悪役さん、私をヒロインにしないで

花@脳内白紙

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有栖川芽依はごく普通のOL。朝は満員電車に揺られ、会社ではパソコンの前に座り、定時になると足早に帰宅する。特別目立つこともなく、日々は淡々と過ぎていく。それでも、平凡な日常の中に、芽依はささやかな楽しみを見つけていた――幼なじみたちとのやり取りだ。
「おはよう、芽依」
目の前に現れたのは宮代守。中学時代からの幼なじみで、正義感が強く、少し融通の利かないタイプだ。守の真面目な笑顔に、芽依は心が落ち着く。
「おはよう、守」
「今日も寝坊しなかったんだな」
「え、うん。まあね…」
守はいつものように、少し照れくさそうに眉を下げる。その慎ましさが芽依にとって心地よかった。
そして、もう一人――皇悠人。
「おはよ、芽依~。今日も元気そうだな」
悠人は笑顔を浮かべ、軽やかに歩いている。その瞳には、いつもどこか挑発的な光が宿る。芽依は眉をひそめるが、内心、少し心が弾むのを感じていた。
「もう…悠人ってば、変わらないね」
「変わらないのがいいんだよ、芽依」
悠人は肩をすくめ、軽やかに笑う。その瞬間、芽依の胸は少し高鳴る。しかし、それが恋心なのか、幼なじみとしての安心感なのか、まだ芽依はわからなかった。


春の午後、芽依は会社帰りに駅前の道を歩いていた。背後から聞こえる悠人の軽やかな笑い声。振り返ると悠人は何もなかったかのように歩いている。だが、彼の心の中では、誰にも言わずひそかに計画が進行していた。
自室でノートにペンを走らせながら、悠人は心に誓う。
「芽依には悪役の俺は相応しくない。でも、近くで見守るには…これしかない」
その思いは強く、静かに、しかし確実に芽依との距離を制御しようとする行動に変わっていく。
ある日の帰り道、芽依が段差につまずき、よろける。悠人はすぐそこにいたが、手を差し伸べずに見守る。守が駆け寄り、芽依を助ける。悠人は胸の奥で小さく呟く。
「よし…少しずつ、芽依は俺から距離を置く」
計画は秘密裏に始まった。表向きはいつも通りの笑顔、裏では戦略が練られる日常。それが、悠人にとっての「悪役計画」の始まりだった。

計画初日__駅前の歩道は、夕方になると人で溢れかえっていた。
仕事帰りの会社員、学生、買い物袋を提げた主婦たちが、同じ方向へと流れていく。
その中で、芽依はほんの小さな段差につまずいた。
「あ——」
身体が前に傾く。
視界の端に、金色が映った。
——悠人はすぐ隣にいた。いつもなら、何も考えず手を伸ばしてくる距離だ。けれど。その手は、伸びなかった。
悠人は立ち止まり、ほんの一瞬だけ芽依を見ると、何もなかったかのように視線を逸らした。
「芽依!大丈夫か!」
慌てて駆け寄ってきたのは守だった。
肩を支えられ、芽依はどうにか体勢を立て直す。
「う、うん……ありがとう、守」
ほっとしたように笑う芽依。そのやり取りを、悠人は少し離れた場所から見ていた。
(……それでいい)
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
(俺が出る幕じゃない)
悠人は自分にそう言い聞かせ、軽く肩をすくめた。
「ドジだなぁ、芽依」
冗談めいた声で言いながら、あえて近づかない。
芽依は一瞬、きょとんとしたあと、少しだけ眉をひそめた。
「……もう」
その反応に、悠人の胸が痛む。けれど、それでも——。
(それでいい)
それが、最初の「悪役」だった。それから悠人は、少しずつ距離の取り方を変えていった。からかう。突き放す。芽依を頼らせない。
「芽依ってさ、相変わらずだよな。守がいなきゃ何もできねーんじゃね?」
笑いながら吐いた言葉は、わざと棘を含ませたものだった。
「なにそれ……ひどい」
芽依がむっと唇を尖らせる。
「言いすぎだぞ、悠人」
守が眉をひそめる。
悠人は、内心で小さく安堵した。
(よし……ちゃんと、守が庇う)
胸の奥では、別の声が叫んでいる。
(違う。芽依は、そんな弱くない)
それでも口には出さない。
優しくする理由を、全部捨てる。
悪役は、嫌われてなんぼだ。

悠人は、公園や商店街で芽依を見守りつつ、悪役演出を加速させる。彼の目的はただ一つ――自分は芽依に相応しくないと信じ、身を引くこと。
ある日、芽依と守が立ち話をしている。
「芽依、今日も頑張ったね」
「ありがとう、守。助かったわ」
悠人は胸に焦りを覚える。「芽依は守に惹かれている」と、根拠のない妄想に囚われる。しかし芽依は恋心など抱いていない。ただの会話だ。
悠人はわざと明るい声で割り込んだ。
「へぇ~、いい感じじゃん。もう付き合えば?」
二人が同時にこちらを見る。
「な、なに言ってるの、悠人!」
芽依が慌てる。守も困ったように言う。
「そういうの、冗談でも言うなよ」
悠人は笑った。
「冗談だって。図星だった?」
胸が痛い。それでも笑う。
(これでいい。芽依は俺を見なくなる)
悠人は荷物を抱えた芽依を小さなトラブルに巻き込み、少し戸惑わせる。芽依はただ驚くのみ。守も困惑する。計画は秘密裏に進み、誰も真意に気づかない。

雨の日、芽依は傘を忘れ、濡れた髪が肩に張り付き、バッグも水を吸って重くなっていた。水たまりを避けながら歩く足元は滑りやすく、息も少し荒い。
悠人は少し離れた場所から、その光景をじっと見つめる。胸の奥には矛盾した感情があった。困らせることで距離を置こうとしているのに、芽依が不憫で仕方ない。
「…今日も、ちょっと困らせるか」
傘は、ちゃんと持っている。
(……行くな)
心の中で、何度も繰り返す。
(今行ったら、全部壊れる)
守が走ってくる。
「芽依!入れよ!」
二人が同じ傘に入るのを、悠人は黙って見送った。
優しく濡れた髪を整える守の姿に、悠人は胸がぎゅっと締め付けられる。
芽依の心は複雑だ。戸惑いと、胸の奥に芽生えた不思議な期待感。雨が小止みになり、薄日が差し込み濡れた街の景色が金色に輝く。芽依は気づく――悠人の悪役ぶりは、ただの意地悪ではないと。
夜、ベッドに横たわる芽依。今日の出来事を思い返す。
(悠人…どうして……来てくれなかったの…)
雨の匂い、街灯の光、そして悠人の表情。それらがすべて胸に残る。

翌日、カフェでコーヒーを飲む芽依。悠人の行動を振り返りながら、心の中で分析する。
「なんでこんなに…私のことを…」
悠人の意地悪には理由がある。芽依を守るため、でも同時に自分から離れるため――その思いに芽依は気づく。守の存在も安心感の一部だが、芽依の心は悠人に傾き始める。
「悠人…本当の気持ちを知りたい」
しかし悠人はまだ隠す。計画は続く――芽依を少し困らせ、身を引くために。


春の夕暮れ。商店街のざわめき、パン屋の香ばしい匂い、遠くで子供の声。悠人は決意する。
「…これでいいんだ」
バッグをひっかけ、芽依をわざと転ばせる。芽依は驚き、髪が顔に張り付く。
「悠人…何してるの!」
悠人は無言で走り去ろうとする。しかし芽依は追いかける。
「勝手に私の気持ち決めないでよ!私は悠人が好きなのに!」
悠人は苦しそうに振り返る。
「なにかの勘違いだろ!?俺は悪役だ。ヒーローと結ばれるべきだ!」
芽依は叫ぶ。
「ヒロイン?ヒーローとか悪役?意味わかんないよ!」
悠人の足が止まる。胸の奥で何かが崩れ落ちる。芽依は迷わず、真っ直ぐ。
「悠人…私はあなたのことが好きなの!逃げないで!!」
悠人の壁は崩れ、悪役演出も不要になる。芽依の真っ直ぐな気持ちがすべてを変えた。

春の公園、暖かな日差しが差し込む。芽依と悠人は手をつなぎ、穏やかに歩く。
「悠人…もう悪役ぶらなくていいんだよ?」
芽依は微笑む。悠人は少し照れくさそうに頭をかき、手を握る。
「…わかった。もう悪役は演じない。お前と結ばれるのは、俺だ」
「じゃあ、これからはちゃんと恋人として…ね」
守は少し距離を置き見守る。芽依が自分の意思で選んだことを、穏やかに納得していた。
芽依は小声で囁く。
「悪役さん、私をヒロインにしないで」
悠人は耳元で答える。
「わかった、ずっとお前の隣にいる」
芽依はふふと笑う。
「だって私はヒロインじゃない。諦めの悪い悪女だもの!」
春の光に包まれ、三人の温かい日常が静かに、そして確かに流れ始める。
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