セックスの価値

神崎

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海に叫ぶ

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「少し落ち着きました。ありがとう。つき合ってくれて。」
 春川はそういって彼を見上げる。その表情に桂は抑えていた感情をまた思い出させた。
「俺も今日もやもやしてたから、いい機会になりましたよ。」
 暗くて良かった。きっと顔が赤くなっているのは気づかれないと思ったから。
「こういうときは、ぱーっとお酒でも飲めればいいんですけどね。」
「飲めないんですよ。俺。」
「見かけに寄らないですよね。前にも言ったけど。煙草も吸わないでしょ?」
「前は吸ってたけど煙草って、精力落ちるから。」
「そうなんですか?」
「出来ることはしたいし。」
「やっぱプロ意識高いですよね。」
「それに、この業界は結構そういうストイックな人、多いんですよ。ちゃらく感じるけどね。」
「私もそう思ってました。でもあなたにあってイメージはがらりと変わりましたよ。今度たててるプロットは、この間おつきあいしてもらった出張ホストを題材にしようと思ってます。彼らの中にはAV男優も居るみたいだし、そういう意味でおつきあいがあって良かったと思います。」
「あなたもプロ意識高いですよね。何もかもが小説のネタになってる。」
「えぇ。でも肝心なことはネタにしない。旦那に言われますよ。それが一番私の卑怯なところだって。」
「え?」
 彼女は少し歩き出した。向かった先には、岩場がある。彼もそれについていった。
「一人称では書かない。それは私が経験したことを書かないからだって。私が経験したことなんて……。」
 彼女のことは、わずかしか知らない。小説家の旦那がいること。そして両親はいない。姉は行方不明。それをネタには出来ないだろう。苦しすぎるからだ。
「あんたがそれで苦しいのだったら、無理にすることはないでしょう?」
「逃げてる気がしますよ。」
 少し早足で歩く。そして彼女の横で歩調を揃えた。そのふわふわしている手に、彼は触れたいと思ったからだ。きっとマニキュアもしていない。ハンドクリームすら塗っていない手は、年の割に苦労しているだろう。だけど触りたい。
 思い切って彼はその手に触れた。するとその手がぴくっと反応するように震える。彼女の足が止まった。そして彼を見上げる。
「まだあなたは私に何かしたいと思っているのですか。」
「えぇ。前にも言いましたけど、俺はあなたのことが好きです。」
「人妻ですよ。」
「知ってます。」
「歳だって相当離れてますよ。子供だっていってもおかしくないです。」
「それはあまり関係ないです。」
「それに……。」
「春川さん。好きになるのに条件はないでしょう?あなたの旦那は、俺よりも年上だって言ってました。だけどあなたはそれでもその旦那を好きになった。だから俺があなたを好きになってもおかしくはないでしょう。」
 その言葉に彼女はうつむいた。その通りだ。条件はない。だけど、これは裏切りだ。
 裏切り。
 その言葉が彼女の心をまた苦しめる。
 家を出るとき、彼女は祥吾に嘘を付いた。小説を書くためにホテルで缶詰になると。出来次第帰ると。でも本当は一人になりたかっただけなのに。
 実際は桂といる。これは裏切りだ。
 そして祥吾もまた彼女を裏切り続けている。きっと家には、彼女の知らない若い担当編集者がいるはずだ。甘い声を上げて、彼の下で喘いでいる。それはきっと一晩中続くはずだ。
 彼女はその握られた手を、ぎゅっと握った。大きな手だった。でも柔らかく、温かい。
「春川さん。」
 彼女の様子に、彼は言う。
「はい。」
「今夜はあんたと一緒にいたい。ダメですか?」
「……。」
 その言葉に彼女は戸惑いながらも、消えるような声で言う。
「…ダメじゃないです。」
 すると彼はその手を離し、彼女の体を抱きしめる。何も言葉はいらなかった。波の音だけが耳に触り、彼女は彼の体に手を伸ばす。

 バイクでジムの方へ帰り、そのまま桂は家に帰る。そのあと春川の車に乗り込むと、缶詰になっているホテルへ向かった。
 缶詰になってるホテルはビジネスホテル。そこから彼女は気晴らしにとジムで泳いでいたのだ。缶詰になっている期間は三日目。もうほとんど書き終わっていて、あとは誤字、脱字、表現の言い回しをチェックするだけだという。
「明日帰る予定でした。」
 だから荷物をまとめ上げていたのだろう。床にあるのは、いつも持っているバッグとは別の資料のはいっているトートバッグがある。
「時間は大丈夫なんですか?」
「明日の十時に担当の方が見えます。そのあと、映画の方の打ち合わせをします。」
「映画か。」
「えぇ。今日の昼にも会ってました。ふふっ。」
 彼女は思いだしたように笑い出す。その様子に彼は不思議に思った。
「どうしました?」
「いいえ。若い担当者でしたね。私よりも少し年上に見えましたが、フェラチオって言う単語だけで赤くなってましたから。初な人。」
 そうか。やっと納得した。
 昼にスーツ姿の人と会っていたというのは、映画の担当者だったのだ。彼女にそういう羞恥心が薄いのを、彼はあまり知らなかったのだろう。
「普通の人はそうでしょうね。俺もこの業界に入ってから普通に話すことができましたから。」
「セックスをする上では大事なことでしょう。何もしないのに塗れていない所に突っ込まれたら痛いに決まってます。」
 そう。父親が姉にしていたのは、そういうことだ。自分だけがいいから。自分だけが満足できたらいいと、あまり塗れていない彼女の中に無理矢理自分のモノを入れたのだ。きっと姉には地獄のような毎日だったに違いない。
 そして母はそれに従うしかなかった。安全日を計算して、突っ込ませていた。姉は、今どうしているだろう。
 そのとき桂は彼女の左手を手に取る。そしてその指輪を抜き取った。
「え?」
「今だけ、忘れてくれませんか。」
「……桂さん。」
「春。って言ったら悪かったかな。なんて呼べばいいんですか。」
 少し考えて、彼女は前から思っていた名前を口にする。
「……ルーで。」
「ルー?」
「誰もそう呼んでいないから。あなただけの呼び方です。」
「ルー。」
 指輪をテーブルに置き、彼はまた彼女の手を握る。そしてその手にキスをする。それだけでどきどきする。そして彼女の頬も赤く染まった。
「キスしたい。」
「前にもしてるわ。」
「沢山したい。ルー。こっちを向いて。」
 彼はそういって彼女の顎を持ち上げた。そして少し屈む。彼女も少し背伸びをした。吐息がかかり、そしてその唇に触れた。
 後ろ頭を支え、彼女も彼の首に手を回す。
「んっ……。」
 どれくらいの女とキスをしただろう。だがこんなにキス一つで、胸が熱くなることはない。
 何度も何度もそれを繰り返し、やがて舌で唇を割る。
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