世界で一番、可愛いおばけ

ことは

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4愛憎

4-7

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 産婦人科の待合室でソファに腰かけていると、亜紀は視線を感じた。

 さりげなく辺りを見回すと、一人の少女と目が合った。

 小さな顔に茶色いロングストレートの髪。ゆったりした白いニットにデニムのショートパンツ。10センチはありそうなヒールのパンプスを履いている。

 若いな、というのが亜紀の第一印象だった。

 亜紀はすぐに目をそらした。

 しかし、また視線を感じた。少女が、亜紀の手元を見ている。葵のことを見ているのだろうか。つい赤ちゃんを見てしまうのは、誰にでもあることだ。

 だが、少女の不躾な視線に、亜紀は妙な居心地の悪さを感じた。

 少女が見ているのは葵であって、そらであるわけがない。それでも亜紀はなんとなしに、そらを隠すように手で覆った。

 チラと少女の顔を盗み見ると、もうこっちを見てはいなかった。少女は目鼻立ちの整った美しい顔をしていた。

 亜紀は首をかしげた。どこかで見たことのある顔だと思った。思い出せそうで思い出せない。

「あっ」

 思わず声を上げると、近くに座る女性数人が一斉に亜紀を見た。

 亜紀は恥ずかしくなってうつむいた。

「高山さん」

 受付の女性に呼ばれて、少女が席を立つ。

 亜紀は思い出した。以前、この病院の待合室であの少女を見かけたことがある。絵本を読んでいる親子を、少女は殺気のこもった目で睨みつけていた。

 あれは確か、そらの病気を医師に宣告された日だった。

 少女からは、あの日のギスギスした雰囲気は消えていた。少女は会計をしているようだ。もう帰るのだろうか。

「村瀬亜紀さん。中の待合室でお待ちください」

 少女のことが気になったが、亜紀は返事をして立ち上がった。

 1か月検診では、外面がいいのか葵は泣くこともなかった。葵は身長も体重も標準的で、順調に成長していた。

 検診が終わると午後の4時過ぎだった。

 事前に調べた精神科のある病院は、午後の受け付けが5時までだった。急がなければ終わってしまう。

 亜紀は葵とそらを抱え、慌てて駐車場に出た。

 車に乗り込もうとした時、後ろから声を掛けられた。

「あの、ちょっとすみません」

 振り向くと、待合室で見かけた少女が立っていた。

「高山……さん?」

 亜紀は驚いて言った。

「なんでうちの名前知ってるの?」

 少女の口調が、タメ口に変わった。その口調からは、人なつこさがにじみ出ていて嫌な感じではない。

「さっき、受付で呼ばれてたから。私のこと、見てたでしょう?」

「あ、ばれてた?」

 少女が笑った。

「結衣でいいよ。うちの名前、高山結衣」

 亜紀は時間がないと思ったが、親し気に話しかけてくる結衣を無視する気にはなれなかった。

「私は、村瀬亜紀」

 改めて名乗るのも気恥ずかしいが、結衣に倣って自己紹介する。

「ねぇ、その子」

 結衣が茶色い髪を風になびかせながら言った。

 亜紀は、左腕に抱えた葵を見た。検診で疲れたのか、ぐっすり眠っている。

「いや、そっちじゃなくて」

 結衣に言われて、亜紀は顔を上げた。

「そっちの、ちっこい子」

「え?」

 結衣はそらの方を指さしている。

「その子、無頭蓋症むとうがいしょうでしょ」

 亜紀は唾を飲みこんだ。

 結衣が慌てたように、胸の前で両手を振った。

「いや、変な意味じゃなくて。すごいなって思って。ちゃんと生まれてきてくれたんだって」

 そらは、相変わらず亜紀の顔をじっと見ている。

「あなた……結衣ちゃんだっけ。そらのことが見えるの?」

 結衣は、質問の意味がわからないようで首をかしげている。

「可愛いね」

 結衣が、そらを覗き込むように見た。それが質問の答えだった。結衣には、確かにそらが見えている。

「うちも、赤ちゃん産んでたら、こんな風に抱っこできたのかな」

 結衣が、人差し指でそらの手に触れた。結衣が触れたのは指のない手だったが、なんの躊躇いも感じられなかった。

「結衣ちゃん、もしかして」

 結衣がうなずいた。

「うちはね、赤ちゃん産まなかったの」

「結衣ちゃんの赤ちゃんも、無頭蓋症だったの?」

 結衣が首を横に振った。

「ゼンゼンノウホウショウって知ってる?」

「ごめん、わからない」

「あはは。謝らなくていいよ。うちだってそんなん、初めて聞いたもん」

 結衣が、長い髪をくるくると指に絡ませながら言った。

「全前脳胞症ってね、本当は左右二つに分かれるはずの脳みそが、分かれないんだって。それで、目が一つしかなかったり、象みたいに長い鼻がおでこにくっついて生まれてきたりするんだって」

 結衣は笑顔で話す。今にも泣きそうな笑顔だった。

「最初はね、全然そんなこと知らなかったの。だってうち、初期のうちに中絶するつもりだったんだよ。だって、父親いないんだもん、可哀想でしょ」

 結衣はパンプスのつま先で地面を蹴っている。

「けど、赤ちゃんの心臓の音聞いたら、そんなことできないって思った。うち、一人で赤ちゃん育てるって決めたんだよ。なのにさぁ、お腹の赤ちゃん全前脳胞症だって言うんだもん。13週でだよ。もっと早く言えっつーの」

 結衣が、その場にしゃがみ込んだ。

「ネットでさぁ、色々調べたんだ。赤ちゃんを産むことに、少しでも希望が持てるかなって。でも絶望した。調べるんじゃなかった。そん時にね、無頭蓋症のことも知ったの」

 ネット検索しまくったのは、亜紀も同じだった。そして結衣と同じ結論に至った。

「赤ちゃん、人工死産にしたんだね」

 亜紀が言うと、結衣がうなずいた。

「去年の12月に手術したんだ」

 前回結衣を見かけたのが、去年の12月だった。あの時の悪意の塊のようだった結衣の視線は、赤ちゃんとお別れした哀しみによるものだったのか。

 結衣はしゃがんだまま、
「せめて赤ちゃんに会ってあげればよかったなぁ」
と、亜紀を見上げた。

 結衣の視線はそらに移る。

「うちね、怖くて赤ちゃんに会えなかったの」

 結衣が立ち上がる。

「でも会えばよかった。他人の子でもこんなに可愛いんだもん。自分の子だったら、どんな姿でも可愛いに決まってるよね」

 結衣が微笑みながらそらを見た。

「亜紀さんはすごいね。この子産む選択したんだよね?」

 結衣の真剣な眼差しに、亜紀は答えることができなかった。

「この二人、似てるよね?」

 結衣は葵とそらを見比べた。

「そうかな」

 亜紀は二人が似ていると思ったことなどなかった。あまりの容姿の違いに、そういう風に見比べたことがなかった。

 だが、姉妹なのだから似ていて当たり前なのだ。

「うん。似てるよ。目がぱっちり大きいところなんてそっくり。双子ちゃんなの?」

 結衣がにっこり笑う。

「違うの。この子、そらっていうんだけど、本当はもう1歳9か月になるの。全然大きくならないんだけど」

 結衣が目を丸くする。

「そうなんだ。でも、ちっちゃくて可愛い。そらちゃんは、ずっとママのことばっか見てる。きっとママが大好きなんだね」

 結衣がちょこんとそらの頬をつついた。

「あの、結衣ちゃんは今日はどうして産婦人科に?」

「うち、人工死産してからすごい生理不順になっちゃって。あんなことがあったからさぁ、将来赤ちゃんできない体になっちゃうんじゃないかって心配で」

 結衣は照れたように笑った。

「結衣ちゃんって、何歳なの?」

「19」

「私も10代の頃はまだ、生理周期が安定してなかったよ。だから心配しなくても大丈夫」

「うん。先生もまだ若いから大丈夫って言ってた」

 結衣が屈託のない笑顔を見せた。亜紀もつられて笑う。

 亜紀は、感情が素直に表情に出る結衣に好感を持った。そらを可愛いと言ってくれたことも嬉しかった。

「最後に一つお願いがあるんだけど」

 結衣が両手を顔の前で合わせた。

「そらちゃん、抱っこしてみてもいい?」

 亜紀は戸惑った。さっきから結衣は、そらの手や顔に触れている。どちらかの体が透けて見えることはなかった。結衣には、そらを抱っこすることが可能なのだろうか。

「いいよ」

 気がついたらそう答えていた。

 白いハンカチを巻き付けたそらを、結衣の方へ差し出す。

 結衣は頬を蒸気させ、両手でそらを包みこむように受け取った。

「わぁ。本当にちっちゃい」

 結衣がそらをあやすように体を揺らしている。

 亜紀はその姿を見て頭の中が混乱した。

 そらは、亜紀の妄想ではなかったのか。精神疾患が生み出す幻覚ではなかったのか。どうして結衣にそらが見えるのか。どうして結衣に、そらが抱けるのか。次から次へと疑問が沸いてくる。

 頭がクラクラした。

「亜紀さん、大丈夫?」

 結衣が、心配そうに亜紀の顔を覗き込んでいる。

 知らないうちに、亜紀の体はグラグラと揺れていた。ハッとして葵を抱きかかえ直す。

 アスファルトの上に葵を落としたら大変なことになる。

「なんか顔色悪いよ」

「大丈夫。寝不足でちょっと目眩がしただけ」

 亜紀が答えると、結衣がそらを手渡してきた。

「そらちゃん抱っこさせてくれてありがとう。うち、なんか元気出てきた。じゃあね、亜紀さん、バイバイ」

 結衣はクルッと向きを変え走り出した。駐車場の隅に停めてある、黒の軽自動車に乗りこむと、亜紀に手を振った。

 両手が塞がっていた亜紀は、笑顔でそれに応えた。

 結衣を見送ると、亜紀も車に乗った。精神科に行くのはやめて、今日はこのまま自宅に戻ることにした。
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