眠らせ姫と臆病侍

すなぎ もりこ

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君の虜

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 浅緋は上茶谷の決意に一旦屍のようになったが、直ぐさま持ち直した。
 そして、上茶谷を送った車中にて高らかに宣言をした。

「わかった。きっちり一週間後の土曜日に会おう。俺の気持ちは揺るがないからね!」
「はいっ、ご理解頂きありがとうございます!」

 上茶谷は頭を下げる。
 浅緋はその顎に手を掛けてクイと引き上げ、唇を重ねた。
 ねっとりと食み、ゆっくり離しながら囁く。

「覚悟しておいてね、前言撤回、最初から挟んでもらうから」

 上茶谷は息を呑み、睫毛を瞬かせる。
 浅緋はそれを見て、ニンマリと笑った。


 それからの一週間は、逸る気持ちを諌めつつも、上茶谷のあられもない姿を想像して鼻息をあらくしながら過ごした。
 いくら精力を吸い取られていたとはいえ、事情を知る浅緋にしてみれば、いつまで経っても遂げる事が出来ない営みへの欲求が募るばかりだった訳で…それは簡単に解消できるものでは無くなっていた。

 (パイずりパイずり……考えてみれば初めてだぞ、パイずり……どんなだろう……上茶谷さんがFカップで挟んで擦ってくれるのか)

 浅緋は鼻と口を押さえて悶えた。
 最早仕事どころではなく、かろうじて仕事をしているフリをし、頭の中に妄想を巡らせていた。
 ニヤニヤする顔を隠してデスクに突っ伏す浅緋を見て、同僚や上司は仕事に行き詰まっているのかと心配し飲みに誘ってくれたが、キッパリと断った。
 この状態で酔っ払ったなら、上茶谷への滾る思いを全てゲロってしまうに違いない。
 とてつもなく破廉恥な言葉を公衆の面前で連発しそうだ。
 それ程、浮かれていた。


「妖怪は単なる精より気持ちの伴ったものの方が美味しく感じるそうですよ。以前、妖怪から直接聞いたので間違いないと思います。彼女さんに伝わると良いですね」

 妖怪ハンターはんにゃんは、帰り際にこっそり浅緋にそう告げた。

 ハンナと此原の後ろ姿を見送りながら、浅緋は好奇心でそっと二人の縁を見た。
 結果は想像通り、蒼士とモカに負けず劣らずの立派なモノで結ばれており…

 その後、察した伯父に頭を小突かれたのだが。

 その言葉に後押しされた事もあり、浅緋は自分の気持ちを微塵も疑っていなかった。
 躊躇なく上茶谷への恋慕に溺れた。
 それはとても心地好く、長く傍観者でいた浅緋を夢中にさせた。



 金曜の夜、浅緋は窓を開けて夜風に当たる。
 上茶谷に明日のことで電話をし、惜しみながらも今ほど切ったところだ
 外で食事をしようと誘ったのが少し意外だったのだろう、スマホの向こうの上茶谷が戸惑っている様子が窺えた。

「それでは、変装しますか?」
「それはそよちゃんに任せるよ。言っておくけど、俺は誰に見られても構わないし、どんな君でも大好きだから」
「……そ、そうですか」
「ああ、明日が待ち遠しいな。早く会いたい」
「そそそそ……そうですか」

 ソの連符のように吃る上茶谷が可愛くて浅緋は微笑んだ。
 歯の浮くような恥ずかしい台詞も、いくらだって口に出来る。
 あれから毎晩、浅緋は上茶谷に連絡を取り、募る気持ちを勿体ぶることなく伝えていた。

「流石にもう疑いようがないでしょ。いい加減に諦めて結ばれてくれない?」
「は、はあ……」
「そもそも君から結ぶって宣言してくれたのに」
「す、すいません。つい、怖くなってしまい……」

 浅緋は上茶谷が以前話してくれた過去の話を思い出す。
 迷惑な節操無しに言い寄られ、彼氏に誤解されて破局したという。

「私もいつまでもこのままでは良くないとは思っていたんです。元々お洒落をするのは嫌いじゃないし、人の好意も信じたいので」

 上茶谷はポツポツと打ち明けた。
 スケコマシの先輩が保身の為にでっち上げた作り話を吹聴し始めると、ある日を境に周りが一斉に軽蔑の色を含んだ目を上茶谷に向け始めた。
 それまでに構築した関係はいとも簡単に崩れ、上茶谷は全くの別人に作り変えられてしまった。

「何よりそれがショックで怖かったんです。私は満足に反論も出来ず、戦わずして逃げました」
「良いんだよ、それでも」
「人の気持ちとか信用って簡単に覆るんだなぁ、と考えたら、それ以来、誰かと深く付き合うのが怖くなって」
「俺は誰かの言葉に惑わされない。本当の君を知っているつもりだ。それをそよちゃんにも信じて欲しいって願うしかないんだけど」

 スマホの向こうで上茶谷がへへ……と照れくさそうに笑う声が聞こえる。

「決めました!明日、めいいっぱいお洒落をして行きます!」
「良いけど、ラーメン屋さんだよ」
「それも楽しみです!」

 上茶谷の声は明るく弾んでいた。



 待ち合わせたラーメン店に現れた上茶谷を見て、浅緋は呆然とした。
 ウィッグや派手な服で着飾る姿はどれも充分に浅緋を楽しませてくれたが、今夜の上茶谷はそれとは違う。
 胸までの黒髪を巻き、ノースリーブの白いブラウスに巻風Aラインのスカートという落ち着いた装いにも関わらず、匂い立つような色気を放っていた。
 その豊満な胸が押し上げるシャツの隙間から漂うであろう甘い香りを嗅ぎたくて、浅緋は突き動かされるまま側に寄る。

「今夜のそよちゃん、凄く綺麗だね」
「頑張りました」

 見事にカールされた睫毛の向こうに見える瞳は今日もキラキラ潤んでいる。

「やばい。直ぐに連れ帰りたい」
「ラーメン楽しみにしてるので。このお店有名ですよね?」

 上茶谷は大きめのバッグを開いて中を指さす。
 見慣れた白い布が見えた。

「白衣と髪をまとめるシュシュを持参しました。汁跳ねを気にせず啜れます」
「さすがだね」
「ラーメン大好きです!」
「良かった。選択は間違ってなかったね」

 浅緋は上茶谷の手を握って、店の扉を押した。

 湯気を上げる丼を前にして、白衣を着込んだ美女が髪を結わえる。
 皆の注目を集める上茶谷が誇らしく、それでいてどこか気が気じゃない思いで、浅緋は目の前の恋人を熱く見つめた。
 本来なら食欲を唆るニンニクの香りにも誘われることなく、ただ一筋に彼女に魅せられていた。

 ああ、俺は飢えている。
 早く彼女を味わいたい。

「広瀬さん、冷めちゃいますよ」

 上茶谷は箸で麺を掬い上げて、その唇を開く。
 赤い舌が覗いた瞬間、浅緋の鼓動がトクリと鳴った。
 すずっと啜られた麺が完璧な形の唇に吸い込まれていき、蓮華で掬った汁を飲めば、細く白い喉が微かに上下する。
 汗を拭い、はあ、と息を吐く様……

 浅緋はそれをオカズに、勢いよく麺をかっこんだ。
 味など最早わからなかった。

 両手で丼を持ち汁を飲み終えた上茶谷は、満足そうに笑顔を浮かべる。

「ああ……美味しかった!」

 その前歯には、お決まりのように葱が挟まっていた。
 浅緋は微笑む。
 それすら魅力的に映るのだ。
 ほら、もう俺は君の虜。
 夢魔に代わって君に取り憑く恋に溺れた妖怪だ。

 浅緋は急かされるように席を立つ。
 合掌していた上茶谷は驚いて顔を上げた。
 浅緋はその手を掴み、もう片方の手で伝票を握りこんだ。

「早く出よう」

 一刻も早く君を抱きたい。
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