごめんね」
「ううん、ママが大丈夫ならいいんだ。ねえ、そろそろ顔を出したいよ」
「そうよね! ごめんね、ママ気づかなくて!」

 おばさまは慌ててバッグのファスナーを開けた。
 するとヒョコリと顔を出したのは、真っ白な毛並みのロングコートチワワだ。
 右耳の横に小さな赤いリボンをつけ、薄いピンク色した女の子用の服を着ている。
 まさか、チワワがしゃべったというの……?
 嘘だ! 疲れすぎて幻聴が聞こえただけに違いない!
 そう自分に言い聞かせていたものの、もう一度チワワがしゃべったのだった。

「ねえ、ママ! 何か食べたい!」

 間違いない。ここのドッグカフェは普通じゃないわ……。


 
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