世界で一番、可愛いおばけ

ことは

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4愛憎

4-5

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「そらちゃん、ダメッ」

 亜紀はキャベツを刻む手を止めた。

 包丁をまな板の上に置き、キッチンからリビングに走る。

 リビングの床に敷いたベビー布団に、葵が寝ていた。

 そらが、葵を叩いている。

 実際には叩く仕草をしているだけで、そらの手は葵の体を通り抜けていた。トントントントン、と一定のリズムで叩く。

「やめて、そらちゃん」

 亜紀はすやすやと眠る葵を抱き上げた。

 急に抱き上げられた葵が、泣き出しそうな顔をする。

「よしよし、大丈夫だよ。葵ちゃんごめんね。ねんねしようね」

 亜紀は、葵を軽くゆすってあやした。

 葵が深い寝息をたてはじめると、そっと布団に降ろした。

 ホッとした瞬間、胃の辺りからイライラがせり上がってきた。

 亜紀の手についていた千切りのキャベツがいくつか、葵の布団に張り付いている。亜紀はキャベツを拾い集めた。小さくて取りにくい。

「あーもうっ!」

 夜中、2時間に一度の授乳。亜紀は寝不足が続いていた。寝ていないと、ちょっとしたことでも気が立ってしまう。

「葵ちゃん、起きちゃうところだったじゃない」

 亜紀は手を止めると、低い声で言った。

「そらちゃん、葵ちゃん叩いちゃダメって言ったでしょ?」

 そらが、亜紀を見上げている。そらからは、なんの反応もない。

「わかってるの?」

 亜紀の声がだんだんと大きくなる。

「約束守れないなら、お2階だよ」

 亜紀はそらを睨みつけた。

 そらはただ亜紀を見つめるだけで、亜紀の言っていることを理解している様子はない。そのことが余計に亜紀を苛立たせた。

 亜紀はため息をついて、そらを抱き上げると2階に向かった。足のつま先にもイライラが張り付いている。イライラを蹴散らすように、亜紀は激しい音を立てながら階段を上った。

 ベビーベッドに、乱暴にそらを押し込む。

「約束守れない子はここにいてね」

 胸が痛まないわけではなかった。

 だが、亜紀はそらが葵に触れることが嫌だった。そらが葵に触れた時、触れた体の一部が透けて見えるのは、そらではなく葵の方だった。

 それが嫌だった。

 孝之や早苗がそらに触れたときにも、同じような現象が起きるのを亜紀は見ていた。そのときには何も感じなかった。

 しかし、葵に同じことが起きたとき、言いようのない不安を感じた。

 初めて葵の体が透けて見えたとき、亜紀は鳥肌が立った。この世に確かに存在しているのは葵ではなく、そらのほうではないかという錯覚を覚えた。

 そらが触るたびに葵が透けて見える。いつか葵は全身が透けていき、亜紀の前から消えてしまうのではないか。そんな恐怖に捕らわれた。

 亜紀は寝室のドアを力強く閉めた。

 思った以上に、ドアが大きな音を立てた。

 ドアの前で、亜紀は立ちすくんだ。息が上がっている。両手を胸に当てた。

 虐待。

 2文字が頭に浮かぶ。

 一日中そらを寝室に閉じこめておくなんて、世間でいうそれではないのか。

 亜紀は強く唇を噛んだ。

 いや、そらは亜紀の願望が生み出した幻覚ではないか。亜紀がどうしようと、他人から咎められることはない。

 この事実を知っているのは、亜紀だけだ。咎めることができるのは亜紀だけなのだ。

 すべては、寝不足のせいだ。すべての苛立ちが集約されそらに向かって行く。

 だが、もしそらがいなかったらこの苛立ちは、どこへ向かうのだろうか。孝之だろうか。それとも葵に向かうのだろうか。亜紀は葵を、閉じこめるのだろうか。

 亜紀は深呼吸した。何度吸って吐いても、息は苦しいままだった。
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