32 / 35
三十一、ユイジットの過ち
しおりを挟むユイジット王国は肥沃な大地と、様々な恵みをもたらす森に囲まれた豊かな国である。
加えて、代々教皇を輩出する一族が統治していることもあり、数多の国からも慕われていた。
そう、醜聞に塗れるまでは。
かつてユイジット王国には、金の女神がいた。
豊かな金髪を持ち、夫を、子を、民を愛した王妃が。
彼女は、美しく、それ以上に心根が清廉であった。
皆が彼女を愛し、そして、彼女の死を嘆いた。
それは、正しい感情である。
愛する者を失って悲しまない者はいないのだから。
だが、それが全てを狂わせてた。
王妃は、愛され、愛する者。
まだ見ぬ子も、深く愛していた。
そして、王妃の願いはただ一つであり、それをユイジットの王族が理解していたのならば。
何かが、変わっていたのかもしれない。
ユイジットの玉座には、疲弊し、くたびれた男がいた。
目の前には黒いローブ姿の人物が跪いている。
「……あれは、まだ捕まらんのか」
まだそれほど老いてはいないというのに、玉座の男の声は酷くしゃがれていた。
玉座――つまり王位にある男はユイジットの国王であった。
ユリーシアがユイジットにいた頃は苛烈な怒りを浴びせていた男に、もうそのような気迫はない。
彼は疲れているのだ。
他国には嘲笑され、民の心は離れていき、愛する子らは落第者となった。
あっという間の転落である。
一年も満たない時間で、ユイジット王国は輝く栄光を失った。
教皇の選定が失敗したからではない。
それは、後押しにしかならないからだ。
気づかぬうちに広められた醜聞を知らなかった滑稽さと愚鈍さこそが、最大の罪であった。
憎しみに盲目になり、他国の狡猾さを忘れていた代償でもある。
教皇を輩出し続けた栄誉ある一族として慕われていたというのは、反面多くの妬みを得ているともいう。
醜聞の出処など今更探してもどうにもならない。
その醜聞に、多くの国々が飛びついたことこそが問題なのだ。
ユイジットの王族が清廉潔白のままであれば、消すことは容易い。
だが、醜聞の内容は事実でしかない。
多少の脚色があり美談として得した者はいるが、大元が事実である限りは否定は更なる火種にしかならないのだ。
「現状では、あの国への手出しは難しいでしょう」
黒いローブの人物は、淡々と話す。
彼は、大聖教会が抱える闇そのものだ。
教会とて、綺麗事だけでは成立しない。
彼が率いる組織は、教会の闇を全て引き受けてきた存在でり、教皇と教皇に連なる一族しか知らされていない。
現教皇にも内密になんとか動かせたのは、彼らもまた亡くなった王妃を愛していたからだ。
彼らの非情さのなかに僅かだけ残された唯一の愛を盾に、国王が請い動いてくれたのは奇跡だろう。
「何故だ。お前たちの力ならば」
「送った刺客は、十。全て、消息を断っております」
「は……」
「精鋭を我々も失いました。帰還したのは、数にも含まぬ捨て駒のみ。それも自我を失い、異口同音を繰り返すばかりです」
告げられた内容に、国王の口がわなわなと震える。
「我らが金の姫に手を出すな、と」
ぎりっと、国王は歯を噛み締める。
金の呼称は、彼が愛した王妃にこそ相応しい。
王妃を死に追いやった者が名乗るべきものではないのだ。
「精鋭は、何も話しはしないでしょう。ならば、とうに始末されたか……」
「何を悠長なことを言っておるのだ! 早く、連れ戻せ! 奴を、奴だけは、絶対に許しは!」
激高する国王に、黒いローブの男はゆるゆると首を横に振る。
静かな様子に、国王は怒りが膨れ上がっていく。
「お前は! お前たちは! 悔しくないのか! 我が王妃を失ったのは、奴の、奴がいたからだ!」
「……私どもは、見てしまった」
国王とは対比的に静を纏う声に、国王の叫びは止まる。
男の声は、感情が込められていないがゆえに力があった。
「あの方を。美しい金色と笑顔を、見てしまった」
「何を、言っておるのだ?」
困惑する国王に、黒いローブの男は背を向ける。
「我々は、手を引きます。我々では、あの方を捕らえることは、もう出来ない」
「勝手なことを言うな! 奴がいなければ、我が国は!」
喚く国王を背に、男は静かに姿を消した。
男の脳裏には、子供たちに囲まれた王妃の姿がある。
汚れ仕事を請け負う者たちを、拒絶せず、傷の心配をしてくれた優しき王妃。
彼は、再び見たのだ。
デイグレード帝国の後宮にて、輝く金色を。
幸福に笑う姿は、彼らが愛した王妃を彷彿とさせた。
だが、王妃と生き写しでありながら、笑い方が違う。
淑やかさはない、光のような純真な笑み。
王妃とは違った優しい所作。
そして、ユイジットの者には向けられない、愛に満ちた眼差し。
痛感させられた。
王妃は、もういないのだと。
そして、全く違う存在でありながら王妃のように輝く姫君の光は、ユイジット王国に戻れば瞬時に消え去る。
男には、王妃を愛した組織では、それに耐えられる者はいない。
「……我らは、朽ちるわけにはいかぬ! 王妃を、思い出の場所を、潰えさせるわけには!」
叫び声に、男は思う。
ユイジットの王族の憎悪は、金色の前では霞むのだろうと。
それに、デイグレード帝国と、精霊王は金色を守りきる。
彼らは、男を見逃した。
それは全て、輝きを見せつけ、男の心を折るために。
もし、ユイジットの王族が金色に迫る時があれば、それは全て仕組まれてのものだ。
『ふふ、生まれてきたら、お母さまがたくさんお話しするわね』
かつてあった愛すべき光を穢したのは我々の過ちであり罪だと、男は絶望を抱えて帰路を辿った。
77
あなたにおすすめの小説
白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』
鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」
公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。
だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。
――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの?
何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。
しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。
それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。
そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。
温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。
そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。
「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」
「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」
離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。
そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。
白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』
鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」
華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。
王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。
そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。
レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。
「お願いだ……戻ってきてくれ……」
王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。
「もう遅いわ」
愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。
裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。
これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。
侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています
猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。
しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。
本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。
盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。
怒らせてはいけない人々 ~雉も鳴かずば撃たれまいに~
美袋和仁
恋愛
ある夜、一人の少女が婚約を解消された。根も葉もない噂による冤罪だが、事を荒立てたくない彼女は従容として婚約解消される。
しかしその背後で爆音が轟き、一人の男性が姿を見せた。彼は少女の父親。
怒らせてはならない人々に繋がる少女の婚約解消が、思わぬ展開を導きだす。
なんとなくの一気書き。御笑覧下さると幸いです。
【完結】 メイドをお手つきにした夫に、「お前妻として、クビな」で実の子供と追い出され、婚約破棄です。
BBやっこ
恋愛
侯爵家で、当時の当主様から見出され婚約。結婚したメイヤー・クルール。子爵令嬢次女にしては、玉の輿だろう。まあ、肝心のお相手とは心が通ったことはなかったけど。
父親に決められた婚約者が気に入らない。その奔放な性格と評された男は、私と子供を追い出した!
メイドに手を出す当主なんて、要らないですよ!
【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。
「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」
ある日、アリシアは見てしまう。
夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを!
「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」
「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」
夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。
自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。
ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。
※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。
幸せな人生を送りたいなんて贅沢は言いませんわ。ただゆっくりお昼寝くらいは自由にしたいわね
りりん
恋愛
皇帝陛下に婚約破棄された侯爵令嬢ユーリアは、その後形ばかりの側妃として召し上げられた。公務の出来ない皇妃の代わりに公務を行うだけの為に。
皇帝に愛される事もなく、話す事すらなく、寝る時間も削ってただ公務だけを熟す日々。
そしてユーリアは、たった一人執務室の中で儚くなった。
もし生まれ変われるなら、お昼寝くらいは自由に出来るものに生まれ変わりたい。そう願いながら
「本当に僕の子供なのか検査して調べたい」子供と顔が似てないと責められ離婚と多額の慰謝料を請求された。
佐藤 美奈
恋愛
ソフィア伯爵令嬢は、公爵位を継いだ恋人で幼馴染のジャックと結婚して公爵夫人になった。何一つ不自由のない環境で誰もが羨むような生活をして、二人の子供に恵まれて幸福の絶頂期でもあった。
「長男は僕に似てるけど、次男の顔は全く似てないから病院で検査したい」
ある日、ジャックからそう言われてソフィアは、時間が止まったような気持ちで精神的な打撃を受けた。すぐに返す言葉が出てこなかった。この出来事がきっかけで仲睦まじい夫婦にひびが入り崩れ出していく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる