セックスの価値

神崎

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幼馴染

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 煙が舞う居酒屋ではなく半個室がある居酒屋に入り、母と遼一はビールを頼んだ。春川と桂は揃ってウーロン茶を頼む。
「飲めないの?」
「えぇ。一度飲んで、大変なことになったので。」
「……そうだったな。飲まない方がいい。」
 彼はそういってまたメニューに目を落とす。酒は飲めないが、こういうところの料理は嫌いじゃない。
「春さん。私たちが住んでいるところは、魚が美味しいの。紹介したいわ。」
「えぇ。是非。」
 だが遼一は少し不安を覚えていた。父は高校の教師をしていた。そのせいかとても横暴だったように思える。母を殴ることも日常だったし、自分も桂も沢山殴られたことがあった。
 母はそれに耐えかねて一度家を出た。一週間ほどで何事もなかったように戻ってきて、それ以来父も丸くなったようだ。
 だが最近また口うるさくなってきた。それはきっとどこか体の具合でも悪いのだと思う。だが頑固な父だ。検査すらしないし、病院にも行かない。そんな父が官能小説を書いていると、涼しい顔でいっている春川を受け入れるだろうか。
「失礼しまーす。生二つと、ウーロン茶です。」
 目隠しの暖簾をくぐり、やってきたのは店員がみんな着ている黒いTシャツを着ている女性だった。化粧はしているが、年は若くはないようだ。
「……アレ?」
 遼一は驚いたように彼女をみた。すると彼女も驚いたように彼をみている。
「あ!あっ!誰だっけ。ほら。たぶん高校とかで一緒の……。」
「聡美。」
「遼一か。あーやっと思い出した。元気?今どこいるの?」
「地元。今日はちょっとこっちに仕事があってね。」
「そっかぁ。懐かしいな。」
 彼女はちらりと桂の方もみる。しかし桂は、彼女に視線を合わせることもなく、その自分勝手にしゃべっている店員がどこかへ行かないかと思っていた。
「ごゆっくりー。」
 そういって彼女は台風のように出て行った。
「懐かしい顔だったな。なぁ啓治。」
「は?」
「お前の元カノだろ?」
 遼一の答えに、春川は驚いたように桂をみる。すると桂は鼻で笑う。
「覚えてない。」
「嘘だろう?お前、あのこの家で重なってたって、うちにあの子の母親がカンカンになって、うちに怒鳴り込んできたじゃないか。」
 覚えていないものは覚えていないのだ。確かにそんなことがあったような気がするが、その後父親が彼の頭がぶよぶよになるまで殴り続けていたのはしっかり覚えている。
「初体験の相手ってわけね。」
「春。」
「何言ってんの、気にしないわ。でも詳しい話聞きたいな。」
「ネタのためか?」
「そうよ。」
 どこか欠落している。そのとき母親も初めて彼女の異質さに気が付いた。笑いながら、元の彼女のことを語ってくれと言う女。そんな人見たことはない。
 すべてはネタのため。その中にも桂がいる。彼女にとって恋人や結婚もそのためなのだろうか。
「春さん。」
「はい?」
「春さんって、ずっと桂とはおつきあいできない。恋人にはなれないと言ってたわよね。」
「はい。そうですね。」
「理由って今言える?」
 ビールを一口飲むと、向かいに座っている彼女を見据えた。その様子にさすがに遼一も止めようとする。
「母さん。今聞くことじゃないよ。」
「いずれは聞かないといけない事よ。それが早いか、遅いかだけの話。もし結婚するんだったら、あなたのことも聞いておきたいわ。」
「……。」
 その話はさすがに彼女も躊躇っているようだった。ちらりと桂をみると、彼は母に言う。
「結婚していた。」
「え?」
「正確には内縁の妻だった。籍は入っていないけど、ある男の内縁の妻を七年間していたんだ。」
「……。」
「不倫してたって事?」
「……すいません。本当に、こんな事……。」
 ため息が聞こえる。彼女は春川から視線をはずし、ビールの消えていく泡を見つめていた。
「でも二十六か五って言ってたよね。それで七年間って……。」
「十八の時でした。私には身内がいないのでそのまま同居して、結婚したと思いこんでいたんです。」
 婚姻届を書いた。だが彼はそれを役所に提出することはなかったのだ。だが彼女は信じていた。妻だから、耐えないといけないことがあると。見て見ぬ振りをしないといけないこともあると。
 だが現実は残酷だった。祥吾が愛していたのは彼女の小説家としてのネタだけで、他の女を呼び逢瀬を重ねていたのだから。
「そう……。」
「ろくでもない男だな。よく七年もいたよね。」
「麻痺していたんだと思います。」
「麻痺?」
「えぇ。だから私は啓治さんが他の女性とセックスをしていても、当初は何も感じなかった。だけど……徐々に辛くなってきました。他の監督に言って、他の人の作品も見たいとお願いしたこともあります。それは……本当は……。」
 言葉に詰まった。そして彼女はおしぼりを手にすると、その流れる涙を拭う。
「好きだったんだ。それがわかったからだろう?」
「はい……。」
 母はビールを一口飲むと、突き出しに出された酢の物に箸をのばす。
「だったら何で、その夫って言う人と結婚しようと思ったの?好きでもないのに失礼だと思わない?」
「たぶん……それは恋愛感情じゃなかった。ただの憧れで、一緒にいて小説を書ければいいと思ってただけです。失礼だと本当に思います。」
 さっきの店員とは違う女性が、ホッケの開きと、豆腐サラダを持ってきた。そしてすぐにまた下がっていく。
「男女の間でどっちが悪いとかって絶対ないわ。私もね、夫によく殴られていたの。でも私も悪かったわ。」
 ため息を付いて彼女は語る。それは桂も遼一も知らないことだった。
「この子たち、夫の子供じゃないのよ。」
「は?」
「マジで?」
 それには驚いた。彼らは席を立つくらいの勢いだった。
「夫は無精子症でね。子供は出来ないって言われてたの。でもそれがわかったのは啓治が生まれてから。それからかな。暴力を振るうようになったのは。」
「……。」
「でも私は子供が欲しかった。たとえ愛してなくても、誰でも良いから子供を作ってもらえる人を捜したのよ。」
「その人は?どうなったの?」
「遠くの海で嵐にあって、それっきりって聞いたわ。」
 彼女は皿を配りながら、にっと笑った。
「あなたにも非があるって、思うんだったらそれでいい。二度と同じ過ちをしないで。」
「はい。」
「あぁ、でもその心配はないわねぇ。」
「何が?」
「啓治って案外嫉妬深いから。兄弟揃って女を縛り付けようなんて。イヤね。誰に似たのかしら。」
 彼女はそういってサラダを取り分けた。そしてまた同じ店員が、今度はコロッケを持ってきた。
「すいません。焼おにぎりください。」
「あ、私も。」
「一皿二つ入ってますけど。」
「だったら一つで良いか。足りなきゃ、また頼めばいいし。」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ。」
 おそらくさっきの「聡美」という女性はもう来ない。桂に気が付いているのだろうから。
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