セックスの価値

神崎

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初めての味

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 夕方ほどになり、仕事場に北川が訪れた。新作の打ち合わせだった。出来上がったプロットを見ながら、彼女はため息をつく。
「やっぱり少しリアリティに欠けるというか。」
 コーヒーを飲みながら、彼女は春川に聞く。
「ですよね。出張ホストの仕事がいまいち理解できないというか……。だいたい何で疑似彼氏をお金で雇うのか。それがわからないんですよ。」
「そうですねぇ。」
 北川には何となくわかる。長くつきあった彼氏と別れたとき、その心の透き間を埋めてくれたのが達哉だった。たった三時間。それだけでもとなりに誰かいてくれるのはとても嬉しかったことだったから。
 彼女には理解できないかもしれない。旦那がいて、そして恋人がいる。もしも桂と別れてしまったら、その気持ちが分かるのかもしれない。しかし彼女にはそもそも「男はいらない。旦那がいるから。」というスタンスをとっているところがある。桂と別れてしまっても、その心を埋めるのに出張ホストという選択はまずとらないだろう。
「あ、そういえば、今度出張ホストの方に話を聞こうと思ってですね。」
「いいじゃないですか。自分の雇ってみる気になったんですね。どの人とデートするんですか?まさか達哉じゃないんですよね?」
「不用意に知っている方を選択はしません。それにもう達哉さんはいろいろ知ってますから。たぶんデートしたなんて言ったら桂さんからどんな目に遭うか。」
「こわっ。」
 春川はコーヒーを飲もうと思ってカップを手にする。しかしもうなくなってしまった。彼女は立ち上がると、キッチンへ向かいサーバーに入っているぬるくなってしまったコーヒーをカップに注いだ。そしてまたダイニングテーブルのいすに腰掛ける。
「誰を雇うんですか?」
「あー。覚えてますかね?ホストクラブに行ったときに私たちについてくれていた人です。」
「涼太さん?」
 北川の記憶の中には、元AV男優の褐色の肌を持つ長い髪の男が思い起こされた。どこか桂に重なる男。背が高くて、筋肉質。外見も似ているが、どちらかというと桂よりも柔らかい印象がある。
「この間電話があってですね。そんな話になったんですよ。」
「でも……それ言った?」
「誰に?旦那ですか?まぁだんなは勝手にしたらいいって言ってくれてるし……。」
「じゃなくて、桂さんは?」
「話してませんよ。」
 コーヒーに口を付ける。そしてため息をついた。
「会ってます?」
「この間撮影にお邪魔したときに会いましたけど。」
「だったらそんなに話すほど会ってないんですよね?なのに出張ホストに会うなんて、彼にしたら気持ちのいい話じゃないですよ。」
「そうなんですか?」
 その辺がわからない女だ。興味のあることには突っ走るが、それ以外のことは無関心で、特に自分に対する人の気持ちなんかには興味を示さない。そのくせ他人のことには敏感で、気がついて観察ばかりしていた。それが小説の種になると。
「気に入られてたでしょ?」
「あぁ。この白い名刺ですか?」
 そういって彼女はバッグの中から名刺入れを取り出し、涼太の名刺をテーブルに置く。
「連絡を取り合ってます?」
「いいえ。この間久しぶりにお電話がありましたよ。たぶんまた来て欲しいという電話だったんだと思うんですけど。」
「春川さん。」
 北川はため息をついて言う。
「まだ二十五なんでしょう?もっと自覚した方がいいですって。」
「何を?」
「男の人に注目されるんだって。」
「……そんなこと……。」
 また否定しそうになった。いけない。彼女はその言葉を飲み込んだ。
「わざと消してたんですけどね。」
「消せてないですよ。胸だって大きいし。何を食べたらそんなに大きくなるんですか?」
「さぁ。健康的な食事と適度な運動でしょ?」
 そういえばジムに最近行ってない。そろそろ泳ぎたいものだ。

 幸の作った料理を二人で向かい合って食べている。祥吾が幸に食事のことについて言ったのだろう。味付けが薄くなっているし、若いから食べるだろうと思っていた肉中心の食事が変わった。
 白菜のクリーム煮は、やや洋風で優しい味がする。
「今日は仕事をまたするのかな。」
 祥吾は春川にそう聞くと、彼女は少し笑う。
「そうですね。仕事をするためにネタを集めたいのですが……あぁ。明日、その出張ホストの方に会ってきます。」
「あぁ。そうだったね。気を付けて行ってきなさい。で、今日は仕事をするのかな。」
「いいえ。今日はちょっと出てこようかと。」
 その言葉に彼の箸が止まる。まさか桂と会うつもりではないかと思ったのだ。
「どこへ?」
「ジムです。最近泳いでないので、体が鈍ってしまって。」
「あぁ。そうだね。君はそういったことにも余念がない。」
「祥吾さんも行きますか?」
「遠慮するよ。人が水の中に浮くなど信じられない。」
 ようはカナヅチなのだ。そもそも筋力も脂肪もあまりない祥吾は、彼女が定期的にジムへ行って泳いだり走ったりしているのを、冷えた目で見ている。
「君が泳ぐのを見たいものだが、あいにく締め切りが近くてね。」
「無理をなさらないで。必要なときは呼んで下さい。」
「ありがとう。」
 そうは言ったが、彼が彼女を呼ぶことはない。彼が呼ぶのはあの砂糖菓子のように甘い女性だ。最近は頻繁に呼んでいるようで顔を合わせることもあるが、そのたびに彼女の頬が上気している。おそらく情事のあとなのだ。
 それでもかまわない。彼女もまた桂とセックスをしたあと涼しい顔をして祥吾に会っているのだから。
 食事を終えて、春川は携帯電話を手にする。そしてメッセージを送る。そして部屋の電気を消した。
「ごめん下さいませ。」
 女性の声だ。彼女は反射的に荷物を持って玄関へ向かった。そこにはスーツ姿の女性がいる。背が高く、胸の大きな女性に見えた。
「はい。」
「あ、助手の方ですか?」
「はい。秋野と言います。初めまして。」
「○○新聞の宇部と言います。初めまして。」
 そういって彼女は名刺を差し出す。そこには宇部百合子と書かれてあった。
「もう今日は終わりですか?」
「はい。自分の仕事もありますので。」
「あぁ。秋野さんにも私お話がありましたの。少しよろしいですか?」
「何でしょうか。」
「実は私の社で発行してる○○スポーツというスポーツ紙があるんですが、ご存じですか?」
「知ってます。」
「そこで、短期ですがコラムを載せたいと思ってまして。」
「はぁ。」
「そこで秋野さんにお願いしたいと担当が言ってますが、いかがなさいますか?」
「え?あ……そうですね。どんな話を書きますか?」
「love juiceのサイトに乗っているような感じの調子で、書いてもらいたいのはAV業界のことです。」
「AVですか?」
「お得意じゃないですか?知り合いさんもいらっしゃるみたいですし、よく調べてあるのでしょう?」
 その言葉には刺がある。そういったはずだが、春川は何も言わずにそれを考えていた。
「かなり調べているので、そちらに載せられるのはそうないと思いますが。」
「でしたら、インタビューの記事をあなたの視点で書いていただきたいのですが。」
「インタビューですか?」
「えぇ。例えば今度引退する里香さんとか。女性同士なら話しやすいでしょ?」
「うーん。別にそうでもないですけどね。」
「え?」
「女性、男性と切り分けて話したことはないので。まぁ、少し考えます。今は少し忙しい時期でもあるので。連絡はこちらでいいですか?」
 そういって彼女は名刺を彼女の前に見せる。
「えぇ。」
「じゃあ、また。」
 彼女はそういって玄関を出て行った。その様子を見ていた祥吾は、ため息をつく。
「あら。先生。見ていらっしゃったのですか?」
「あぁ。君。あまり秋野を挑発をしないでくれないか。」
「私が?」
「悪いが、担当を変えてもらう。私の担当なら、助手ともうまくやってもらいたいのでね。」
「え?先生。嘘でしょ?先生!」
 連載をしてもらうためにこの父親とも言えるくらいの男と寝たのに。彼女をあっさり彼は切り捨てるのだ。
「帰ってくれ。」
「先生。お願いします。私には……。」
「いいや。もう結構だ。」
 彼はそう言って奥へ行ってしまった。そして部屋に戻ると、ぐっと拳を握る。
「くそ。」
 それは静かな怒りだった。
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