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4愛憎
4-2
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「ひゃっ」
亜紀の悲鳴に、目の前で孝之が驚いた顔をしている。
夕飯時。ダイニングテーブルにはピーマンの肉詰め、トマトとルッコラのサラダ、手羽先、なめこと豆腐の味噌汁が並んでいる。
「どうしたの?」
正面に座っている孝之が、味噌汁に手をかけようとした。
「ちょっと待って!」
亜紀は、勢いよく立ち上がった。椅子がガタンと音を立てる。亜紀は身を乗り出した。孝之の手を振り払うようにして味噌汁を奪う。
「えっ、なに? 味噌汁飲んじゃダメだった?」
孝之が首をかしげた。右手に箸。左手は味噌汁を取ろうとした形のまま宙に浮いている。
亜紀は味噌汁のお椀を持って、対面式キッチンに移動した。孝之から見えないように、キッチンカウンターの陰に手元を隠す。
「ごめん、ネギ入れるの忘れた」
「そんなのいいのに」
孝之がこんがり焼けた手羽先をくわえながら言った。
亜紀が持ち去ったのは、味噌汁のお椀だけではなかった。
亜紀が見つけた時には、そらが味噌汁のお椀に手をつっこんでいるところだった。
いや、つっこんだように見えただけかもしれない。だが、孝之の目の前にそらが現れたことは、亜紀を十分に動揺させた。
味噌汁のお椀を調理台に置き、亜紀はそらの手を調べた。指のない手は初めから赤く、やけどをしているかどうかわからない。
味噌汁は作りたてで相当熱かったはずだ。亜紀は蛇口から勢いよく水を出し、そらの手を冷やした。
「味噌汁、まだ?」
孝之が催促する。
「あ、ごめん」
亜紀は慌てて冷蔵庫を探る。
「あっ!」
亜紀が短く叫んだ。
「びっくりした。今度はなに?」
「ネギ……買ってなかった」
亜紀は冷蔵庫のドアを閉めた。
「なんだ、だからいいって言ったのに」
「ごめん」
亜紀は一度取り上げた味噌汁を孝之に出すと、リビングを出て行こうとした。
「どこ行くの? 食べないの?」
孝之が箸を持つ手をとめて首をかしげる。
「あ、うん。ちょっとやけどしちゃって。絆創膏貼ってくる」
亜紀はそらを抱えて寝室に行った。
ベビーベッドの柵の内側は、バスタオルを丸めたもので囲ってあった。そらが柵の隙間から落ちないようにするためだ。
孝之には、お腹の中の赤ちゃんが生まれた時に、ベビーベッドの柵に頭をぶつけないようにするためだと説明した。気が早すぎると孝之は笑ったが、嬉しそうだった。
亜紀は、孝之が家にいる時はそらをベビーベッドに押し込み、寝室のドアを閉めておいた。閉じこめるようでかわいそうだったが、仕方がなかった。
それでも時々なにかの拍子にそらは寝室から抜け出した。
亜紀がご飯の支度をしている時に、突然キッチンに現れ、思わず踏みつけそうになって慌てることも度々あった。
今日は亜紀が夕飯の支度をしている間に、きっと孝之が寝室に出入りしたのだろう。その際にしっかりドアを閉めなかったに違いない。
小さなそらが、どうやってダイニングテーブルに上ったのかはわからない。気がついた時にはそこにいた。最近のそらは、まるで悪戯をして母親の気をひこうとしている子どものようだった。
「そらちゃん、ごめんね。ここで大人しくしてるんだよ」
そらは亜紀の顔をじっと見つめていた。亜紀の言っていることを理解しているのかどうか、その様子からはまったくわからなかった。
ハイハイができるようになってから、そらはやたらに亜紀の後を追うようになった。
亜紀が家に一人でいる時はよかったが、孝之がいる時は気をつけなければならない。孝之には、亜紀がそらの幻覚を見ていることを悟られないようにしなければならない。そらがいる限り、亜紀は孝之を騙し続けなければならないのだ。
そらがいつか自然に消えるのであれば、亜紀は受け入れようと思う。
だが、いつか孝之に勧められたように精神科に通って幻覚を取り除くことは、亜紀にとって再び人工死産の選択をするようなものだった。
亜紀の悲鳴に、目の前で孝之が驚いた顔をしている。
夕飯時。ダイニングテーブルにはピーマンの肉詰め、トマトとルッコラのサラダ、手羽先、なめこと豆腐の味噌汁が並んでいる。
「どうしたの?」
正面に座っている孝之が、味噌汁に手をかけようとした。
「ちょっと待って!」
亜紀は、勢いよく立ち上がった。椅子がガタンと音を立てる。亜紀は身を乗り出した。孝之の手を振り払うようにして味噌汁を奪う。
「えっ、なに? 味噌汁飲んじゃダメだった?」
孝之が首をかしげた。右手に箸。左手は味噌汁を取ろうとした形のまま宙に浮いている。
亜紀は味噌汁のお椀を持って、対面式キッチンに移動した。孝之から見えないように、キッチンカウンターの陰に手元を隠す。
「ごめん、ネギ入れるの忘れた」
「そんなのいいのに」
孝之がこんがり焼けた手羽先をくわえながら言った。
亜紀が持ち去ったのは、味噌汁のお椀だけではなかった。
亜紀が見つけた時には、そらが味噌汁のお椀に手をつっこんでいるところだった。
いや、つっこんだように見えただけかもしれない。だが、孝之の目の前にそらが現れたことは、亜紀を十分に動揺させた。
味噌汁のお椀を調理台に置き、亜紀はそらの手を調べた。指のない手は初めから赤く、やけどをしているかどうかわからない。
味噌汁は作りたてで相当熱かったはずだ。亜紀は蛇口から勢いよく水を出し、そらの手を冷やした。
「味噌汁、まだ?」
孝之が催促する。
「あ、ごめん」
亜紀は慌てて冷蔵庫を探る。
「あっ!」
亜紀が短く叫んだ。
「びっくりした。今度はなに?」
「ネギ……買ってなかった」
亜紀は冷蔵庫のドアを閉めた。
「なんだ、だからいいって言ったのに」
「ごめん」
亜紀は一度取り上げた味噌汁を孝之に出すと、リビングを出て行こうとした。
「どこ行くの? 食べないの?」
孝之が箸を持つ手をとめて首をかしげる。
「あ、うん。ちょっとやけどしちゃって。絆創膏貼ってくる」
亜紀はそらを抱えて寝室に行った。
ベビーベッドの柵の内側は、バスタオルを丸めたもので囲ってあった。そらが柵の隙間から落ちないようにするためだ。
孝之には、お腹の中の赤ちゃんが生まれた時に、ベビーベッドの柵に頭をぶつけないようにするためだと説明した。気が早すぎると孝之は笑ったが、嬉しそうだった。
亜紀は、孝之が家にいる時はそらをベビーベッドに押し込み、寝室のドアを閉めておいた。閉じこめるようでかわいそうだったが、仕方がなかった。
それでも時々なにかの拍子にそらは寝室から抜け出した。
亜紀がご飯の支度をしている時に、突然キッチンに現れ、思わず踏みつけそうになって慌てることも度々あった。
今日は亜紀が夕飯の支度をしている間に、きっと孝之が寝室に出入りしたのだろう。その際にしっかりドアを閉めなかったに違いない。
小さなそらが、どうやってダイニングテーブルに上ったのかはわからない。気がついた時にはそこにいた。最近のそらは、まるで悪戯をして母親の気をひこうとしている子どものようだった。
「そらちゃん、ごめんね。ここで大人しくしてるんだよ」
そらは亜紀の顔をじっと見つめていた。亜紀の言っていることを理解しているのかどうか、その様子からはまったくわからなかった。
ハイハイができるようになってから、そらはやたらに亜紀の後を追うようになった。
亜紀が家に一人でいる時はよかったが、孝之がいる時は気をつけなければならない。孝之には、亜紀がそらの幻覚を見ていることを悟られないようにしなければならない。そらがいる限り、亜紀は孝之を騙し続けなければならないのだ。
そらがいつか自然に消えるのであれば、亜紀は受け入れようと思う。
だが、いつか孝之に勧められたように精神科に通って幻覚を取り除くことは、亜紀にとって再び人工死産の選択をするようなものだった。
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