19 / 29
4愛憎
4-5
しおりを挟む
「そらちゃん、ダメッ」
亜紀はキャベツを刻む手を止めた。
包丁をまな板の上に置き、キッチンからリビングに走る。
リビングの床に敷いたベビー布団に、葵が寝ていた。
そらが、葵を叩いている。
実際には叩く仕草をしているだけで、そらの手は葵の体を通り抜けていた。トントントントン、と一定のリズムで叩く。
「やめて、そらちゃん」
亜紀はすやすやと眠る葵を抱き上げた。
急に抱き上げられた葵が、泣き出しそうな顔をする。
「よしよし、大丈夫だよ。葵ちゃんごめんね。ねんねしようね」
亜紀は、葵を軽くゆすってあやした。
葵が深い寝息をたてはじめると、そっと布団に降ろした。
ホッとした瞬間、胃の辺りからイライラがせり上がってきた。
亜紀の手についていた千切りのキャベツがいくつか、葵の布団に張り付いている。亜紀はキャベツを拾い集めた。小さくて取りにくい。
「あーもうっ!」
夜中、2時間に一度の授乳。亜紀は寝不足が続いていた。寝ていないと、ちょっとしたことでも気が立ってしまう。
「葵ちゃん、起きちゃうところだったじゃない」
亜紀は手を止めると、低い声で言った。
「そらちゃん、葵ちゃん叩いちゃダメって言ったでしょ?」
そらが、亜紀を見上げている。そらからは、なんの反応もない。
「わかってるの?」
亜紀の声がだんだんと大きくなる。
「約束守れないなら、お2階だよ」
亜紀はそらを睨みつけた。
そらはただ亜紀を見つめるだけで、亜紀の言っていることを理解している様子はない。そのことが余計に亜紀を苛立たせた。
亜紀はため息をついて、そらを抱き上げると2階に向かった。足のつま先にもイライラが張り付いている。イライラを蹴散らすように、亜紀は激しい音を立てながら階段を上った。
ベビーベッドに、乱暴にそらを押し込む。
「約束守れない子はここにいてね」
胸が痛まないわけではなかった。
だが、亜紀はそらが葵に触れることが嫌だった。そらが葵に触れた時、触れた体の一部が透けて見えるのは、そらではなく葵の方だった。
それが嫌だった。
孝之や早苗がそらに触れたときにも、同じような現象が起きるのを亜紀は見ていた。そのときには何も感じなかった。
しかし、葵に同じことが起きたとき、言いようのない不安を感じた。
初めて葵の体が透けて見えたとき、亜紀は鳥肌が立った。この世に確かに存在しているのは葵ではなく、そらのほうではないかという錯覚を覚えた。
そらが触るたびに葵が透けて見える。いつか葵は全身が透けていき、亜紀の前から消えてしまうのではないか。そんな恐怖に捕らわれた。
亜紀は寝室のドアを力強く閉めた。
思った以上に、ドアが大きな音を立てた。
ドアの前で、亜紀は立ちすくんだ。息が上がっている。両手を胸に当てた。
虐待。
2文字が頭に浮かぶ。
一日中そらを寝室に閉じこめておくなんて、世間でいうそれではないのか。
亜紀は強く唇を噛んだ。
いや、そらは亜紀の願望が生み出した幻覚ではないか。亜紀がどうしようと、他人から咎められることはない。
この事実を知っているのは、亜紀だけだ。咎めることができるのは亜紀だけなのだ。
すべては、寝不足のせいだ。すべての苛立ちが集約されそらに向かって行く。
だが、もしそらがいなかったらこの苛立ちは、どこへ向かうのだろうか。孝之だろうか。それとも葵に向かうのだろうか。亜紀は葵を、閉じこめるのだろうか。
亜紀は深呼吸した。何度吸って吐いても、息は苦しいままだった。
亜紀はキャベツを刻む手を止めた。
包丁をまな板の上に置き、キッチンからリビングに走る。
リビングの床に敷いたベビー布団に、葵が寝ていた。
そらが、葵を叩いている。
実際には叩く仕草をしているだけで、そらの手は葵の体を通り抜けていた。トントントントン、と一定のリズムで叩く。
「やめて、そらちゃん」
亜紀はすやすやと眠る葵を抱き上げた。
急に抱き上げられた葵が、泣き出しそうな顔をする。
「よしよし、大丈夫だよ。葵ちゃんごめんね。ねんねしようね」
亜紀は、葵を軽くゆすってあやした。
葵が深い寝息をたてはじめると、そっと布団に降ろした。
ホッとした瞬間、胃の辺りからイライラがせり上がってきた。
亜紀の手についていた千切りのキャベツがいくつか、葵の布団に張り付いている。亜紀はキャベツを拾い集めた。小さくて取りにくい。
「あーもうっ!」
夜中、2時間に一度の授乳。亜紀は寝不足が続いていた。寝ていないと、ちょっとしたことでも気が立ってしまう。
「葵ちゃん、起きちゃうところだったじゃない」
亜紀は手を止めると、低い声で言った。
「そらちゃん、葵ちゃん叩いちゃダメって言ったでしょ?」
そらが、亜紀を見上げている。そらからは、なんの反応もない。
「わかってるの?」
亜紀の声がだんだんと大きくなる。
「約束守れないなら、お2階だよ」
亜紀はそらを睨みつけた。
そらはただ亜紀を見つめるだけで、亜紀の言っていることを理解している様子はない。そのことが余計に亜紀を苛立たせた。
亜紀はため息をついて、そらを抱き上げると2階に向かった。足のつま先にもイライラが張り付いている。イライラを蹴散らすように、亜紀は激しい音を立てながら階段を上った。
ベビーベッドに、乱暴にそらを押し込む。
「約束守れない子はここにいてね」
胸が痛まないわけではなかった。
だが、亜紀はそらが葵に触れることが嫌だった。そらが葵に触れた時、触れた体の一部が透けて見えるのは、そらではなく葵の方だった。
それが嫌だった。
孝之や早苗がそらに触れたときにも、同じような現象が起きるのを亜紀は見ていた。そのときには何も感じなかった。
しかし、葵に同じことが起きたとき、言いようのない不安を感じた。
初めて葵の体が透けて見えたとき、亜紀は鳥肌が立った。この世に確かに存在しているのは葵ではなく、そらのほうではないかという錯覚を覚えた。
そらが触るたびに葵が透けて見える。いつか葵は全身が透けていき、亜紀の前から消えてしまうのではないか。そんな恐怖に捕らわれた。
亜紀は寝室のドアを力強く閉めた。
思った以上に、ドアが大きな音を立てた。
ドアの前で、亜紀は立ちすくんだ。息が上がっている。両手を胸に当てた。
虐待。
2文字が頭に浮かぶ。
一日中そらを寝室に閉じこめておくなんて、世間でいうそれではないのか。
亜紀は強く唇を噛んだ。
いや、そらは亜紀の願望が生み出した幻覚ではないか。亜紀がどうしようと、他人から咎められることはない。
この事実を知っているのは、亜紀だけだ。咎めることができるのは亜紀だけなのだ。
すべては、寝不足のせいだ。すべての苛立ちが集約されそらに向かって行く。
だが、もしそらがいなかったらこの苛立ちは、どこへ向かうのだろうか。孝之だろうか。それとも葵に向かうのだろうか。亜紀は葵を、閉じこめるのだろうか。
亜紀は深呼吸した。何度吸って吐いても、息は苦しいままだった。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
夫から『お前を愛することはない』と言われたので、お返しついでに彼のお友達をお招きした結果。
古森真朝
ファンタジー
「クラリッサ・ベル・グレイヴィア伯爵令嬢、あらかじめ言っておく。
俺がお前を愛することは、この先決してない。期待など一切するな!」
新婚初日、花嫁に真っ向から言い放った新郎アドルフ。それに対して、クラリッサが返したのは――
※ぬるいですがホラー要素があります。苦手な方はご注意ください。
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる