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初めての味
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パスタもメインのサワラも美味しかった。つい食べ過ぎてしまったかもしれない。春川はそう思いながら、今度は桂と一緒に来たいと思っていた。
だがそれは無理だ。彼はきっとこれからいい役者になるだろう。そんなとき既婚者である自分と充みたいな人にリークされたら、彼女だけではなく桂にまで迷惑がかかるのだから。
「どうしたの?」
「え?」
「やっぱりデザート食べる?」
目の前にいる涼太はそういって彼女に聞いてきた。
「いいえ。」
「どうしたの?ぼんやりして。」
「うーん。」
まさか桂のことで悩んでいたなど言えるわけがない。だが何か言わなければいけないだろう。そのとき涼太は三杯目のグラスワインを飲み干した。酒が強いらしく、顔色は全く変わらない。
「お酒で悩んでました。」
「あぁ。まだ悩んでたんだ。たぶん美味しいと思うよ。気になるんだったら頼んでみたらいいのに。俺ももう一杯飲もうかと思ってたし。」
一時間で四杯飲む。早いピッチだが、そんなものなのだろうか。お酒に詳しくないが、これが普通なのかもしれない。
「そうですね。これも経験なら、頼んでみます。」
「そう?大丈夫かな。サングリアって普通のワインよりは度数は低いけどね。まぁ、甘いし大丈夫だろ?ママ。サングリアもらえるかな。二つ。」
するとテーブルを片づけていたママが、こちらを見て豪快に笑う。
「あら、飲む気になったの?じゃあ持ってきてあげるわ。」
お酒を飲んではいけない。煙草を吸ってはいけない。お肉は赤いものは口にしてはいけないなど、祥吾に言われたことはきっちり守ってきた。だがその一つを破る。彼女の手に汗がにじんでいた。
「お待たせ。サングリアよ。」
彼女の前にもグラスが置かれた。ワイングラスではなく、シェリーグラスというやつで、グラスにも細かい装飾が付けられている。その分、あまり量は入っていない。
「食前酒なんだけどね。まぁ、甘いからデザートと思って。」
そういって涼太はそれを口に運ぶ。
「美味しいな。ママ、何を入れたの?」
「ベリーよ。それから柑橘を少しね。今、柑橘はシーズンだし。」
ワインにベリーなどの果物をつけ込んだものがサングリアという。あまり美味しくないワインでも、これで嘘のように美味しくなるのだ。
彼女はおそるおそるそれを手にして、匂いをかぐ。甘い匂いと、アルコールの匂いがする。そして口を付けてみた。その様子を涼太は面白そうに見ている。
「美味しいかも。」
「そんな少しじゃ、味わからないよ。」
彼はそういってまたグラスに口を付ける。
「……甘いですね。飲みやすい。」
「飲めるんじゃん。何で止めてたかなぁ。」
グラスに口を付けて、味を確かめる。ワインの独特の風味に、甘い香りがする。元々ワインもブドウだ。ベリーとの相性はいいのだろう。
「旦那さんは飲まないの?」
「たまに飲んでますよ。最近は飲んでないみたいですけど。夜も仕事をしているし。」
「へぇ。昼も夜もじゃ大変だね。」
「そういう仕事なんですよ。私よりも忙しくて……。」
彼に冬山祥吾が旦那だと言うことは言わない方がいい。その辺はまだ冷静でいれる。
サングリアを飲み干して、彼女らは席を立つ。会計は、彼女がするのだ。しかし思ったよりも高くはない。お酒を飲んでこの値段ならお手頃と言えるだろう。
「気を付けてね。なんか顔が赤いから。」
ママはそういって彼女を心配した。だが気持ちは冷静だと思う。
「赤いですか?」
「酔ってるのかしらね。一杯だけなのに。涼太。しっかり送ってあげてね。くれぐれも送り狼にならないで。」
「わかってるよ。いくら何でも俺は人の奥さんに手を出すこと無いから。」
「どうだか。」
そういってママは店先まで送ってくれた。
「これからどうしようかな。お酒が抜けないと帰れないよね?少し歩く?」
「そんな赤いですか?」
「君が思ってる以上に赤いね。」
やはり酒には弱かったのかもしれない。お酒のコラムの話が来たら、残念だが断るべきだろう。彼女はそう思いながら、涼太と並んで歩いていた。
「さっきの公園へ行こうか。夜になるとまた風景が違うかもしれないし、それとも……。」
ふと彼女をみる。頬が赤く、そしてそれは首もとまで赤い。それは過去に絡んだどんな女優よりも色っぽいと思う。
「なんか暑い気がする。」
「歩いて酒が回ってきたかな。どっかで休んだ方がいいかもしれない。」
どっか。それがどこか彼女にはわかる。だけど行きたいのはこの人じゃない。
「時間ありますけど、もう帰ります。」
「え?いいの?」
「でも……これ以上は迷惑になると思うから。すいません。お金は支払い済みですし、ここら辺でタクシーを……。」
そのとき酔っぱらいにぶつかりそうになった彼女を、彼が引き寄せた。
「危ないよ。」
おそらく酔っていることで、普段興味のあるところにふらふらと行ってしまうその癖が、ヒドくなっているのだ。やはりどこかで休ませないといけない。
「秋野さん。」
「あの……ありがとうございます。」
思わず後ろから抱き寄せた。その腕の中で、彼女は熱っぽい目で彼を見上げる。その目は、いつか彼が恋をしたあの女に似ている。
「このまま、どこかで休もうか?そのまま帰らせられないよ。」
「いいえ。仕事場だったら、旦那もあまりやってきませんし……そこで休みますから。」
「……だったらそこまで送るよ。」
「いいえ。大丈夫。」
腕を放して、彼女は彼を引き離そうとした。この体勢はまるで後ろから抱きしめられているようだと思ったから。そしてこの体勢はいつも桂が好きでしている。すっぽり彼の体に入ってしまう彼女の体が好きだから。
桂を思い出してしまう。涼太に桂を重ねてしまう。それだけは避けたい。
「離してもらえませんか。」
「抱き心地いいね。このまま持って帰りたい。」
「酔ってます?」
アルコールの匂いがそうさせている。そう思いたかった。
「これくらいで酔ってたらホストなんか出来ないよ。ねぇ。持って帰っていい?」
「だめです。離してください。それに外ですよ。」
「だったらほかに見えなければいい?」
「そんな問題じゃない。いいから離せって!」
思い切って、肘を曲げるとそれを後ろに下げた。しかし鍛えられている腹に、彼女の肘鉄は効いてなかった。
「だめだよ。そんなことしちゃ。」
そういって彼は片手で彼女の手を掴む。大きな手だ。それがさらに桂を思い出しそうになる。
「やめてください。」
「そっちにホテルあるんだ。知ってる?」
「知らないです。」
「どっちにしても休んだ方がいいと思うよ。お酒を止められてたのに、飲んでしまったからね。こんな状態になってしまった、君の責任でもある。」
うまく彼女にも罪悪感を持たせる。その責任は自分にもあると思いこませて。うまく行けば彼女を抱くことが出来る。いや。もう八十パーセントくらいの確率で、いけるだろう。
キスの一つでもすれば、きっとホテルへ連れ込めるだろう。デートをする前に抱いていた淡い期待は、現実のものになろうとしていた。
だがそれは無理だ。彼はきっとこれからいい役者になるだろう。そんなとき既婚者である自分と充みたいな人にリークされたら、彼女だけではなく桂にまで迷惑がかかるのだから。
「どうしたの?」
「え?」
「やっぱりデザート食べる?」
目の前にいる涼太はそういって彼女に聞いてきた。
「いいえ。」
「どうしたの?ぼんやりして。」
「うーん。」
まさか桂のことで悩んでいたなど言えるわけがない。だが何か言わなければいけないだろう。そのとき涼太は三杯目のグラスワインを飲み干した。酒が強いらしく、顔色は全く変わらない。
「お酒で悩んでました。」
「あぁ。まだ悩んでたんだ。たぶん美味しいと思うよ。気になるんだったら頼んでみたらいいのに。俺ももう一杯飲もうかと思ってたし。」
一時間で四杯飲む。早いピッチだが、そんなものなのだろうか。お酒に詳しくないが、これが普通なのかもしれない。
「そうですね。これも経験なら、頼んでみます。」
「そう?大丈夫かな。サングリアって普通のワインよりは度数は低いけどね。まぁ、甘いし大丈夫だろ?ママ。サングリアもらえるかな。二つ。」
するとテーブルを片づけていたママが、こちらを見て豪快に笑う。
「あら、飲む気になったの?じゃあ持ってきてあげるわ。」
お酒を飲んではいけない。煙草を吸ってはいけない。お肉は赤いものは口にしてはいけないなど、祥吾に言われたことはきっちり守ってきた。だがその一つを破る。彼女の手に汗がにじんでいた。
「お待たせ。サングリアよ。」
彼女の前にもグラスが置かれた。ワイングラスではなく、シェリーグラスというやつで、グラスにも細かい装飾が付けられている。その分、あまり量は入っていない。
「食前酒なんだけどね。まぁ、甘いからデザートと思って。」
そういって涼太はそれを口に運ぶ。
「美味しいな。ママ、何を入れたの?」
「ベリーよ。それから柑橘を少しね。今、柑橘はシーズンだし。」
ワインにベリーなどの果物をつけ込んだものがサングリアという。あまり美味しくないワインでも、これで嘘のように美味しくなるのだ。
彼女はおそるおそるそれを手にして、匂いをかぐ。甘い匂いと、アルコールの匂いがする。そして口を付けてみた。その様子を涼太は面白そうに見ている。
「美味しいかも。」
「そんな少しじゃ、味わからないよ。」
彼はそういってまたグラスに口を付ける。
「……甘いですね。飲みやすい。」
「飲めるんじゃん。何で止めてたかなぁ。」
グラスに口を付けて、味を確かめる。ワインの独特の風味に、甘い香りがする。元々ワインもブドウだ。ベリーとの相性はいいのだろう。
「旦那さんは飲まないの?」
「たまに飲んでますよ。最近は飲んでないみたいですけど。夜も仕事をしているし。」
「へぇ。昼も夜もじゃ大変だね。」
「そういう仕事なんですよ。私よりも忙しくて……。」
彼に冬山祥吾が旦那だと言うことは言わない方がいい。その辺はまだ冷静でいれる。
サングリアを飲み干して、彼女らは席を立つ。会計は、彼女がするのだ。しかし思ったよりも高くはない。お酒を飲んでこの値段ならお手頃と言えるだろう。
「気を付けてね。なんか顔が赤いから。」
ママはそういって彼女を心配した。だが気持ちは冷静だと思う。
「赤いですか?」
「酔ってるのかしらね。一杯だけなのに。涼太。しっかり送ってあげてね。くれぐれも送り狼にならないで。」
「わかってるよ。いくら何でも俺は人の奥さんに手を出すこと無いから。」
「どうだか。」
そういってママは店先まで送ってくれた。
「これからどうしようかな。お酒が抜けないと帰れないよね?少し歩く?」
「そんな赤いですか?」
「君が思ってる以上に赤いね。」
やはり酒には弱かったのかもしれない。お酒のコラムの話が来たら、残念だが断るべきだろう。彼女はそう思いながら、涼太と並んで歩いていた。
「さっきの公園へ行こうか。夜になるとまた風景が違うかもしれないし、それとも……。」
ふと彼女をみる。頬が赤く、そしてそれは首もとまで赤い。それは過去に絡んだどんな女優よりも色っぽいと思う。
「なんか暑い気がする。」
「歩いて酒が回ってきたかな。どっかで休んだ方がいいかもしれない。」
どっか。それがどこか彼女にはわかる。だけど行きたいのはこの人じゃない。
「時間ありますけど、もう帰ります。」
「え?いいの?」
「でも……これ以上は迷惑になると思うから。すいません。お金は支払い済みですし、ここら辺でタクシーを……。」
そのとき酔っぱらいにぶつかりそうになった彼女を、彼が引き寄せた。
「危ないよ。」
おそらく酔っていることで、普段興味のあるところにふらふらと行ってしまうその癖が、ヒドくなっているのだ。やはりどこかで休ませないといけない。
「秋野さん。」
「あの……ありがとうございます。」
思わず後ろから抱き寄せた。その腕の中で、彼女は熱っぽい目で彼を見上げる。その目は、いつか彼が恋をしたあの女に似ている。
「このまま、どこかで休もうか?そのまま帰らせられないよ。」
「いいえ。仕事場だったら、旦那もあまりやってきませんし……そこで休みますから。」
「……だったらそこまで送るよ。」
「いいえ。大丈夫。」
腕を放して、彼女は彼を引き離そうとした。この体勢はまるで後ろから抱きしめられているようだと思ったから。そしてこの体勢はいつも桂が好きでしている。すっぽり彼の体に入ってしまう彼女の体が好きだから。
桂を思い出してしまう。涼太に桂を重ねてしまう。それだけは避けたい。
「離してもらえませんか。」
「抱き心地いいね。このまま持って帰りたい。」
「酔ってます?」
アルコールの匂いがそうさせている。そう思いたかった。
「これくらいで酔ってたらホストなんか出来ないよ。ねぇ。持って帰っていい?」
「だめです。離してください。それに外ですよ。」
「だったらほかに見えなければいい?」
「そんな問題じゃない。いいから離せって!」
思い切って、肘を曲げるとそれを後ろに下げた。しかし鍛えられている腹に、彼女の肘鉄は効いてなかった。
「だめだよ。そんなことしちゃ。」
そういって彼は片手で彼女の手を掴む。大きな手だ。それがさらに桂を思い出しそうになる。
「やめてください。」
「そっちにホテルあるんだ。知ってる?」
「知らないです。」
「どっちにしても休んだ方がいいと思うよ。お酒を止められてたのに、飲んでしまったからね。こんな状態になってしまった、君の責任でもある。」
うまく彼女にも罪悪感を持たせる。その責任は自分にもあると思いこませて。うまく行けば彼女を抱くことが出来る。いや。もう八十パーセントくらいの確率で、いけるだろう。
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