世界で一番、可愛いおばけ

ことは

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4愛憎

4-8

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 家に帰っても、亜紀の頭の中では混乱が続いていた。

 まだ眠ったままの葵をリビングの布団に寝かせ、亜紀はソファに座った。

 膝にそらを座らせる。外出時、そらを包んでいた白いハンカチは、家に着いた途端にはがされた。そらは生まれたままの姿に戻り、大人しく亜紀を見つめている。

 どうして結衣にはそらが見えたのか。

 亜紀の見ている幻覚が、たまたま病院で会っただけの結衣にも見えるなど考えにくい。たとえ人工死産という共通の体験があったにしてもだ。

 これまで亜紀は、そらの存在が幻に過ぎないと思い込んでいた。孝之が亜紀に、精神科の受診を勧めたからだ。

 だが、亜紀以外の人にも見えるのなら、そらは亜紀の幻覚ではないということになる。それならば、精神科に通ったところでそらが消えることはないのか。そもそも亜紀は、精神疾患ではなかったということになる。

 そらの存在は一体なんなのだろう。

 もしかしたら、もっとそらを外に連れ出せば、他にもそらのことが見える人に出会うかもしれない。そらを連れて街中を歩いてみようか。

 しかし、亜紀はその考えを打ち消した。

 結衣のように、そらに対して好意的な態度を示してくれる人ばかりではないだろう。もしそらのことが見えたとしても、目を背ける人がほとんどかもしれない。結衣のように声をかけてくる人などいるはずがない。

 それどころか、心ない人たちから誹謗中傷を浴びせられることもあるかもしれない。そらをやたらに外に連れ出すなどという危険な行為は避けたい。

 亜紀は、早苗の第一子の出産祝いにそらを連れて行ったことを思い出した。亜紀は試しにもう一度、そらを早苗と友里に会わせてみようと考えた。

 亜紀は早苗と友里にメールを送った。

 亜紀が葵を出産した病院は、感染症予防のため、入院中は家族の面会しか許されていなかった。そのため、自宅を訪ねるから落ち着いた頃に連絡がほしいと二人に言われていた。

 しかし、葵とそらのことで寝不足が続き、連絡しないままになっていた。

 しばらくして、早苗からメールがきた。

【明日、友里が仕事休みなんだって。急だけど行ってもいい?】

【大丈夫だよ。楽しみに待ってるね】

 亜紀は高鳴る胸を押さえ、メールを送信した。

 翌日の午後、友里と早苗がやってきた。

「今開けるね」

 インターホン越しに言うと、亜紀はそらを腕に抱えて玄関に向かった。

「亜紀、久しぶりー」

 玄関を開けると、早苗が顔を出した。車柄の青いカバーオールを着た赤ちゃんを抱いている。葵より一足早く、5月に生まれた浩介だ。

 早苗はやはり、そらの方は見向きもしない。

 亜紀は残念なようなホッとしたような複雑な気分だった。

 後から友里が入ってくる。

「おじゃましまー」

 す、が聞こえなかった。

 つかの間言葉を失ったようだった。友里が身を固くしたように見えた。まだいたんだ、そう呟いた気がした。そらの方を、一瞬見た気がした。

 だが、それは亜紀の意識しすぎだと言われれば、そうかもしれないという程度のものだった。ほんのわずかな違和感。確信はなかった。

 そらが見えるの? そう亜紀から友里に問いかけるほどの勇気はなかった。

「とりあえず、浩介をお願い」

 早苗が浩介を、亜紀に押しつけようとしてきた。

「えっ」

 そらを抱えていた亜紀は、すぐに反応できなかった。

「私、抱っこしてるよ」

 友里がさっと早苗の方に手を伸ばす。

「サンキュ」

 早苗は友里に浩介を預けると、玄関を開けて外に出て行った。

 あっけにとられている亜紀に、友里が笑う。

「上の子、車で寝ちゃったんだって」

「拓也くん?」

「うん」

 すぐに玄関が開いて、早苗が拓也を抱えてきた。

 拓也の黄色いTシャツがめくれて、背中が見えている。完全に寝てしまっているようで、手足がブラブラしていた。

 拓也は、1歳7か月になる。そらも本当なら、この位に成長しているはずだった。

 リビングに入ると、早苗は拓也を床に転がすように寝かせた。

「座布団持ってくるよ」

 亜紀が言うと、いい、いいと早苗は手を振った。

「いつも適当だから」

 早苗は、拓也のめくれ上がったTシャツを直しながら笑った。

「ごめん、重いでしょ」

 早苗は、友里から浩介を受け取って拓也の横に寝かせた。とたんに浩介が手足をバタつかせて泣き出す。

「うわ始まった」

 早苗が抱き上げると、浩介はすぐに泣きやんだ。

「ずっと抱っこちゃんなんだよね、この子は。葵ちゃんはお利口さんでうらやましい」

 早苗が、ベビー布団に寝転んでいる葵を見て言った。葵は握った自分の手をなめて、一人で遊んでいる。

 早苗と友里が、葵を左右から覗き込む。

「亜紀に似てるよ。かわいいー」

 友里が、葵の頬を撫でた。

「やっぱり女の子はいいねー」

 早苗が葵の手を握る。

 褒められたことがわかるのか、葵は元気よく手足を動かしている。

 やはり二人とも、そらのことは見向きもしない。葵が褒められて嬉しい分、亜紀はそらが不憫になった。

「紅茶いれるからちょっと待っててね」

 そらを抱いたままでは、紅茶の一杯もいれられない。

 しかし、そらをその辺に放置しておくのも、気が気ではない。亜紀は一度2階に行き、ベビーベッドにそらを寝かせた。

 1階に戻り三人分の紅茶をいれていると、拓也が起きた。

「ちゃーちゃ、のむ。のど、かわいた」

 拓也が走り寄ってきて、ダイニングテーブルにつかまる。

「熱いから気をつけてね」

 亜紀がいうと、うん、と拓也がテーブルから離れる。

「拓也くんのも入れるから待っててね」

 亜紀が言うと、
「麦茶持ってきたから大丈夫だよ」
と、早苗がバッグから水筒を取り出した。

 拓也は飛びつくように早苗の所へ走る。

「ブッブー! これたっくん。ちゅき」

「車が好きなんだよね」

 水筒にはポップなタッチの車のイラストが描かれている。

「この間まで赤ちゃんだったのに、もう、こんなにしゃべるんだね」

 友里が感心したように言う。

「男の子だからこんなもんだけど、周りの子見てると、女の子はおしゃべりもっと早いよ。きっと葵ちゃんもすぐだよ」

 早苗が水筒の蓋を開けると、すぐに拓也が水筒を両手で抱えるようにして持った。飲み口に唇をつけて、勢いよく飲み始める。

「拓也くん、おせんべい食べるかなぁ」

 亜紀が戸棚の中を探していた時だ。

 麦茶を飲んで機嫌よく走り回っていた拓也が、突然激しく泣き出した。目と口を大きく開き、地団太を踏んでいる。

「急にどうしたの?」

 早苗が聞いても、拓也は目を見開いたまま泣き叫んでいる。

 亜紀は、拓也が凝視している先に目をやった。

「いつの間に……」

 そこには、四つん這いで亜紀を見つめるそらがいた。亜紀は走って行って、そらを両手に抱き上げた。

 拓也の絶叫は止まらない。

「もう、どうしちゃったの」

 早苗が困った顔で拓也を抱きしめる。

「もしかして……」

 亜紀はすべての動きを止め、拓也をじっと見つめた。

「拓也くん、見えるの?」

 亜紀が聞いたが、拓也は答えられる状態ではなかった。悲鳴に近い声を上げている。

 亜紀はそらを両手に乗せたまま、拓也に一歩近づいた。

 拓也は全身を震わせ叫び、早苗にしがみつく。

 もう一歩近づく。拓也はカッと目を見開き、半狂乱で泣き叫ぶ。

 恐らく、拓也にはそらが見えている。

 だが、亜紀は確信が欲しかった。亜紀の質問に答えてほしい。

「ねぇ、拓也くん」

「亜紀。拓也くん怖がってる」

 ハッとして振り向くと、友里が亜紀の袖を掴んでいた。

「友里、もしかして……」

 友里は亜紀の目をじっと見つめている。

 友里がゆっくりとうなずいた。

「わかった、亜紀。拓也多分、これが怖いんだと思う」

 早苗が、リビングの片隅にある、そらの白い骨壺を指さした。

 拓也は骨壺など見ていない。1歳の子どもに、骨壺の中に何が入っているかなどわかるはずがない。早苗にはそれがわかっていない。

 亜紀がそらを手で覆い隠すと、拓也はやっと目を離すことができたようだ。拓也は早苗の胸に顔をうずめた。泣き声がくぐもって聞こえる。

「そろそろ、お寺にでも預けたら? でないと供養できないんじゃない。うみちゃんだっけ、あれ? りくちゃん?」

 早苗が首をかしげた。

「そら」

「あぁ、そらちゃんだ」

 亜紀が当てつけるように大きくため息をついたが、早苗は気にする様子がなかった。

「亜紀も早く二人目産んだ方がいいよ。もう年なんだし、いつ子ども出来なくなるかわからないじゃん」

 友里の表情が固くなるのを、亜紀は見逃さなかった。

 気がついていないのは、早苗だけだ。

 早苗は拓也の背中をあやすように叩いた。拓也はまだしゃくり上げている。

 早苗は小さな浩介を抱きながら拓也をあやすのに精いっぱいのようだ。思いついたことを適当に口にしているだけなのだろう。深い意味はない。

 亜紀はなにも言い返さなかった。早苗の言うことを真に受けるだけ損だ。早苗は無神経で悪意がないからこそ、質が悪い。

「拓也くん」

 亜紀が近づこうとすると、拓也が顔を上げて喚いた。

「かえる、かえる、かえるー」

 拓也は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしている。

「ごめん、今日はこいつがうるさいから帰るわ。これ、出産祝い。騒がしくてごめんね」

 早苗は、拓也と浩介を両手に抱えて帰っていった。

「たくましいね」

 その後ろ姿に友里がつぶやいた。
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