セックスの価値

神崎

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正直な気持ち

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 車に乗り込み、春川はため息をついた。
 自分を卑下していると言われて、ドキリとしたのは事実だ。そうやって自分を下に見せることで、プライドがないように無意識にしていたのかもしれない。それが時に他人には嫌味に映るらしいのだと思う。だけどそうしないと、女の身で官能小説を書けば、すぐセックスが出来る股の緩い女だと思われるだろう。だから演じた。
 その演技をするのを忘れさせてくれたのは桂だった。
 甘く「愛している」と囁き、抱いてくれた。あのときのことを思い出すと体がまた熱くなる。ベッドの中でそれを思い出すと、したことのない行為に及びそうになり、あわてて手を引っ込めた夜もある。
 そのとき携帯電話が鳴った。それはプライベート用の携帯電話だ。それを手にして、相手をみる。それは桂だった。
「もしもし。」
 自然とそれをとる。しかし桂とは違う女性の声だった。
「春川さん?啓治の母です。」
「あぁ。先ほどはお世話になりました。」
「イヤね。お世話をしたのはあなたの方よ。私、明後日までここにいるのだけど、その間に食事でもどうかしらと思ってね。」
「お気を使わなくてもいいのに。」
「私がしたいのよ。こんな都会であなたのような気遣いが出来る人がいると思わなかったし。」
 結婚している。旦那がいる。そう言いたかったが、その言葉をぐっと押さえた。
「そうですね。今夜であれば都合がつきますが。」
「あぁ、良かった。啓治。春川さんは今夜ならいいそうよ。」
「そう。だったらまた連絡すると言ってくれないかな。」
 桂の声が聞こえた。
「こちらから連絡をしましょうか。」
「あ、すいません。うちもいつ終わるかわからないので、こちらから連絡をします。だいたい……そうですね。十八時くらいになると思いますが。」
「結構よ。じゃあ、またあとでね。」
 桂の声だけで熱くなる。頬が赤い。ハンドルにしばらくもたれて、彼女は体を起こすとエンジンをかけた。十八時までに全てを終わらせるために。

 小雨はやや雨足が強くなった。だが母は元気に、寺巡りなどをしている。雨のせいか観光客は少ない。
「おみくじを引きたいわ。旭と恵のおみやげも。」
「もう中学生だよ。そんなの喜ぶかな。」
「学業のお守りとか喜ぶんじゃないのかしら。」
 母は、どこにでもいるおばちゃんだった。だけど彼は知っている。母が父からの暴力に耐えていたこと。その暴力に耐えかねて、一度家を出たこと。その期間は一週間ほどだった。
 その間みんなで協力して家のことをした。家のこと一つ何もしない父も、そのときばかりは洗濯や掃除をしていたのを覚えている。
 ふらりと帰ってきた母は、何事もなかったかのように振る舞っていた。父もそれから暴力を振るわなくなった。
「父さんは元気?」
 途中で立ち寄った甘味処で、あんみつを食べながら彼女に聞く。すると彼女は笑っていう。
「えぇ。でも最近足腰が弱ってね。山登りがあんなに好きだったのに、山に登ったら次の日は整体に通ってるわ。」
「本末転倒だな。」
 少し笑い、あんみつの中のみかんをすくう。
「これから忙しくなるわ。稲刈りが始まるし。あなたにも米を送ろうか?」
「新米か。いいね。」
「自炊しているの?」
「出来るときはね。」
「あまり出来ていないんでしょ?いつ電話しても仕事、仕事ばっかり言ってる。遼一も似たようなもので、顔は綾さんと孫しか見ないわ。」
「兄さんも忙しいんだよ。教師って今一番ブラックだから。」
「で、あんたいつ結婚するの?」
 その言葉に思わず口に入れたみかんを吹き出しそうになった。
「は?」
「いい歳して、もう五十にもなろうかってのに。子供は作れなくても、伴侶くらいいてもいいわよ。」
「母さん。」
「あの子どうなの?」
「は?」
「ほら。お茶の子。」
「あぁ。春川さん?だめだよ。あの人は……。」
 旦那がいる。思ったよりも独占欲の強い旦那だ。
「まぁ……いいわ。人それぞれ事情もあるんだろうし。でもいい子だったわ。」
 すっかり気に入っている。だったらなおさら言ってはいけないだろう。彼女には旦那がいることを。

 何とか仕事を終わらせて、春川は外にでた。すると雨は土砂降りになっている。風も出てきたようだ。祥吾には仕事は遅くなると言っているが、この天気だし早く帰ってくることを望んでいるだろう。
 車に乗り込むと、彼女は携帯電話を取り出して電話をする。
「もしもし。」
 桂の声が聞こえた。その声に思わず頬がゆるむ。
「仕事、終わりました。どこに向かえばいいですか?」
「あぁ。うちに来てくれませんか。」
「桂さんの家ですか?」
「この天気ではどこにもいけないって、母が食事を作ってくれるそうです。」
「わかりました。お邪魔します。」
「待ってます。」
 桂の家に行く。それはいつぶりだったか。初めてキスをしたとき以来だっただろうか。胸に触れられて拒否したのを覚えている。
 エンジンをかけて、彼女は車を走らせる。

 七階の桂の家。そこのドアのチャイムを鳴らすと、桂が出てきた。
「いらっしゃい。」
「お邪魔します。」
 玄関を入るとドアを閉まる音とともに彼は急に彼女の手を掴むと、唇を重ねてきた。
「桂さん……。お母さんが……。」
「キッチンにいる。こっちには来ない。あぁ、ずっと触れたかった。気が狂いそうだった。」
「私も……。」
 そう言って彼女は背伸びをして、彼の唇にキスをした。
「春川さんが来たの?」
 玄関ドアにつながるそのドアの向こうで、母の声が聞こえる。
「あぁ、今来たよ。」
 二人は顔を見合わせると少し離れ、リビングへ向かった。すると美味しそうな夕食の匂いがする。
「お邪魔します。」
「いらっしゃい。もう少しで出来るわよ。」
 割烹着を着ている母の姿に、彼女は少し微笑んだ。
「手伝いましょうか。」
「そう?だったらお皿を出してくれる?」
 荷物を置いて、春川は手を洗うと棚に向かいお皿をみる。
「どれですか?」
「その小さいモノをテーブルに。啓治。もうテーブル拭いたわよね。」
「あぁ。」
 煮物か何かの匂いだ。ご馳走ではないが、きっと桂が小さい頃から食べていたモノなのだと思い、彼女は少し微笑んだ。
「どうしたの?にやにやして。」
「いいえ。うちには両親がいないので、母がいたらこんな感じなのかと思ってました。」
「そう。若そうなのに……。」
「でもお陰で自分のことは自分で出来るようになりましたよ。」
「綾さんもそう言ってくれるといいのだけど。」
「綾さん?」
「兄の嫁。」
「あぁ。そうなんですね。」
 確かに彼には兄がいた。おそらく普通の家庭を持っているのだろう。だからおそらく普通ではない仕事に就いている桂には、あまり当たりが良くないのだろう。
「あぁ。食べれないものあったのかしら。」
「特にないです。」
「お酒は?」
「車なので。」
「そうだったわね。啓治も飲めないし、つまらないわねぇ。」
 それだけが不服だったのだろう。頬を膨らませたのを見て、二人で笑い合った。
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