世界で一番、可愛いおばけ

ことは

文字の大きさ
18 / 29
4愛憎

4-4

しおりを挟む
 予定日から1週間遅れて、葵は生まれた。

 3108グラムの女の子だった。元気な産声を聞いたとき、亜紀は喜びで胸が張り裂けそうだった。健康で生まれてくれさえすれば、それだけで十分だった。

 激しい陣痛にも耐えられた。それは幸せの痛みだった。

 そらを生んだ時とは何もかもが違っていた。

 お産には孝之が立ち合い、陣痛に合わせていきむ亜紀の手をずっと握っていてくれた。

 分娩台の上で葵を抱いた。そらの小ささに慣れてしまっているせいか、葵が腕にのせられたとき、ずっしりとした重みを感じた。

 葵は、顔をくしゃくしゃにして大きな声で泣いた。

 小さな葵の手が、亜紀の指をギュッと握った。5本の指で、亜紀の人差し指を必死につかんできた。

 すべてが愛らしく、力強い生命力に満ち溢れていた。

 分娩台に寝転んだまま見上げると、孝之が葵の頭をなでながら泣いていた。

 亜紀は葵と一緒に、5日間を病院で過ごした。

 それほど長い期間、そらと離れたのは初めてだった。ふとした瞬間に、そらは家でどうしているのかと気がかりだった。

 だが、これで本当にそらとはお別れになるに違いないと覚悟を決めていた。寂しさと、ホッとした気持ちの間で亜紀の心は揺れ動いていた。

 退院の日、亜紀は病院でもらった淡いピンクのおくるみに葵を包んだ。

 葵は柔らかい頬を赤く染め、すやすやと寝ていた。強く抱きしめると、甘いミルクのような匂いがした。亜紀は、葵の匂いを胸いっぱいに吸いこんだ。

 可愛くて可愛くてたまらなかった。こんなに愛しくて大切な命はほかになかった。

 自宅に戻ると、亜紀は葵をベビーベッドに寝かせるつもりだった。ベビーベッドの柵を降ろそうとして、亜紀は動きを止めた。

 ベビーベッドには、そらがいた。

 四つん這いで亜紀の顔を仰ぎ見ている。

 そらのことを忘れていたわけではない。だが、生まれたばかりの葵のことで頭の中がいっぱいだったのも確かだ。

「どうしよう」

 ベビーベッドは一つしかなかった。

「どうしたの?」

 孝之が不審そうな顔で亜紀を見ている。

 亜紀は入院中、産後の子宮収縮の痛みに加え、慣れない授乳に精一杯だった。葵を連れて自宅に戻ってからのことなど、具体的に考えていなかった。考える余裕がなかったのだ。

 そらと別れることは覚悟していたものの、そらが消えなかった場合に葵をどうやって育てていくかにまでは考えが及ばなかった。

 だが、結果そらはここにいる。

 葵をベビーベッドに寝かせるなら、そらをどかすほかなかった。

 その時、葵が激しく泣いた。顔を真っ赤にしている。

 亜紀は葵とそらを見比べた。

「葵、お腹空いてるんじゃない?」

 ボーっと立ちつくしたままの亜紀に、孝之が言った。

「あ、うん……」

 亜紀はベビーベッドの隣にある、自分のベッドに腰かけた。

 シャツをめくっておっぱいを出すと、葵に吸わせた。葵は小さな口をめいいっぱい開き、コクコクと母乳を飲んだ。

 必死でおっぱいを吸う葵の顔は愛らしかった。

 長いまつげに丸っこい目。赤くつややかな唇。ぽてっとした頬を指で優しくつつくと、ふわっと柔らかい。自然と顔がほころんでしまう。

「車から荷物降ろしてくる」

 孝之が、部屋を出て行った。

 そらが、ベビーベッドからじっと二人の様子を見ている。

 その姿に胸がズキンと痛む。本来なら1歳8か月になるそらは、新生児の葵よりもずっとずっと小さい。

 父親や祖父母に一度も抱かれたこともなく、亜紀の後だけを追いかけているそら。母乳を飲んだことも、オムツを替えてもらったこともない。

 亜紀は胸が苦しくなった。そらは亜紀の願望が生み出した幻覚なのだから仕方がないと、割り切ることができなかった。

 葵は喉を鳴らしながら、おっぱいを吸っている。葵のことを可愛く思えば思うほど、亜紀はいたたまれない気持ちになった。

「そらちゃん、葵ちゃんが生まれたよ。そらちゃんの妹だよ。わかる?」

 亜紀がにっこり笑いかけたが、そらは無表情のままだ。

 そらからベビーベッドを取り上げてしまうのは可哀想な気がした。亜紀は、葵が母乳を飲み終わると背中を叩いてゲップさせ、自分のベッドに葵を寝かせた。

「ベビーベッド使わないの?」

 オムツの袋を持って部屋に戻ってきた孝之が、不思議そうな顔をした。

「うん。こっちの方が夜中の授乳とかも楽そうだし」

 亜紀は、適当な言い訳をした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

夫から『お前を愛することはない』と言われたので、お返しついでに彼のお友達をお招きした結果。

古森真朝
ファンタジー
 「クラリッサ・ベル・グレイヴィア伯爵令嬢、あらかじめ言っておく。  俺がお前を愛することは、この先決してない。期待など一切するな!」  新婚初日、花嫁に真っ向から言い放った新郎アドルフ。それに対して、クラリッサが返したのは―― ※ぬるいですがホラー要素があります。苦手な方はご注意ください。

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

処理中です...