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王子様、冒険者になる

王子様、もう少しで冒険者になる

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 二ヶ月、若者には長く感じ、それなりに年を経た者にとっては短く感じる期間だ。

 その間、アルベールはチャンドスやエンゾによく鍛えられた。厳しい稽古の日々だが、それでもアルベールのモチベーションは当然ながら高いままだった。



 数日おきに冒険者ギルドに行けたのも良かった。そこでアルベールは冒険者達の旅の話を聞いたり、冒険者が実際にどのような仕事をしたりしているのかを聞いた。

 息抜きも勿論あったが、アルベールは冒険者になった時どのような活動をするのかを知れた。もっとも、冒険者ギルドに入ったばかりの新米は、右往左往しながら先輩に適度に導かれて熟練となっていく。

 そういう意味では、周りの冒険者に導かれているという意味ではアルベールは登録上はともかく実質的に新米冒険者と言っても良かった。



 この光景を見て、ベルナールは頭の中である思案をしたが、それは今は置いておこう。



 何はともあれこの二ヶ月という期間は、若者であるアルベールにとっても短く感じられた時間だった。

 有体に言えば楽しかったと言えるだろう。しかしそれも目的があったればこそだ。そしてその目的は、今や自分の手の届く所にある。



 そんなある晩、アルベールは王宮のバルコニーに出ていた所でフィリップに出くわした。話した事は直近の稽古や冒険者ギルドでの事だったが、別れ際にフィリップはこう言った。



「アルベールよ、今は冒険者となる事がお前の目的だろう。しかし、多くの冒険者になるものにとって冒険者とは、スタートであってゴールではないのだ。必ずしも大仰な夢を持つ必要は無い。だがこの事は覚えておけよ。冒険者になってから、また始まる何かがあると。」



 改めて考えてみればフィリップの言う通りだった。とは言えアルベールもその事について考えが及んでいなかった訳では無い。だからこそ、冒険者ギルドで色んな人たちに話を聞いていたのだから。

 しかし、フィリップの言葉はアルベールの胸の内に残った。冒険者になってから、何かが始まるのだと。そしてそれは、アルベールの心をくすぐったのだった。





 余人が如何に時の経過について思いを馳せても、時は決してその歩みを止めることは無い。それは死を目前にした者に対しても、今まさにこの世に生を受けた者に対してもだ。

 待ちに待った日、とは言えアルベールは明確な日付を提示されたわけではないので、この場合は王に、と言うより何かしらある訳では無いのに前日チャンドスに明日は開けておくように言われた次の日の事だ。



「アルベール様、中庭で陛下がお待ちです。」



 部屋の前で使用人がそう告げた。いよいよかと、アルベールは思った。いや、実はそうでは無いのかもしれないが、前日のチャンドスの言葉といいアルベールにはもうそれしか考えられなかった。

 急いで中庭に向かうと、そこにはフィリップにエンゾ、チャンドス。そして何故か姉のロクサーヌにイヴェット、妹のエメリーヌまでもがいた。



「おお、来たかアルベール。」



 フィリップが言う。アルベールは人数の多さに面食らっていた。そもそも冒険者ギルドでの登録は受付で申請をして、その後少しの説明を受けて終わりのはずだ。自分が一人でいけばいい話だし、何よりエンゾやチャンドスはともかく、姉や妹までいるのは訳が分からなかった。



「いやぁ、中庭に集合している所を見られてしまってね。別に何人いても困る話で無し、それならば皆で行こうかと相成った訳だよ。ささ、集まって集まって。」



 エンゾがそう言い皆を自分の元に集めた。おそらく魔術で向かうつもりなのだろうとアルベールは思った。しかし、いきなり街中にこんな格好で現れたら周囲がどう思うかアルベールは不安になった。



「中でいいかい?それとも外にするかい?」

「外が良いだろう。まずは外観から見ておくのも悪くない。」



 エンゾとチャンドスが何やら言っているが全く要領を得ない。姉達はキャッキャとはしゃいでいる。確かに王都の中でしかもエンゾにチャンドスがいれば何があろうとまずもって大丈夫だろうが。



「さ、それじゃ行くよ。」



 とエンゾが言うや否や景色が変わる。移動の魔術だ。本来は視認した所に移動する魔術だが、エンゾは遠視の魔術と組み合わせて遠距離の移動を可能にしている。



「ほら着いた、魔術ってのは便利だねぇ。」



 楽しそうにエンゾは言う。魔術が大好きなこの宮廷魔術師は事あるごとに魔術を褒める。



「あら、小さいけれど雰囲気はいいわね。」



 ロクサーヌの言葉にアルベールが顔を向けると、そこには王族の感覚で言えば小さめの、そして一般の間隔で言えば大きな屋敷が建っていた。



「もう少し大きくても良かったのでは?アルベールが暮らすのでしょう?」



 イヴェットがこぼす。こぼした内容は聞き逃せなかった。



「あの、私が暮らすというのは。初耳なのですが。」



 アルベールは苦笑いで言う。冒険者は王都に家を持つ者もいるにはいるが、大抵は街から街へ、或いは村などに移っていくため宿に泊まる者が多い。そしてアルベールは、自分もそうするのだろうと思っていたのだ。他の冒険者と同じように。



「他の地に赴いた時ならばいざ知らず、王都にいるというのに王子が木賃宿では流石に・・・」



 そう言ったのはチャンドスだった。しかしチャンドスの顔を見るに、他の事情がありそうなのはありありと見て取れた。何せ目が笑っている。普段無表情に見えて意外と表情豊かなのだ。特にこういう時は。



「いや何、レオンティーナがな。外交でこの国にいない時にお前の将来を決めてしまっているからしてな。まぁ別に彼女もお前の将来に続く道については何も言わないであろうさ、しかし安否の確認がとりづらい状況にしておくのはいささかな。」



 王妃レオンティーナ、つまりアルベールにとっては母親だ。彼女は外交で他国に行くことが多く、ひと月ほど国を空ける事もある。今がまさにそうだ。もう少しすれば帰ってくるだろうが、その時になってアルベールが冒険者になっていて住んでいる所も分からず、あろう事か安否も分かりませんでは確かに黙ってはいないだろう。



「だから王都に滞在している場合はこの屋敷に泊まってくれ。そうすればここの使用人から王宮にアルベール、お前の安否の報告が入る事になっている。これはもう王族の宿命と思って受け入れてくれ、でないと私がどうなるか分からん。」



 フィリップの言はともかくとして、言われてみれば確かにこれは仕方が無いとアルベールは思った。冒険者になるのが許されたというのが本来例外的なのだ。であれば、王都に滞在中は屋敷に寝泊まりする位はしないといけないだろう。忘れていた訳ではないが、自分は立場的には王子なのだから。



「使用人はもういるのよね?だったら中でお茶でも飲みましょうよ。そういったものも用意はしてあるのでしょう?」



 ロクサーヌが言う。アルベールが寝泊まり、というか王都での住まいにするこの屋敷にどの程度かけられているかはともかく、おそらく階級の低い貴族程度の設えはあるだろうとアルベールは思った。最低限それくらいしないとレオンティーナが納得しないと思ったからだ。



「そうだな、せっかく来たのだし、お茶の一杯でも飲んでいこうか。ではアルベール、その間にお前は冒険者の登録をして来るといい。そしてそれが終わったら晴れてお前は冒険者だ、屋敷は私としても遺憾だったが。」



 そう言いながらロクサーヌやイヴェット達と屋敷の中に向かうフィリップ。しかし、アルベールはいつも街に着ていく服では無く完全に王子の装いだ。別にこの服装で行ったって構わないのだろうが、街の中を歩くのにこれでは落ち着かない。



「さて、ここで魔術の出番ですよ王子。遠視の魔術と移動の魔術は覚えておられますね?教えたのですから。では使ってみましょう。王宮に戻り服を着替え、冒険者ギルドに行って冒険者の登録をする。足で行えば時間のかかる事ですが、魔術を使えばさして時間もかけずに出来るのです。それも人目につかず。そう、魔術ならね。」



 エンゾがここぞとばかりに言う。全て魔術含みでの計画だったのだ。王宮の中で、もっと言えば稽古の時以外に魔術を使う機会など殆ど無い。あるとしても夜に明かりの魔術を使ったりする位だ。だからこそ実践的に魔術を使って貰おうという話なのだろう。少なくともエンゾにとってはだが。



 とにもかくにも先ずは服だった。アルベールは教わった通りに遠視の魔術を使い王宮の自分の部屋を覗くと、そのまま移動の魔術を使い自分の部屋に入る。そして服を着替えると今度は冒険者ギルドの前を遠視して、そのまま移動した。

 裏の広場でなく表の扉付近に移動してしまったあたり、アルベールも少し動転していたのかもしれない。あるいは嬉しさで気が急いてしまったのか。



 いずれにせよ、冒険者まではすぐそこだった。
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