守るべきモノ

神崎

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 とりあえず明日は午前中だけは書店側に戻る。ここの書店側は、社員は二人。あとはアルバイトやパート社員だ。そして泉も社員にはいる。本来ならば、店長のいないときにその代わりをするのが役目なのだろうが、いつの間にかその役目はもう一人の社員がしていることになる。
 そして泉はバックヤードには言ってメーカーが持ってきた本のサンプルを見て「これが売れる」「これが売れない」と予想をするのが得意だった。そう言ったことでも先見の目があるのだろう。
 感覚は舌だけが敏感ではないのだ。
 カップケーキとコーヒーが注文される。そのオーダーを伝えて、泉は店の外を見る。早いところはもう梅が咲いているらしい。寒い、寒いと言っていた季節はいつの間にか終わろうとしていた。
「いらっしゃいませ。」
 礼二の声でふと我に返って、泉はあがってきた客に近寄った。
「いらっしゃいませ。」
 あがってきたのは春樹ともう一人の男。それは浜田高臣だった。泉や倫子の同期で、泉は浜田を良く覚えていた。本ばかり読んでいる泉に「暗い」と言っていたのだ。
「お好きな席へどうぞ。」
 いつもと変わらない春樹に対して、浜田の表情は暗い。何かあったのだろうか。
「ブレンドが一つと……浜田君は何にする?」
「紅茶をください。」
「アッサムで良いですか。」
「はい……。」
 相当気落ちしている。そう思いながら泉はオーダーを伝えた。
 本来なら仕事中だ。だが今回はそうも言っていられない。春樹は持っていたバッグから資料を取り出した。
「困ったことをしてくれたね。」
「本当にすいません。あの……俺……。」
 春樹は表情が変わらないがとても怒っているように見える。離れている礼二にもそれがわかったらしい。
「あと誰が知っているんだ。」
「……その……姪だけです。」
 浜田には兄がいる。歳が離れていて、まだ独身の浜田に対して、兄には高校生の娘と中学生の息子がいた。姪は倫子のファンで、浜田が倫子の担当になったと、とても嬉しがっていたのだ。
 それでサインが欲しいなどと言われるくらいならかまわない。つい酔った勢いで、姪に今前編、後編にわけられていた倫子が原作を書き、政近が絵を描いた漫画のネタバレをしてしまったのだ。
 それを姪がSNSで呟いてしまった。すぐに浜田が気づいて削除させたが、SNSでは大騒ぎになっている。
「ミステリーでネタバレするなんてあり得ないよ。図書館で借りたミステリー小説の人物紹介に「こいつが犯人」って落書きをされているようなものだ。」
「……小泉先生は……。」
「君とは仕事をもうしたくないと言っているし、それは田島先生も同意見だ。そもそも、君はミステリーをなんだと思っているんだ。規制、規制と言って殺害方法にしてもずいぶん口を挟んでいたみたいだけど。」
「それは……その……齋藤先生の例があって。」
 あまりにも無惨な死体を描いた。それをみた上のものが、出版をストップさせたのだ。そして地域によってはその本が「有害図書」とされている。
「ミステリーはそもそも「有害図書」だよ。戦争ならともかく、死体がごろごろ出てくるんだから。」
 コーヒーと紅茶を出されて、春樹はため息をつく。
「齋藤先生のものは、こちらが過敏になりすぎたところもある。地域によっては有害図書だと言われているところもあるが、支持をされているところもあるんだ。その辺は上のさじ加減だろう。」
「……。」
「とにかく上の指示を待って。場合によっては厳しい判断になると思う。」
「厳しい判断……。」
 地方にとばされることもあるだろう。そのまま退社を迫られるかもしれない。クビを切るのは会社からは言えないのでそうするようにし向けるのだ。だが同情はできない。自業自得なのだ。そう思いながら春樹はコーヒーを口に入れる。
「たかがミステリーなのに。」
 ぼそっと浜田が言ったのを春樹は聞き逃さなかった。
「何だって?」
「人を殺したとか、奪ったとか、そんな程度でしょう。今は持ち上げられているけれど、小泉先生はどうせすぐに飽きられる。」
「それは君の意見か?」
「……SNSでも言われてます。」
「失礼だな。そういう風にならないために、俺らが力添えをするのが仕事だろう。少しでも長く書いてもらえるようにする。漫画もそうだ。古本屋で一冊百円でも見向きもされないようにする。そういう風に仕事をしているはずだ。」
 ずいぶん春樹が興奮している。珍しいこともあると泉は少し視線を向けた。
「阿川さん。」
 ふと気がついて、礼二の方をみた。
「レジ。」
 レジの方に客が待っていた。
「あ……すいません。」
 レジの方へ向かうときに、ふと春樹の方をみた。いらついている証拠に、手を組んでその指を肘をとんとんと叩いている。倫子がわがままを言って、ストーリーを変えたいと言いだしたときに良く見る光景だ。
「ありがとうございます。伝票をお預かりいたします。」
 会計を済ませると、帰ってくるときにコップを下げる。そしてカウンターに持ってくると、礼二が苦笑いをした。
「気持ちはわかるけどね。藤枝さんがあんなに怒っているのを初めてみる。」
 ここに来ることもあるのだ。それは打ち合わせだったり、社員同士のいざこざに件の社員を連れてきて話を聞いたりしているのだが、今回は様相が違う。
「君はこの世界に向いていないよ。作家だけが作品を作り上げるんじゃない。一冊の本を作るのにどれだけの人が関わっていると思ってるんだ。担当と作家は二人三脚でいないといけない。たかがという言葉が出るようでは駄目だ。」
 はっきりと言ってしまった。だがもう春樹の中で押さえられない。
「もう決定事項でしょう?田島先生と小泉先生の合作は。」
「担当は違う人がする。」
「あんな難しい人は無理です。」
「みんながそう言うが、俺は難しいと思ったことはない。真剣に望めば答えてくれる。そういう人なんだ。」
 倫子がどんな思いで作品を紡ぎ出しているのか、この男にはわからないだろう。たかがミステリーだ、たかが漫画だと言っている男なのだから。
 実際、「三島出版」の田島昌明は、とても倫子から気に入られている。言い合いをしているところも見たことがあるが、それでも春からの新連載に、倫子は「面白そうな話になった」と満足げだ。
「やっぱり……。」
「何だろうか。」
「みんなが言ってます。藤枝編集長と小泉先生がデキてるって。だからそんなに小泉先生をかばうんですか。同僚ならこちらの言い分だって……。」
 さすがにそれはない。春樹はカップを下ろすと、浜田をじっと見る。その視線に思わずびくっと反応してしまった。怖かったからだ。
「くだらないことを言うんじゃない。そんな噂を信じるのは暇なんだろう。そんな暇があるんなら小泉先生と田島先生に詫び状の一つでも書け。君には二人にはもう会いたくないだろうからな。」
 思わず店内が静まりかえる。礼二も泉も動きが思わず止まってしまった。だが礼二がゴリゴリとコーヒー豆をつぶす音をさせて、泉も布巾を持つとテーブルを片づけ始めた。
「そちらの編集長が今晩、小泉先生の所に詫びに行く。君はついて行かなくても良い。」
「……はい。」
「行っておくけど、小泉先生がここで書かないと言い出したら、君にどれだけの責任がかかるかわからない。覚悟はしておいて。」
 春樹たちが変えるまで息が詰まるようだった。泉は片づけを終わらせると、一息ついた。
「藤枝さん。あんなに怒ることがあるんだな。」
「厳しいですね。」
 普段の春樹とは別人に見えた。思わず身震いする。
「倫子さんの前でも厳しいの?」
「いいえ。倫子の前ではやんわりと、でも自分の思い通りにしている感じがしますね。」
「言葉を荒げないってことか。俺、見習わないとな。」
「どうしてですか?」
「俺、先に手が出ちゃうからな。」
 その言葉に泉は少し笑う。そして昔を思い出した。
「私も良く殴られてた。今ならパワハラだって言われますかね。」
「マネージャーから言われた。そのうち訴えられるって。」
 訴えられたりしたら、本当にクビが見えてくる。礼二もまた丸くなった方なのだ。そしてそれは泉の影響もある。
 雨と鞭と書店の店長からからかわれたこともあるのだ。
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