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第三幕 伝言ふたつ
26.もう一つの伝言
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「どうして……?」
顔を真っ青にした美憂さんが真っ先に反応し、私は言葉を失ってしまった。
かたくなに自分の内面をさらけ出そうとしなかったおじいさんが、自分を変えてまでして、絞り出した言葉なのだ。嘘偽りのない、真っすぐで透き通った想いなのは、赤の他人の私にも痛いほど伝わってきた。
それを「伝えられない」と一蹴するだなんて……。
私は心配になって、フクからおじいさんに視線を移した。
けど彼は驚くほど冷静な顔つきでフクのことをじっと見つめていたのだ。
そしてフクの大きな瞳の奥から何かを感じたのだろうか。
目をつむりながら微笑むと、「おまえの話したいことを話してみろ」と促した。
するとフクは、おばあさんが亡くなった日のことを、もう一度語り出したのだった――。
◇◇
あの日のばあちゃんはとにかくよくしゃべったんだよ。
目をらんらんと輝かせて、遠くを見つめてさ。
まるで俺とは違う景色を見ているみたいだった。
「喜明さんはね。映画が本当に好きでね――」
喜明……? ああ、じいさんのことか。
宅配便のお兄さんが荷物の受取人を確認する時くらいしか、じいさんの名前なんて聞いたことなかったから、誰のことだかぱっと思いつかなかった。
でもばあちゃんは、なんで今さらじいさんのことを話しはじめたのだろう?
そう疑問を覚えながらも、俺はばあちゃんの話に耳を傾けていた。
「女学生だった頃、お友達同士で川越のホームラン劇場で映画を観にいった時にね、もぎりのアルバイトをしていた喜明さんと出会ったのよ。
グレーのベレー帽を斜めにかぶっていて、ちょっと日本人離れした端正な顔立ち。まるで映画のスクリーンから出てきたスターのように、私には見えたわ。
父親以外の男の人と接するなんて、小学校以来ほとんどなかった私は、彼と目を合わせただけで、胸をドキドキさせちゃってね。
ふしだらと笑ってくれてもいいのよ。
チケットを手渡す時に、ちょっとだけ指を伸ばして彼に触れたの。
顔がかっと熱くなって、ふわふわと浮き上がったような気分になってね。その後の映画の内容なんてまったく頭に入ってこなかった。
映画が終わって、なんだか夢からさめたようで寂しい気持ちになっていたのだけど、私にとっての本番はここからだった。
なんと喜明さんが劇場の出口で待っていてくれて、私を食事に誘ったの!
その時はパニックになってしまって、逃げるように帰ってしまったのだけど、すごく後悔してねぇ。だから覚悟を決めて、数日後にもう一度会いにいったのね。嫌われても仕方ない。でもこのまま顔を合わせなければ、もっと後悔するってね。
そしたらまた食事に誘ってくれた。
すごく嬉しくて、天にも昇るような気分だったわ――。
今でもすごく感謝しているの。
もちろん喜明さんのことよ。だって私には彼を食事に誘う勇気なんて、これっぽっちもなかったんだもの。
もしできるものなら、喜明さんに『あの時、食事に誘ってくれてありがとう』って伝えたい。
でも、私ったらだめね。歳を重ねるたびに頑固になって。
私の口から喜明さんに、昔のことを『ありがとう』なんて言えない。
だからフク。もしあなたがいつか喜明さんとお話しできるようになったら、あなたの口から彼に伝えてほしいのよ――」
◇◇
そこで話をきったフクのことを、おじいさんは目を大きく見開いて見つめていた。
それはそうだろう。
おじいさんの『謝りたいこと』が、おばあさんにとっては『感謝したいこと』だったのだから……。
みなが唖然とする中、フクは淡々とした口調で続けた。
◇◇
その後もさ。
じいさんとののろけ話だったよ。
「初めてのデートはね。映画に行ったの。ホラー映画。
ふふ。私、昔からホラー映画が苦手で。ずっと目を閉じてたんだけど、すごく幸せだったのよ。
だって喜明さんが、ずーっと手をつないでくれていたから」
でも……。でもさ……。
「新婚旅行は北海道で山を登ったの。
山頂から眺める景色はとってもきれいでね。
心の底から、ここに連れてきてくれた喜明さんに感謝したわ。
そして一生この人について行こうって、あらためて誓ったのよ」
ばあちゃんの顔が、今までにないくらいに輝いていたんだよ。
「息子が生まれたのは、雪が降る寒い日だったわ。
出産の瞬間に立ちえなかった喜明さんに、私はちょっぴり拗ねてね。でも退院した後、彼が裸足でいた時に気づいたの。
足の裏が傷だらけだって。
彼は最後まで教えてくれなかったんでけど、お義母さんから聞いたのよ。
出産の日。彼はお百度参りをしていたの。しかも凍えるような寒さの中を裸足でね。
それを聞いた時、必死で神様にお参りしている姿を想像したら、嬉しくて思わず泣けてきてね。
ありがとう、って心の中で何度も頭を下げたのよ」
俺はずっとばあちゃんのことが不憫でならなかったんだぜ。
じいさんがばあちゃんのことなんて見向きもしないからさ。
でもよ……。
「毎日朝早くから夜遅くまで、私と息子のためにお仕事頑張ってくれて。
どんなに忙しくても愚痴の一つも言わずにね。
本当にありがった。
おかげで息子は立派に育って、可愛い孫まで生まれたんだもの」
無邪気な笑顔で話すばあちゃんを見て、俺は心の底から安心したんだ。
だってさ……。
「たまに私をお酒に誘ってくれてね。
二人きりで過ごす時間はとても楽しかったわ。
何度、ありがとうを言っても足りないくらい感謝してる」
ばあちゃんはじいさんと一緒になれて、誰よりも幸せだったんだから。
「私はあなたと一緒に人生を歩むことができたことに感謝しております。
ありがとうございました。
心から愛しております。
そう伝えてくれるかしら――?」
それがばあちゃんの最期の言葉だったよ。
顔を真っ青にした美憂さんが真っ先に反応し、私は言葉を失ってしまった。
かたくなに自分の内面をさらけ出そうとしなかったおじいさんが、自分を変えてまでして、絞り出した言葉なのだ。嘘偽りのない、真っすぐで透き通った想いなのは、赤の他人の私にも痛いほど伝わってきた。
それを「伝えられない」と一蹴するだなんて……。
私は心配になって、フクからおじいさんに視線を移した。
けど彼は驚くほど冷静な顔つきでフクのことをじっと見つめていたのだ。
そしてフクの大きな瞳の奥から何かを感じたのだろうか。
目をつむりながら微笑むと、「おまえの話したいことを話してみろ」と促した。
するとフクは、おばあさんが亡くなった日のことを、もう一度語り出したのだった――。
◇◇
あの日のばあちゃんはとにかくよくしゃべったんだよ。
目をらんらんと輝かせて、遠くを見つめてさ。
まるで俺とは違う景色を見ているみたいだった。
「喜明さんはね。映画が本当に好きでね――」
喜明……? ああ、じいさんのことか。
宅配便のお兄さんが荷物の受取人を確認する時くらいしか、じいさんの名前なんて聞いたことなかったから、誰のことだかぱっと思いつかなかった。
でもばあちゃんは、なんで今さらじいさんのことを話しはじめたのだろう?
そう疑問を覚えながらも、俺はばあちゃんの話に耳を傾けていた。
「女学生だった頃、お友達同士で川越のホームラン劇場で映画を観にいった時にね、もぎりのアルバイトをしていた喜明さんと出会ったのよ。
グレーのベレー帽を斜めにかぶっていて、ちょっと日本人離れした端正な顔立ち。まるで映画のスクリーンから出てきたスターのように、私には見えたわ。
父親以外の男の人と接するなんて、小学校以来ほとんどなかった私は、彼と目を合わせただけで、胸をドキドキさせちゃってね。
ふしだらと笑ってくれてもいいのよ。
チケットを手渡す時に、ちょっとだけ指を伸ばして彼に触れたの。
顔がかっと熱くなって、ふわふわと浮き上がったような気分になってね。その後の映画の内容なんてまったく頭に入ってこなかった。
映画が終わって、なんだか夢からさめたようで寂しい気持ちになっていたのだけど、私にとっての本番はここからだった。
なんと喜明さんが劇場の出口で待っていてくれて、私を食事に誘ったの!
その時はパニックになってしまって、逃げるように帰ってしまったのだけど、すごく後悔してねぇ。だから覚悟を決めて、数日後にもう一度会いにいったのね。嫌われても仕方ない。でもこのまま顔を合わせなければ、もっと後悔するってね。
そしたらまた食事に誘ってくれた。
すごく嬉しくて、天にも昇るような気分だったわ――。
今でもすごく感謝しているの。
もちろん喜明さんのことよ。だって私には彼を食事に誘う勇気なんて、これっぽっちもなかったんだもの。
もしできるものなら、喜明さんに『あの時、食事に誘ってくれてありがとう』って伝えたい。
でも、私ったらだめね。歳を重ねるたびに頑固になって。
私の口から喜明さんに、昔のことを『ありがとう』なんて言えない。
だからフク。もしあなたがいつか喜明さんとお話しできるようになったら、あなたの口から彼に伝えてほしいのよ――」
◇◇
そこで話をきったフクのことを、おじいさんは目を大きく見開いて見つめていた。
それはそうだろう。
おじいさんの『謝りたいこと』が、おばあさんにとっては『感謝したいこと』だったのだから……。
みなが唖然とする中、フクは淡々とした口調で続けた。
◇◇
その後もさ。
じいさんとののろけ話だったよ。
「初めてのデートはね。映画に行ったの。ホラー映画。
ふふ。私、昔からホラー映画が苦手で。ずっと目を閉じてたんだけど、すごく幸せだったのよ。
だって喜明さんが、ずーっと手をつないでくれていたから」
でも……。でもさ……。
「新婚旅行は北海道で山を登ったの。
山頂から眺める景色はとってもきれいでね。
心の底から、ここに連れてきてくれた喜明さんに感謝したわ。
そして一生この人について行こうって、あらためて誓ったのよ」
ばあちゃんの顔が、今までにないくらいに輝いていたんだよ。
「息子が生まれたのは、雪が降る寒い日だったわ。
出産の瞬間に立ちえなかった喜明さんに、私はちょっぴり拗ねてね。でも退院した後、彼が裸足でいた時に気づいたの。
足の裏が傷だらけだって。
彼は最後まで教えてくれなかったんでけど、お義母さんから聞いたのよ。
出産の日。彼はお百度参りをしていたの。しかも凍えるような寒さの中を裸足でね。
それを聞いた時、必死で神様にお参りしている姿を想像したら、嬉しくて思わず泣けてきてね。
ありがとう、って心の中で何度も頭を下げたのよ」
俺はずっとばあちゃんのことが不憫でならなかったんだぜ。
じいさんがばあちゃんのことなんて見向きもしないからさ。
でもよ……。
「毎日朝早くから夜遅くまで、私と息子のためにお仕事頑張ってくれて。
どんなに忙しくても愚痴の一つも言わずにね。
本当にありがった。
おかげで息子は立派に育って、可愛い孫まで生まれたんだもの」
無邪気な笑顔で話すばあちゃんを見て、俺は心の底から安心したんだ。
だってさ……。
「たまに私をお酒に誘ってくれてね。
二人きりで過ごす時間はとても楽しかったわ。
何度、ありがとうを言っても足りないくらい感謝してる」
ばあちゃんはじいさんと一緒になれて、誰よりも幸せだったんだから。
「私はあなたと一緒に人生を歩むことができたことに感謝しております。
ありがとうございました。
心から愛しております。
そう伝えてくれるかしら――?」
それがばあちゃんの最期の言葉だったよ。
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