世界で一番、可愛いおばけ

ことは

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5地獄から天国

5-3

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 亜紀は数日の間、気づけばボーっと宙を見つめ、放心していることがあった。葵や孝之に大きな声で何度も呼ばれてようやく気づく。

「最近どうかした?」

 昨晩、孝之が眉間に皺を寄せて聞いてきた。

「なんでもないよ」

 亜紀はそう答えた。

 そして今朝、気持ちを入れ替えることにした。

 亜紀は久しぶりに、そらの骨壺にミルクを供えた。

「どうしてミルクあるの?」

 葵が、キョトンとした顔をしている。

「あおいちゃん、もうのまないよ」

 骨壺の前に正座していた亜紀の膝に、葵がちょこんと座った。

「この中にはね、葵ちゃんのおねえちゃんがいるの」

「こんなちっちゃいところに、いるわけないよ」

 葵が笑った。

「葵ちゃんのおねえちゃんはね、お母さんのお腹にいるときに病気で死んじゃったの」

「しんじゃったの?」

 葵が不思議そうな顔をする。

「しんだらこのなかにはいれるの?」

「そうよ」

 葵が首をかしげた。

「ママが話してることわかる?」

「うーん、わかんない」

 亜紀は葵の頭をなでた。

「このミルクは、葵ちゃんのおねえちゃんにあげるんだよ」

「おねえちゃんって、おなまえなに?」

「そらちゃん。葵ちゃんのおねえちゃんは、そらちゃんっていうの」

 葵の表情がこわばった。

「そらちゃんて、おばけ?」

「おばけじゃないよ」

 葵がギュッと亜紀にしがみついてくる。

「怖いの?」

 葵はなにも言わなかった。

「葵?」

 葵が顔を上げた。にっこり笑っている。

「ママ、あそぼ」

 葵が立ち上がって亜紀の腕を引っ張った。

 これからはそらの骨壺にミルクを供え、葵と遊ぶ普通の毎日を送ろうと亜紀は決めた。

   ◇

 亜紀が夕飯の買い物から帰って来た時だ。

 玄関を開けると、耳を切り裂くような葵の泣き声が聞こえた。普通の泣きかたではなかった。

 今日は孝之の仕事が休みで、葵の面倒を見ているはずだ。

 嫌な予感がした。

 亜紀は靴を脱ぎ捨て、買い物袋を放り投げた。リビングに走る。

 葵が髪を振り乱している。立ったまま叫ぶように泣いている。息をつく間もなく泣き続け、顔が紫色になっている。

 尋常ではない泣き方だった。亜紀がいない間に、なにかがあったはずだ。

「なにをしたのっ!」

 亜紀が叫ぶと、困り果てた顔の孝之が振り向いた。

「俺はただ、オセロを教えてあげようとしただけなんだけど」

 孝之の手には、古びたオセロの箱が握られている。

 亜紀はリビングの四方八方に目を走らせた。

 黒いソファ。ダイニングテーブル。骨壺。キッチンカウンター。葵のおもちゃ箱。どこも異常はない。

 葵は泣きやまない。

「そのオセロ、どうしたの?」

「これは、俺が昔使ってたやつだけど」

「どこから出してきたの?」

「納戸だけど」

 亜紀は大きくため息をついた。

 葵が叫び続けている。

「葵ちゃん!」

 亜紀は葵に走り寄って抱きしめた。葵が、亜紀の胸に顔をうずめる。

「大丈夫よ、大丈夫」

 頭を優しくなでる。

 葵の泣き声が小さくなっていく。

「少し落ち着いた?」

 亜紀は葵の背中をさすった。

 突然、葵が顔を上げた。金切り声で叫ぶ。

「ママっ、おばけっ!」

 亜紀は、葵が指さしている方を見た。

 テレビ台の隙間に、そらがいた。そらは亜紀を見ている。

 亜紀がそらの方へ行こうとすると、葵が亜紀の服を引っ張った。

「ママ、いっちゃダメ、いっちゃダメ」

 葵が必死で引き留める。

 亜紀は葵を振り切り、そらを抱き上げた。すぐに廊下に出てリビングの戸を閉める。

 リビングから葵のむせるような泣き声が聞こえる。今にも嘔吐してしまいそうな泣き方だ。

 迷っている余裕はなかった。

 亜紀は、納戸に素早くそらを閉じ込めた。

 リビングに戻ると、孝之が葵を抱きかかえていた。

「ママ!」

 孝之から離れ、葵が亜紀に飛びついてくる。

「いったい、どうしちゃったんだよ、葵は」

 孝之が、オセロをダイニングテーブルに置いた。

 葵は亜紀の腕の中で喉をひくつかせている。

「おばけ……そらちゃん、おばけ」

 葵が途切れ途切れに言う。

「そらちゃん?」

 孝之が首をかしげた。

「いたの……そらちゃん、おばけ」

 葵が涙を拭きながら孝之を見た。

「なんのことかわかる?」

 孝之が亜紀を見る。

 亜紀は唇を噛んだ。

 そらのことが葵にも見える今、もう孝之に隠し通すことはできない。

 亜紀は大きく息を吸った。

「そらちゃんが見えるのよ、葵ちゃんにも」

 亜紀の声は震えていた。

「ねぇ孝之、覚えてる?」

「なに?」

「3年半くらい前に、私が孝之にドッキリを仕掛けた時のこと」

 孝之は首をかしげた。

「なんだっけ?」

「そらちゃんが生きてたって、私が言ったこと。孝之に、そらちゃんを見せたこと。でも、孝之にはそらちゃんが見えなくて、私に精神科に行こうって言ったこと。ねぇ、覚えてない?」

 孝之の目が泳いだ。しばらくして、あぁ、と言った。

「思い出した?」

「あれは酷いドッキリだったな」

 孝之が苦笑いする。

「あれ、ドッキリじゃないんだよ」

「は?」

 孝之が不安そうな顔をした。

「私、孝之のことずっと騙してたの。3年半の間ずっと。そらちゃんは本当にいるの。もちろん、私の妄想なんかじゃないよ。だって、葵にも見えるんだもの」

 孝之はため息をついて、頭を抱えた。

「それってつまり、幽霊ってこと?」

 孝之が躊躇いがちに言った。

「わからない。そらがなんなのかはわからない。だって幽霊にしてはリアルすぎるの。柔らかいし温かいし重みだってちゃんとあるんだよ」

 孝之が首を横に振った。

「信じられん」

「でも葵ちゃんだって」

「ちょっと考えさせて」

 孝之はダイニングテーブルの上のオセロを手にした。

「それ、片づけるの?」

 亜紀が聞くと、孝之があぁ、と頷いた。

「納戸は開けないで。そらちゃんを閉じ込めているの」

 亜紀が言うと、孝之の喉ぼとけが動いた。

「ちょっと外に出てくる」

 孝之は車の鍵を持って出て行った。
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