セックスの価値

神崎

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海に叫ぶ

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 ジムの人に車を置かせてほしいと言ったときだけ、春川はいつもの表情だった。しかしそのあとはいつもよりも覇気がない。何があったのだろうか。聞きたいのに聞けない。こんなに暗く落ち込んでいる彼女を見るのは初めてだったから。
「気分を変えにどこかへ行きませんか。」
 誘ったのは桂の方からだった。きっと断られると思っていたけれど、予想に反して彼女はついて来るという。
 予備のヘルメットを彼女に渡すと、彼女はそれを受け取る。
 彼もヘルメットを被ると、輪留めをはずしエンジンをかけた。バイクに乗ると彼女もその後ろに乗り込み、彼の背中を抱き抱えるように捕まる。その温もりがとても愛しいと思った。
 バイクは進んでいき、町中を走っていく。もう深夜と言っていい時間だ。それでも町が騒がしいのは、居酒屋やバー、キャバクラ、ホストクラブなどの水物の商売がまだ営業しているからだろう。
 やがてその光が消え、静かな通りをバイクが行く。そしてたどり着いたのは海岸だった。夜の砂浜に波が少しだけ光って見える。きっとそれは海ほたるだと思う。
 バイクの風が心地良かったが、止まるとぶわっとまだ汗が出てくるようだった。それに口の中がからからになっている。
 春川はリュックの横にさしてあった水の入ったペットボトルを取ると、そのふたを開けて口付ける。やっと喉が潤った気がした。ふと見ると、桂も喉を押さえている。バイクは気持ちいいが割と喉が渇くのかもしれない。
「何か飲み物でも買いますか?自販機あるかな。」
 すると桂はその彼女に手を差し出した。その意味が一瞬わからなかったが、彼はそれを手にするとふたを空けてそれを口に入れた。飲みかけのモノを飲まれて、彼女は少し頬を赤らませた。
「綺麗なところでしょう?」
 ペットボトルから口を離して、彼は海を見てそう言う。
「えぇ。よく女性を連れてきているのですか?」
 すると彼はそのペットボトルを彼女に手渡して、少し微笑んだ。
「初めて連れてきましたよ。男相手でも連れてこない。」
「……そうでしたか。」
「俺、三十の時からこの仕事を始めましたけどね。やっぱこの体格だし、体力あるって自分でも思うけど、そう絶倫ってわけでもないんですよ。」
「一日何度もシてれば、普通の人よりは体力あると思いますけどね。」
「いろいろしてやっと保ってますよ。サプリメントとか、食事とか、そういったモノにこだわってますけど。」
 体力を作るためにジムへ行ったり、部屋で鍛えているだけじゃないのだろう。いつか彼のバッグの中を見た。その中にある常備薬の中には、きっとサプリメントなんかも入っていたのだろう。
「……そうでしたか。」
「それでも始めたばかりの時はそれもわからなかった。初めての撮影の時は汁男優でしたよ。でもみんなが立たせているのに、俺だけ立たなかったんです。」
 あんなにライトがガンガンに当たり、多くのスタッフの前で勃起をするなんてたぶん普通の人は出来ないだろう。
 だがそれは女優にも言える。彼女には出来ないだろう。
「その夜、たまたまここに来て波の音を聞いて、ぼんやりしてるだけで「明日からもいける」となぜか自信を持てました。」
 彼との間には少し距離がある。それが彼の優しさなのかもしれない。その人間との距離の取り方がうまいのだ。だから彼は魅力があるのだろう。モテるのもわかる気がする。
「下に降ります。」
「降ります?ここは街灯があるから明るいけど、下は光がないから暗いですよ。」
「大丈夫。目が慣れれば何とかなります。」
 そういって彼女は側にあった階段を下りて、砂浜に降りていった。光のあるここからでは、彼女が見えない。かすかに見えるのは、彼女の白いTシャツ。だがそれも少しすれば見えなくなった。
 彼は少しため息を付くと、階下に降りていった。すると思った以上に砂で足を取られそうになる。別の意味でトレーニングになりそうだ。
 彼女が歩いたであろうそこに足を踏み入れると、彼女の姿はすぐに見えた。彼女が言ったように、暗さに目が慣れたのだろう。
「春川さん。」
 彼女は立ち尽くして、ぼんやりと海を見ていたようだ。だがしばらくすると膝を立てて座り込む。
 そして再び立ち上がると、足を広げて砂浜に足を踏ん張る。
「くそーーーー!なめんなよ!!負けてたまるか!」
 大声で海に向かって叫ぶ。何があったのかはわからない。だがそれを見て、彼は少し笑った。そして彼もその横に立ち、足を広げて足を踏ん張った。
「AV男優なめんなよーーーー!」
 その言葉に、彼女は笑った。いつも通りの笑顔だった。
「ははっ。それ今言う?」
「ボキャブラリー少なくて悪かったな。」
「でも……ほんと、舐められてるのは事実。AV男優も、官能小説家も、「たかが」という言葉が絶対前に付いてきます。」
「純文学を書かなければ小説家だと言われないし、普通の規制のかかっていない映画にでなければ俳優として認めてくれないでしょう?」
「その通りですよ。」
 頭をかき、彼は海を見ながら言う。
「この世界の超大物の男優が、いつか言ってた。この業界にはいるんなら、世間から白い目で見られるのは当然と思えって。確かにそうだなって思いますよ。どんなに努力しても、世間からは気持ちいいことをして楽に金を稼いでいるって思われていると思うから。」
「……そうなんですか。」
「今日ね、俺、少し落ち込んでたんですよ。だからジムで汗を流そうって思ったんですけど。」
「仕事で?」
「えぇ。初めてAV撮る監督と、初めてAV撮られる女優。内容は女性向けのAVって言ってたかな。」
「そういう人もいるんでしょうね。」
「えぇ。でもたぶんどう扱っていいかわからないし、たぶん、どんな作品にしようっていう意志がブレてたんじゃないのかな。それで彼女も少しいらついてた。俺もね。そしてあの女優も。」
 どの道筋で作品を撮られていいかわからなければ、彼も戸惑うはずだ。あの女優も戸惑っていたと思う。
「旦那が言ってました。小説を書くにはまずどんな話にするか大まかな道筋を決めて、それに突き進み、最終的に書き上げることが重要だって。小説は何より作品に終わりをつけることが重要なんです。」
「……。」
「その終わりが見えてなかったんでしょうね。その監督さんも。」
「えぇ。そうだと思いますよ。」
「だったら、どうしてキャリアが長いあなたがサポートできなかったんですか?」
 彼は少しため息を付くと、彼女に言う。
「その新人監督の父親は嵐さんでした。」
「つまり親の七光り?」
「えぇ。撮ってみないかで、撮られた。そんな感覚でしたよ。」
 すると彼女もため息を付く。その二人のため息が夜の波に紛れるように消えた。
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