36 / 60
第四幕 よみがえりのノクターン
36.気づかぬ振りをして
しおりを挟むしばらくお店の外で突っ立ていたものの、さすがに引き返すわけにもいかず、重い足取りで店内に入る。同時に私に向けられたのは心地よいバリトンボイスだった。
「やあ、美乃里さん。あけましておめでとう」
正月太りなんて言葉がない世界の住人のように、無駄なぜい肉のない、すらりと伸びた高い背――。いつも通りの八尋さんだ。
でも私の方はいつも通りとはいかなかった……。
「お、お、おめでとうございましゅっ!!」
なんでもない挨拶なのに噛んでしまう始末……。
ふわふわと浮いているような感覚に陥り、足元が危うくなる。
近くのテーブルにバッグを置き、椅子の背もたれに手をかけることで、ようやく普通に立てた。
でも八尋さんは何かを疑う様子もなく、そんな私に爽やかな笑顔を作っている。
「今年もよろしくね」
「は、はい! こちらこそよろしくお願いしましゅっ!」
また噛んだ……。
ここに来る前、あれほど「自然に!」と自分に言い聞かせていたのに、こんな調子で今日を乗り切れるかしら? 自分で自分が不安で仕方ない。
ソラは呆れた顔してこっちを見てくるし、真冬なのに背中の汗が止まらないし……。
どうにかして心を落ち着けようと、必死になっているうちに、八尋さんが心配そうに声をかけてきた。
「美乃里さん?」
「わ、私のことなら大丈夫です! べ、別に変わったところなんて、ひとつもありませんから!!」
「あ、うん、そうかい。なら着替えてきてくれるかな? もうすぐお客様がこられるからね。あ、そうだ。カウンターの中は床掃除したばかりで滑るから、くれぐれも気を付けてね」
「は、はいっ!!」
早足でカウンターに入り、キッチンの奥にある荷物置き場に向かう。でも床は滑るから慎重に行かなきゃね。これ以上、へまをしようものなら、ますます変だと疑われちゃうもの。
そう考えてカウンターの中を慎重に通り過ぎようとしたその時……。
「ちょっと待って。荷物、テーブルの上に忘れてるよ」
八尋さんの大きな手が、私の肩を優しく触れたのだ。電気が走ったかのような衝撃で、条件反射のように足が止まり、くるりと振り返る。すると互いの鼻がくっつきそうなくらいな距離に八尋さんの顔があるじゃないか!
目がちかちかするほどの綺麗な顔立ちが、視界のすべてを覆いつくしたとたんに、頭の中が電気ケトルのように一瞬で沸騰した。
「ひゃっ!!」
とにかく距離を取らなきゃ!
その一心で足を大きく後ろに踏み出した。
しかしそれがまずかった……。
――ツルッ!!
目に映っていた八尋さんの顔が次の瞬間には、こげ茶色の天井と入れ替わる。そして後頭部に鋭い痛みが走ったとたんに、意識が遠のいていったのだった――。
◇◇
――ふふ。相変わらずミノはおっちょこちょいなんだから。
懐かしい声。鼻をつく独特な消毒液のにおい。
視界は真っ暗なままだけど、ここがどこなのか、私にははっきりと分かっている。
病院だ。たしか高校2年の秋、親友の綾香のお見舞いに、茜と二人でやってきたあの日のことだ。そこは桜の木が見えない病室だった。
――違う、違う! あれは中村先生が悪いの! だって先月ぎっくり腰になったばかりなのよ。それなのに書類を抱えるようにして運んでいたんだから!
――ははは! だからって遅刻しそうなのに、全部自分で持ってあげて、廊下を走るからそんなことになるんだよ! おでこに大きなコブができたくらいで済んでラッキーだったね! さすが、美乃里。持ってるわぁ。
――もうっ! 茜! バカにしてるでしょ!?
――まあまあ、とにかく。大したことなくて良かったじゃない。それもミノの日頃の行いが良いからだと思うよ。
――あはっ。だから私は綾香のことが大好きなのよねぇ。嫌味な誰かさんと違って、私の長所を褒めてくれるから。
――ふんっ! 嫌味で悪かったわね! ああ、もう! 綾香がそうやって美乃里を甘やかすから、いつまでたってもこの子は変わらないんだよぉ。ちょっとは叱ってちょうだい!
……懐かしいなぁ。
私と茜と綾香。高校の入学式の日にたまたま同じタイミングで校門をくぐったのがきっかけで仲良くなり、そのまま親友になるまでに時間なんて必要なかった。
毎朝、駅の改札で待ち合わせし、ランチはいつも私の席でとり、学校が終わってからは決まってファミレスの窓際の席を占領したっけ――。
そう……。私たちはずっと一緒にいた。
でも高校1年の終わりに、体調不良を訴えた綾香はそのまま入院してしまったのよね。それでもあの時は、私たち3人の関係は永遠に変わらないって思い込んでいたな。
――ふふ。ミノは変わる必要なんてないと思う。相手のことを真剣に考えて、行動に移せる人なんて、他に知らないもの。私はミノが友達であることが、とても誇らしい。
出会った頃から透き通るような白い肌の持ち主だったけど、この時の綾香はさらに磨きがかかったかのように儚げで美しい肌をしていた。
そこで気づくべきだったのに、私にはできなかった。
否、本当は気づいていたのかもしれない。けど、気づかぬ振りをしていたんだ。
もう綾香とはお別れなんだって――。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメンエリートは愛妻の下僕になりたがる(イケメンエリートシリーズ第四弾)
便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある
IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC”
謎多き噂の飛び交う外資系一流企業
日本内外のイケメンエリートが
集まる男のみの会社
そのイケメンエリート軍団のキャップ的存在
唯一の既婚者、中山トオルの意外なお話
中山加恋(20歳)
二十歳でトオルの妻になる
何不自由ない新婚生活だが若さゆえ好奇心旺盛
中山トオル(32歳)
17歳の加恋に一目ぼれ
加恋の二十歳の誕生日に強引に結婚する
加恋を愛し過ぎるあまりたまに壊れる
会社では群を抜くほどの超エリートが、
愛してやまない加恋ちゃんに
振り回されたり落ち込まされたり…
そんなイケメンエリートの
ちょっと切なくて笑えるお話
追放聖女だってお茶したい!─セカンドライフはティーサロン経営を志望中─
石田空
ファンタジー
「ミーナ今までありがとう。聖女の座を降りてもらおう」
貴族の利権関係が原因でいきなり聖女をクビになった庶民出身のミーナ。その上あてがわれた婚約者のルカは甘味嫌いで食の趣味が合わない。
「嫌! 人の横暴に付き合うのはもうこりごり! 私は逃げます!」
かくしてミーナは神殿から脱走し、ティーサロン経営のために奔走しはじめた。
ときどき舞い込んでくるトラブル。
慌ててミーナを探しているルカ。
果たしてミーナは理想のセカンドライフを歩めるのか。
甘いお菓子とお茶。そしてちょっとの恋模様。
*サイトより転載になります。
火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~
秦朱音|はたあかね
キャラ文芸
王を中心に五家が支配する、綺羅ノ国。
五家に覡(かんなぎ)として仕える十六夜家の娘、久遠(くおん)は、幼い頃から男として育てられてきた。
都では陽を司る日紫喜家の王が崩御し、素行の悪さで有名な新王・燦(さん)が即位する。燦の后選びに戦々恐々とする五家だったが、燦は十六夜家の才である「夢見」を聞いて后を選ぶと言い始めた。そして、その夢見を行う覡に、燦は男装した久遠を指名する。
見習いの僕がこの国の后を選ぶなんて、荷が重すぎる――!
久遠の苦悩を知ってか知らずか、燦は強引に久遠を寝室に呼んで夢見を命じる。しかし、初めて出会ったはずの久遠と燦の夢には、とある共通点があって――?
謎に包まれた過去を持ち身分を隠す男装姫と、孤独な王の恋と因縁を描く、和風王宮ファンタジー。
※カクヨムにも先行で投稿しています
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
異世界に転移してしまった私、古民家をもらったのでカフェを始めたら大盛況。国王陛下が頻繁に来るのですが、どうしたらいいですか?
来栖とむ
ファンタジー
ブラック企業で疲れ果てた30歳の元OL・美里(みさと)が転移した先は、見渡す限りの深い森。
そこで彼女が授かったのは、魔女の称号……ではなく、一軒の**「日本の古民家」**だった!
亡き祖母が遺したその屋敷には、異世界では失われたはずの「お醤油」「お味噌」「白いお砂糖」という禁断の調味料が眠っていて――。
「えっ、唐揚げにそんなに感動しちゃうの?」
「プリン一口で、国王陛下が泣いちゃった……!?」
おにぎり、オムライス、そして肉汁溢れるハンバーグ。
現代日本の「当たり前」が、この世界では常識を覆す究極の美食に。
お掃除のプロな親子や、お忍びの王様、さらにはツンデレな宮廷料理人まで巻き込んで、
美味しい香りに包まれた、心もお腹も満たされるスローライフが今、始まります!
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
うちの幼馴染がデレすぎてて俺の理性はもう限界。でも毎日が最高に甘いからもうどうでもいいや
静内燕
恋愛
相沢悠太の日常は、規格外の美少女である幼馴染、白石葵によって完全に支配されている。
朝のモーニングコール(ベッドへのダイブ付き)から始まり、登校中の腕組み、そして「あーん」が義務付けられた手作り弁当。誰もが羨むラブラブっぷりだが、悠太はこれを「家族愛」だと頑なに誤解(無視)している。
「ゆーたは私の運命の相手なんだもん!」と、葵のデレデレは今日も過剰の一途。周囲の冷やかしや、葵を狙う男子生徒のプレッシャーが高まる中、悠太の**「幼馴染フィルター」**はついに限界を迎える。
この溺愛っぷり、いつまで「家族」で通せるのか?
甘すぎる日常が、悠太の鈍感な理性を溶かし尽くす――最初からクライマックスの、超高濃度イチャイチャ・ラブコメ、開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる