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4愛憎
4-4
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予定日から1週間遅れて、葵は生まれた。
3108グラムの女の子だった。元気な産声を聞いたとき、亜紀は喜びで胸が張り裂けそうだった。健康で生まれてくれさえすれば、それだけで十分だった。
激しい陣痛にも耐えられた。それは幸せの痛みだった。
そらを生んだ時とは何もかもが違っていた。
お産には孝之が立ち合い、陣痛に合わせていきむ亜紀の手をずっと握っていてくれた。
分娩台の上で葵を抱いた。そらの小ささに慣れてしまっているせいか、葵が腕にのせられたとき、ずっしりとした重みを感じた。
葵は、顔をくしゃくしゃにして大きな声で泣いた。
小さな葵の手が、亜紀の指をギュッと握った。5本の指で、亜紀の人差し指を必死につかんできた。
すべてが愛らしく、力強い生命力に満ち溢れていた。
分娩台に寝転んだまま見上げると、孝之が葵の頭をなでながら泣いていた。
亜紀は葵と一緒に、5日間を病院で過ごした。
それほど長い期間、そらと離れたのは初めてだった。ふとした瞬間に、そらは家でどうしているのかと気がかりだった。
だが、これで本当にそらとはお別れになるに違いないと覚悟を決めていた。寂しさと、ホッとした気持ちの間で亜紀の心は揺れ動いていた。
退院の日、亜紀は病院でもらった淡いピンクのおくるみに葵を包んだ。
葵は柔らかい頬を赤く染め、すやすやと寝ていた。強く抱きしめると、甘いミルクのような匂いがした。亜紀は、葵の匂いを胸いっぱいに吸いこんだ。
可愛くて可愛くてたまらなかった。こんなに愛しくて大切な命はほかになかった。
自宅に戻ると、亜紀は葵をベビーベッドに寝かせるつもりだった。ベビーベッドの柵を降ろそうとして、亜紀は動きを止めた。
ベビーベッドには、そらがいた。
四つん這いで亜紀の顔を仰ぎ見ている。
そらのことを忘れていたわけではない。だが、生まれたばかりの葵のことで頭の中がいっぱいだったのも確かだ。
「どうしよう」
ベビーベッドは一つしかなかった。
「どうしたの?」
孝之が不審そうな顔で亜紀を見ている。
亜紀は入院中、産後の子宮収縮の痛みに加え、慣れない授乳に精一杯だった。葵を連れて自宅に戻ってからのことなど、具体的に考えていなかった。考える余裕がなかったのだ。
そらと別れることは覚悟していたものの、そらが消えなかった場合に葵をどうやって育てていくかにまでは考えが及ばなかった。
だが、結果そらはここにいる。
葵をベビーベッドに寝かせるなら、そらをどかすほかなかった。
その時、葵が激しく泣いた。顔を真っ赤にしている。
亜紀は葵とそらを見比べた。
「葵、お腹空いてるんじゃない?」
ボーっと立ちつくしたままの亜紀に、孝之が言った。
「あ、うん……」
亜紀はベビーベッドの隣にある、自分のベッドに腰かけた。
シャツをめくっておっぱいを出すと、葵に吸わせた。葵は小さな口をめいいっぱい開き、コクコクと母乳を飲んだ。
必死でおっぱいを吸う葵の顔は愛らしかった。
長いまつげに丸っこい目。赤くつややかな唇。ぽてっとした頬を指で優しくつつくと、ふわっと柔らかい。自然と顔がほころんでしまう。
「車から荷物降ろしてくる」
孝之が、部屋を出て行った。
そらが、ベビーベッドからじっと二人の様子を見ている。
その姿に胸がズキンと痛む。本来なら1歳8か月になるそらは、新生児の葵よりもずっとずっと小さい。
父親や祖父母に一度も抱かれたこともなく、亜紀の後だけを追いかけているそら。母乳を飲んだことも、オムツを替えてもらったこともない。
亜紀は胸が苦しくなった。そらは亜紀の願望が生み出した幻覚なのだから仕方がないと、割り切ることができなかった。
葵は喉を鳴らしながら、おっぱいを吸っている。葵のことを可愛く思えば思うほど、亜紀はいたたまれない気持ちになった。
「そらちゃん、葵ちゃんが生まれたよ。そらちゃんの妹だよ。わかる?」
亜紀がにっこり笑いかけたが、そらは無表情のままだ。
そらからベビーベッドを取り上げてしまうのは可哀想な気がした。亜紀は、葵が母乳を飲み終わると背中を叩いてゲップさせ、自分のベッドに葵を寝かせた。
「ベビーベッド使わないの?」
オムツの袋を持って部屋に戻ってきた孝之が、不思議そうな顔をした。
「うん。こっちの方が夜中の授乳とかも楽そうだし」
亜紀は、適当な言い訳をした。
3108グラムの女の子だった。元気な産声を聞いたとき、亜紀は喜びで胸が張り裂けそうだった。健康で生まれてくれさえすれば、それだけで十分だった。
激しい陣痛にも耐えられた。それは幸せの痛みだった。
そらを生んだ時とは何もかもが違っていた。
お産には孝之が立ち合い、陣痛に合わせていきむ亜紀の手をずっと握っていてくれた。
分娩台の上で葵を抱いた。そらの小ささに慣れてしまっているせいか、葵が腕にのせられたとき、ずっしりとした重みを感じた。
葵は、顔をくしゃくしゃにして大きな声で泣いた。
小さな葵の手が、亜紀の指をギュッと握った。5本の指で、亜紀の人差し指を必死につかんできた。
すべてが愛らしく、力強い生命力に満ち溢れていた。
分娩台に寝転んだまま見上げると、孝之が葵の頭をなでながら泣いていた。
亜紀は葵と一緒に、5日間を病院で過ごした。
それほど長い期間、そらと離れたのは初めてだった。ふとした瞬間に、そらは家でどうしているのかと気がかりだった。
だが、これで本当にそらとはお別れになるに違いないと覚悟を決めていた。寂しさと、ホッとした気持ちの間で亜紀の心は揺れ動いていた。
退院の日、亜紀は病院でもらった淡いピンクのおくるみに葵を包んだ。
葵は柔らかい頬を赤く染め、すやすやと寝ていた。強く抱きしめると、甘いミルクのような匂いがした。亜紀は、葵の匂いを胸いっぱいに吸いこんだ。
可愛くて可愛くてたまらなかった。こんなに愛しくて大切な命はほかになかった。
自宅に戻ると、亜紀は葵をベビーベッドに寝かせるつもりだった。ベビーベッドの柵を降ろそうとして、亜紀は動きを止めた。
ベビーベッドには、そらがいた。
四つん這いで亜紀の顔を仰ぎ見ている。
そらのことを忘れていたわけではない。だが、生まれたばかりの葵のことで頭の中がいっぱいだったのも確かだ。
「どうしよう」
ベビーベッドは一つしかなかった。
「どうしたの?」
孝之が不審そうな顔で亜紀を見ている。
亜紀は入院中、産後の子宮収縮の痛みに加え、慣れない授乳に精一杯だった。葵を連れて自宅に戻ってからのことなど、具体的に考えていなかった。考える余裕がなかったのだ。
そらと別れることは覚悟していたものの、そらが消えなかった場合に葵をどうやって育てていくかにまでは考えが及ばなかった。
だが、結果そらはここにいる。
葵をベビーベッドに寝かせるなら、そらをどかすほかなかった。
その時、葵が激しく泣いた。顔を真っ赤にしている。
亜紀は葵とそらを見比べた。
「葵、お腹空いてるんじゃない?」
ボーっと立ちつくしたままの亜紀に、孝之が言った。
「あ、うん……」
亜紀はベビーベッドの隣にある、自分のベッドに腰かけた。
シャツをめくっておっぱいを出すと、葵に吸わせた。葵は小さな口をめいいっぱい開き、コクコクと母乳を飲んだ。
必死でおっぱいを吸う葵の顔は愛らしかった。
長いまつげに丸っこい目。赤くつややかな唇。ぽてっとした頬を指で優しくつつくと、ふわっと柔らかい。自然と顔がほころんでしまう。
「車から荷物降ろしてくる」
孝之が、部屋を出て行った。
そらが、ベビーベッドからじっと二人の様子を見ている。
その姿に胸がズキンと痛む。本来なら1歳8か月になるそらは、新生児の葵よりもずっとずっと小さい。
父親や祖父母に一度も抱かれたこともなく、亜紀の後だけを追いかけているそら。母乳を飲んだことも、オムツを替えてもらったこともない。
亜紀は胸が苦しくなった。そらは亜紀の願望が生み出した幻覚なのだから仕方がないと、割り切ることができなかった。
葵は喉を鳴らしながら、おっぱいを吸っている。葵のことを可愛く思えば思うほど、亜紀はいたたまれない気持ちになった。
「そらちゃん、葵ちゃんが生まれたよ。そらちゃんの妹だよ。わかる?」
亜紀がにっこり笑いかけたが、そらは無表情のままだ。
そらからベビーベッドを取り上げてしまうのは可哀想な気がした。亜紀は、葵が母乳を飲み終わると背中を叩いてゲップさせ、自分のベッドに葵を寝かせた。
「ベビーベッド使わないの?」
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亜紀は、適当な言い訳をした。
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