世界で一番、可愛いおばけ

ことは

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5地獄から天国

5-1

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 その日は、葵の2歳の誕生日だった。お昼時に孝之と亜紀の両親が家に集い、葵の誕生日を祝った。

「わぁ! おいしそう!」

 大きなデコレーションケーキを前に、葵は目を輝かせた。

「ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデーディアあおいちゃーん、ハッピバースデートゥーユー」

 葵がフーッと息を吹きかける。蝋燭の火が一つ消えるたびに、皆ですごいすごいと褒めたたえた。

 すべて火を消し終えると、葵は自慢げに鼻の穴を膨らませた。

 葵は、お姫様みたいなピンクのドレスに身を包み上機嫌だ。

 なかなか伸びない髪を結ぶと言ってきかず、無理やり二つに結んでいる。ちょこんと両側に飛び出した髪が、子どもらしくて可愛かった。

 葵はケーキを頬張り、鼻の頭に白い生クリームをつけていた。

 亜紀の母親が、
「葵ちゃん、ケーキ好き?」
と訊ねると葵は、
「うん。だーいすき」
と両手を胸の前で合わせた。

 その愛らしさに、皆が笑顔になる。

 葵は1歳を過ぎた頃から、少しずつお喋りをするようになった。

「ママ」「パパ」「じいじ」「ばあば」「ねんね」「バイバイ」「わんわん」などの単語から始まり、1歳3か月頃には、「ママ、いない」「パパ、いた」「ごはん、たべる」など二語文を話すようになった。

 葵の成長は著しく、2歳になる少し前から一気に会話らしい会話ができるようになっていた。

「はい、誕生日プレゼント。どうぞ」

 亜紀と孝之の両親が、それぞれに葵にプレゼントを渡す。

「わぁ、ありがとう。なにかなぁ」

 葵が、プレゼントの包装を開けようとする。しかし、うまく包装紙がはがせない。

「やってあげようか?」

 孝之が、プレゼントに手を伸ばす。

「いや。じぶんで」

 葵はプレゼントを抱え、背を向けた。その姿に皆が笑う。

「あー、できない。あけてー」

 葵がとうとう音を上げた。

 葵は祖父母たちに囲まれて嬉しそうだ。

 亜紀はふと思った。誕生会くらい、そらも参加させてあげようか。

 葵には、そらが見えない。普段はそらと葵をなるべく接触させないようにしていた。二人が接触した時、葵の体が透けることは、何度見ても慣れるものではなかった。

 孝之だけでなく二人の両親がいる今、そらを連れてくることは亜紀にとって危険な行為だった。

 亜紀が不自然なふるまいをすれば、精神疾患を疑われる可能性がある。そらが見えない人たちに、亜紀の妄想や幻覚だと思われるのも無理はない。

 2階のベビーベッドで、そらは一人きりだ。葵の誕生日を祝って皆が笑顔になればなるほど、亜紀は胸が苦しくなった。

「これ、かわいい」

 葵は、プレゼントにもらった桃色のうさぎのぬいぐるみを抱きしめている。

 亜紀はそっとリビングを抜け出した。

「そらちゃん、おいで」

 ベビーベッドの柵を降ろし、両手を差し出すと、そらがハイハイで亜紀の方へやってきた。

 そらは身長も体重も変化が見られないが、呼べばこうして来るようになった。ゆっくりとだが、そらだって成長しているのだ。

「ママ―! みてー」

 1階から、葵の叫ぶ声が聞こえる。

「うさちゃん、かわいいよー。みてー」

「今行くよー」

 亜紀はそらを抱き、リビングに戻った。

「ママ!」

 葵が大きなうさぎのぬいぐるみを抱きしめながら走ってくる。

「本当だぁ。かわいい」

 亜紀が笑いかけた瞬間、葵の足が止まった。葵の目が極端なほど大きく見開かれている。

 うわーん、と葵が泣き出した。

 どうしたの、と亜紀の母が葵に駈け寄る。

「こわい、こわい」

 葵が泣き叫ぶ。

「なにが怖いの?」

 亜紀の母が問う。

「おばけ、こわい」

 葵が、亜紀の方を指さした。

 亜紀は、足がすくんだ。全身の血流が足元の方へ下がっていく。頭の芯が冷たく痺れていく。喉の奥になにかが詰まり、声が出ない。

「おばけじゃないよ、ママだよ」

 亜紀の母が葵の涙をハンカチで拭いている。

「どうしちゃったの、葵ちゃん?」

「なに、泣いてるんだ、葵?」

 孝之が、葵の顔を覗き込むように見る。

 亜紀は、クルリと葵に背中を向けた。フラフラした足取りで、2階へ行く。ベビーベッドにそらを戻す。心臓が激しく脈打つ。

 亜紀は大きく息を吸って吐いた。動悸は治まらない。亜紀は胸を押さえながらリビングへ戻った。

 葵は、孝之の首にかじりついて泣いていた。

「葵ちゃん」

 亜紀が話しかけると、葵が振り向いた。葵は亜紀の顔を見ただけで、再び大きな声で泣き始めた。すぐに孝之の胸に顔をうずめてしまう。

 亜紀は葵に近づいた。葵の肩を揺さぶるようにして、亜紀の方を向かせる。

「おばけ、まだいる?」

 亜紀は目に涙をためて聞いた。

「ううん。いないよ」

 葵が鼻をすすりながら言った。

「おいで」

 亜紀が手を差し出すと、葵は亜紀の首に手を回した。そのまま孝之から葵を抱き取る。

「ママ―、ママ―」

 葵は泣きながら亜紀にしがみついた。

「おかしいねぇ、葵ちゃん」

「赤ちゃんみたいだねぇ」

「ママが一番好きだよねぇ」

「いや、パパでしょ」

 孝之も両親も、子どもの気まぐれだと思っている。葵が突然泣くのも笑うのも。今のところは。だが、度々葵がパニックに襲われるのを見たらどうだろう。

 亜紀はどうしたらいいかわからなかった。これからどうしたらいいのか。誰をどうやって守っていけばいいのか。

 しかし葵を……、葵を守らなければならない。

 亜紀は全身の震えが止まらなかった。
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