小江戸・川越 神様のいるドッグカフェ 楓庵

友理潤

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第四幕 よみがえりのノクターン

33.いつだって迷った時は、後悔しない道を選べばいい

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◇◇

 参拝を終え、人混みから離れると、とたんに溜まっていた疲れがどっと出てきた。足が棒のようになり、肩が重い。ちらりと横を見ると、茜の顔にも疲れがじんわりと見えていて、ちょっと安心した。だって高校時代の彼女は『永久機関か!?』と疑ってしまうほど無尽蔵な体力の持ち主だったから、「次は喜多院に行こうよ!」とか言われたらどうしようかドキドキしていたのだ。
 これも歳を取ったせいかしら?
 そんなことを考えていると、茜が私の顔を覗き込みながら低い声をあげた。

「ねえ、美乃里。今、何か失礼なことを思い浮かべたでしょ?」

 あなたはエスパーか?
 と言えるはずもなく、慌ててごまかす。

「へっ!? ち、違うよ! そろそろどこかでお茶したいな、って思っただけだから!」

「そうね。何か甘いものでも食べたいわ」

「あら、いいの? さっき神様に『今年こそはダイエットに成功しますように!』って願ったばかりじゃなかったの?」

「美乃里って昔から結構イジワルよね」

 そんなやり取りをしながら駅の方へ向かう。
 元旦から開いているお店もあったけど、どこも人だかりで腰を落ち着かせることなんて、とうてい無理そう。
 そこで飛び出した茜の爆弾発言。

「美乃里の住むワンルームマンションって近くだったよね?」

「ああ、これって拒否権ないよね?」

「川越を待ち合わせ場所に指定したのは美乃里でしょ。だったら私に休憩場所を指定する権利があると思わない?」

 返す言葉もございません。
 川越駅に着くなり、券売機で志木駅までの運賃である260円分の切符を買って、茜に手渡したのだった。

◇◇

 志木駅に着いた頃には、日が傾き、あっという間に辺りは夕やみに包まれていた。
 途中に立ち寄ったコンビニで、茜はスイーツだけじゃなく、缶ビールと酎ハイを合わせて10本と大量のおつまみを買い込んでいたから、どうやら今日は部屋に泊まっていくつもりなのだろう。
 困ったな。テーブルの上はみかんの皮だらけだし、ベッドの周りなんか部屋着が散らかりっぱなしだよ……。
 私の戸惑った視線に気づいた彼女は、

「ん? どうした? 夜を明かすにはこれじゃ足りない? あ、もしかして明日、なんか予定あった?」と、小首をかしげている。

 こうなれば泊めてあげる以外の選択肢はなさそうだ。
 まあ、いいか。茜とゆっくり時間を過ごすなんて10年ぶりだもんね。
 そう覚悟を決めてしまえばワクワクするものだ。

「ううん。別にないから大丈夫。茜の方こそ荷物をホテルに置きっぱなしで平気なの?」
「平気、平気! 明日の朝10時までにチェックアウトすればOKだから」

 こうしてうちでのお泊り会が決まった。
 人を部屋に入れるのも久々だし、時間を気にすることなく飲み明かすのなんて何年ぶりだろうか。自然と体がポカポカと温かくなり、足が速くなる。

「ちょっと! 速いって! こっちの荷物は重いんだから!」
「じゃあ、持ってあげる!」

 私はコンビニの袋をかすめ取るようにして手に取る。重い。けどまったく気にならなから、弾むような足取りも変わらない。
 私は、後ろから必死になって追いかけてくる茜の息遣いを聞きながら、夜道を軽快に進んでいったのだった。

◇◇

 夜更けすぎ。もう時計は午前2時を回っている。つもる話を終えると、とたんにまったりした雰囲気に包まれた。
 部屋の中央にデンと鎮座しているコタツつきのテーブルに、私と茜は向かいあうように座り、テレビに映したYoutubeの猫動画を観ながら、私はレモンチューハイを、茜はビールをちびちびとすすっていた。

「へぇ。氷川神社って2組の夫婦と、そのうちの1組の間に生まれた息子が神様としてまつられているんだって。知ってた?」

 茜は何か話していないと眠気に襲われそうで怖かったのだろうか。うつろな目でスマホをいじりながら氷川神社についてうんちくを語りはじめる。
 その一方で、私の頭の中は別のことで埋め尽くされようとしていた。言うまでもなく八尋さんのことだ。

「その息子さんは大国主神おおくにぬしのかみって言うのね。えっ? 別名『大黒様』だって! 知ってた?」

 茜の言葉が右の耳から左の耳へそのまま抜けていく。けど彼女も別に私に真剣に聞いてほしいとは思ってないみたい。その証拠に「知ってた?」と聞いてくる割には、どんどん話を進めている。

「大黒様って6人も奥さんがいて、子どももたくさんいたみたい。すごいわね。知ってた?」

 それから茜の話はそれぞれの奥さんと子どものことに移っていったが、私の意識は八尋さんでいっぱいになっていた。
 
 もし八尋さんが八島凛之助だったとして、私はどうするべきなのだろうか?
 やっぱり自分から過去を話し出すまでは、これまで通りに接した方がいいのかな?
 でも一度知ってしまった以上は、『これまで通り』というのは、私の方が無理だ……。懸命に隠そうと努力しても、きっといつかボロを出してしまうに決まってる。
 でも、余計なことを言って八尋さんを傷つけてしまったら……。
 ああ、どうしよう。どうしたらいいの!?
 困惑を振り払おうとしたとたんに、再び茜の声が耳に届きはじめる。

「んで、一番最後の奥さんが鳥取神ととりのかみと言って、霊を運んでくる鳥をつかまえる神様みたい。息子さんは鳥鳴海神とりなるみのかみで――その正体はよく分かっていないようね。霊を運ぶ鳥に関連しているそうだけど……。知ってた?」

 霊を運ぶ鳥?
 そんなのどうでもいいわよ!
 ったく、私の気も知らないで、何をのんきな!

「知らないわよ! そんなこと!」と、声を荒げてしまった。

 頬を酒でほんのり赤く染めた茜は目を丸くしたが、すぐに目を細めて微笑んだ。しかしその笑みは決して人をからかったりしているような類のものではなく、温かみをおびた優しいものだった。

「八尋さんにどう接したらいいんだろう、って悩んでいるんでしょ?」

「え、あ、うん……」

 ひとりでに視線が落ちて、手にしていた缶チューハイの飲み口に吸い込まれていく。真っ黒で、まったく先が見通せないのは、私の心の中を映しているようで、ますます気分が落ちていく。
 そんな私の真横に、茜は腰をおろしたまま、ずりずりと寄ってくる。そして私の背中を優しくさすりながら口を開いた。

「美乃里はどうしたいの?」

 それはかつて八尋さんに投げかけられた問いとまったく同じもので、トクンと胸が脈打った。

「私は……」と口を開きかけたところで、茜は片手で私を制した。

「あ、ちょっと待って美乃里!」

「な、なに?」

「あなたが考えていることは、おおよそ見当がつくわ。だからもし私があなたの立場だったらってことを話させて!」

 眉をひそめた私に口を挟ませる隙など与えずに、茜の舌はスポーツカーのエンジンのように高速に回り出す。

「過去のことなんて1ミリも気にしない。
 大事なのは未来よ!
 100年に1人と呼ばれたその才能をカフェの中でくすぶらせているなんて、もったいないと思わない?
 だからいかなる手段を使っても、彼を表舞台に引きずり出す。
 その一部始終を見届けた私は、彼の見事な復活劇を独占記事にして、敏腕記者としての名声を得るの!
 そして数年後。スポットライトを浴び、充実した日々を取り戻した彼は、私にこうささやくのよ。
 『全部、君のおかげだよ。ありがとう。これからはずっと僕のそばにいてくれないか?』ってね。きゃー!!
 こうして私たちはめでたくゴールイン。美乃里との賭けにも完全勝利し、彼の新居であるパリへと旅発つのだった――」

「はぁ? なにそれ?」

「あら? 私はいたって本気よ。私だったらそうするって話をしただけ。でも、美乃里。あんたは違うんでしょ?」
 
 思いのほか強い口調だ。はっと息を飲んだ私に、茜は顔をぐっと近づけて続けた。

「美乃里は他人の痛みに敏感だもんね。
 美術の時間に絵の具を忘れて困ってる人がいたら、その人の隣に座って『一緒の風景を描けば、使う色は一緒よね!』と言って、自分のパレットで一緒に絵を描いたこともあったし。
 あと課外授業でお弁当を持ってこなかった人に、自分のお弁当を分けたりもしてたわね」

「そんな昔のこと……」

「ええ、昔話をしたくて言ったんじゃないわ。
 でもね、美乃里。私はあなたのそういうところが、すごく好きだったの。
 今もそうよ。
 だから自信を持って、自分がしたいようにすればいいと思う。
 だってその方が後悔しないもの。
 相手を真剣に励まそうとしたことで、『余計なお世話だ』と怒られたっていいじゃない。
 怒られるのは一時の痛みで済む。けど後悔はずっと痛みを伴うものよ」

「後悔しない……か」

「そうよ。いつだって迷った時は、後悔しない道を選べばいい。
 もしそれでダメなら、私が励ましてあげるから!
 私はいつでも美乃里の味方だよ」

 そこまで言い終えた茜はニコリと微笑んだと思うと、すぐにちょっと悲しげな表情に変えて、ぼそりとつぶやくように言った。

「綾香もきっとそう思ってるよ……」

 綾香……。私たちの親友……。
 そうよね。きっと彼女だったら、茜と同じことを言ったはずだわ。
 ……いや、むしろ茜は綾香になったつもりで、私を励ましてくれたのかもしれない。だからはじめに『もし自分だったら……』という話からしたのだろう。
 でもそんなことをつっこむのは野暮だ。
 私は素直にコクリとうなずいた。
 茜は安心したように肩の力を抜き、表情を笑顔に戻した。

「よしっ!」

 気合いを入れながら缶ビールを片手に首をかしげる茜。

「うんっ!」

 私も缶チューハイを右手に持って彼女の前に差し出した。

「では、美乃里の健闘を祈って! カンパーイ!!」

「カンパーイ!!」

 茜の缶と私の缶が、ガゴッという鈍い音を立ててぶつかる。
 そして私たちはぐいっと中身を飲み干した。
 ちょっとぬるくなってるし、炭酸は抜けてるけど、すごく美味しい。

「あ、でも、結婚はダメだからね」

 舌をペロッと出した茜に、私は笑顔で答えた。

「ふふ。それはどうかな?」

「ちょっと! 裏切ったら承知しないからね!」

「あはは! 裏切るってなによー! 茜はいつも私の味方なんでしょ?」

「んなっ!? やっぱり美乃里はイジワルだ!」

 その後は二人でゲラゲラ笑いながら、長い夜を飲み明かした。
 次に『楓庵』で働くのは、ちょうど一週間後だ。
 もし八尋さんが八島凛之助だとして、今でも深い哀しみに包まれていたならば、私は迷わない。

 ――絶対に後悔の海から引きずり出してみせる!

 目の前にある親友の笑顔に、そう誓ったのだった。
 
 

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