セックスの価値

神崎

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対面

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 なんと声をかけよう。春川はそう思いながら、廊下を歩いていた。自分の作家としての身分を隠し、ライターとしていくのはかまわない。だが映画のことに口に出せるような立場ではないのだ。
 自分の立場は風俗ライター。ここにいること自体が異質なのだから。桂を追ってきたというのは見え見えだし、取材対象ではない英子に声をかけるのはお門違いだろう。ため息を付いて、それを思案する。しかしその考えは、英子の楽屋の前で吹き飛んだ。

 バシャッ!

 派手に水の音がした。英子の楽屋を覗いてみると、和服を着た女性が英子に持っていた紙コップに水をかけたのだ。
 びしょ濡れで滴を顔から垂らしている英子。それは涙も混じっていたのかもしれない。
「あんた、この役降りなさい。もううんざりなのよ。あんな簡単なシーンで何度も何度も撮り直して。」
 その和服の女性は芸能界に詳しくなくても知っている。牧原絹恵。もうすでに大物と言われている女優の一人だった。この映画での出演で彼女はキーパーソンになる。桂の役である竜之介と組み、譲二を陥れる役所だ。
「たかが官能小説?馬鹿にして。官能小説が悪ければ心の中で言いなさい。この映画を撮っているみんなに失礼だわ。」
 春川はその修羅場を見てため息を付く。コレで英子は十中八九降りてしまうだろう。槙原に言わせれば、きっとオーディションで落ちた女優に声をかけるだろうから、それは問題ないと言うはずだ。
 しかし英子にとってはかなりの痛手になるだろう。
「……馬鹿にして……。」
 小声で聞こえないかと思った。しかしそばにいる絹恵には聞こえたらしい。
「何ですって?もう一度おっしゃい。」
「セックスばっかりしてる映画じゃない。この役で大人の役を取るのよ。踏み台にして何が悪いの?」
 気の強い女だ。ここまで言うのも彼女には何か狙いがあるのかもしれないが、やはり映画を撮る人にとっては失礼だろう。
「あんたはやっぱり勘違いしてるわ。肌を見せるだけで大人の役をとれると思ったら大間違い。肌を見せるだけなら、その嫌らしい映画を撮られる女優に任せればいいのよ。役になりきれない、まだ女優としても人間としても子供ね。さっさと家に帰りなさい。」
 そういって絹恵はその楽屋を出ていこうとした。そのとき入り口でその様子を見ていた春川に目が止まる。
「あなた……さっきの見てた?」
「記事なんかしませんよ。ゴシップライターではありませんから。」
「ライター?あなたライターなの?」
「えぇ。春川と言います。」
「……そうは見えないわね。まるで作家のよう。」
「作家ですか?」
「似てるわね。」
 そのとき後ろから桂が走ってやってきた。だが絹恵と春川の対峙に、彼も声をかけられない。
「誰にですか?」
「昔いたのよ。何でも小説のネタにしよう。自分の見たもの、感じたものをすべて文章にしようとした人がね。」
「……。」
「彼の体験は、まだ文章を生き生きとさせている。フフ。奥様を貰ったと聞いたわ。その奥様が良い働きをしているのね。」
 おそらくその作家は冬山祥吾のことだろう。だが祥吾は結婚していることを公にしていない。彼女はそれを知っているのかもしれないのだ。
「……あなたは……。」
「その作家と昔アレコレあった仲。それ以上は言えないわ。あなたがゴシップの記者ではないにしても、それを売ると言う可能性もあるのだろうし、それに……。」
 マネージャーらしき男が向こうから絹恵を呼ぶ声がした。
「今行くわ。じゃあ、またお会いしましょう。浅海さん。」
 ドキリとした。どうして本名を知っているのだろうと。聞きたかったが、もう絹恵は行ってしまった。
 ふと横を見ると、子供のように泣いている英子がいた。それに付くように若い男性マネージャーのような人がなだめている。もう彼女の出番ではないだろう。それに言いたいことは絹恵が言ってくれた。
 後ろを振り向くと、そこには桂がいた。
「落ち着いたみたいですね。」
「えぇ。あなたは大丈夫ですか?」
「何が?」
「囲まれていたみたいですね。」
「アレやコレやみんな聞きたいみたいだ。」
「良いじゃないですか。なかなかお目にかかることはないのですから。お互いに。」
 春川は携帯電話を取り出す。少し微笑むと、彼を見上げた。
「もうワンシーンくらい見る時間がありそうですね。」
「次は俺とあの牧原さんとのシーンです。」
「食われないようにしないといけませんね。」
「でも気乗りしませんよ。」
「珍しいですね。裸のシーンはお得意でしょうに。」
 嫌みな口調だと思った。セックスをしない分、よけい生々しく見えてイヤだと思ったのから。
「旦那の前で奥さんとアレコレするのはちょっとね。」
「旦那?」
「牧原絹恵さんは牧原監督の奥さんですから。」
「あぁ。そうなんですか。」
 納得したように、彼女はうなずく。
 正直旦那の前で奥さんを抱く。それは春川を連想させる。冬山祥吾の前で、彼女を抱けるだろうか。いいや。それ以前に、彼女を奪い取れるのだろうか。最近はそればかり考えてしまう。
「桂さん。」
 声をかけられて、彼は振り向いた。
「そろそろ準備した方が良いって言ってますよ。」
 スタッフの声に、彼はため息を付く。
「楽しみにしてます。」
「そんなに楽しみにされてもね。」
 すると彼女は彼にかがむように言った。
「今日は、深夜まで仕事場にいる予定です。」
「……わかりました。すぐ帰ります。」
 まるでキスでもするかのように彼らは顔を近づけて、そして離れていく。
 春川は現場に行く前、英子の楽屋をまた覗いてみた。彼女は涙を拭いて、ぐっと唇をかみしめていた。
「英子。イヤなら降りるか?」
「イヤよ。降りたら本当にイメージ悪くなるわ。ただでさえ、変なゴシップ流れてるのに。」
「身から出た錆だろう?だからホストなんて行くもんじゃないって言ったのに。」
「出張ホストが何が悪いのよ。あーあ。今日キャンセルしなきゃ。ウルサい監督だし。」
 反省などしていない。きっと降りてしまうだろう。彼女はため息を付くと、ふと思い出したことがあった。そして足を向けたのは、英子の隣の楽屋。そこには「片桐愛美」という女優の紙が貼られている。
 少し待っていると、そこから出てきたのは波子の親友の役所である華という役である片桐愛美だった。黒髪の清楚な役所で、眼鏡をかけているのは彼女が頭が良く、将来は実業家になりたいと願う役だからだろう。
「こんにちは。」
「はぁ。こんにちは。」
 不思議な顔をして彼女はこちらを見ていた。
「映画の現場って、本当にテレビで見たことあるような人ばかりですね。あなたも含めて。」
「あ……でも私、あまり出てないんですよ。オーディション受けて、落ちたけど華の役をしてくれないかって監督さんから。」
「知ってますよ。でも私はあなたを知ってます。フフ。よく出版社でお見かけしてましたから。」
「ライターさん?」
「そうですね。」
「やだ。だったらモデルですか?恥ずかしい。」
「モデルは嫌い?」
「嫌いじゃないけど、やっぱり女優になりたかったから。でも、波子の役のオーディション受けたけど、やっぱり人前で裸になるの恥ずかしいから、内緒だけど受かんなくて良かったって思ってるんです。」
 初々しい。そして可愛らしく、まっすぐだ。地で波子の役が出来そうな気がする。
「裸になるのって勇気いりますよね。でも一度なってしまえば、それで何とかなってますよ。それに……。」
「何ですか?」
「この映画は濡れ場なしでは成り立ちませんよ。そう思えば、裸になんてすぐなれそうだと思います。」
「……役のために?」
「そう。そして映画のために。」
 彼だって好きで裸になってるわけじゃない。映画のために、AVの為に、彼は裸になっているのだ。
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