シンデレラ逃亡劇

⑦

「う……」
　低い呟きと共に開かれた水色の瞳は、虚ろに彷徨う。
　私は水面に指先を沈め、白い顔の前で弾いた。
　浴びせられた冷たい飛沫に美貌が歪む。
「冷たいっ」
「なら、さっさと起きなさいよ！死んだかと思ったじゃない」
「死ぬわけないでしょ」
　エマはゆっくりと上体を起こし、頭を搔く。そして、顎が外れそうなほどの大きな欠伸をした。
「んー、もうお昼？」
　のんびりと訊ねる声に苛立ちながら、私は早口で答える。
「まだ昼前よ。馬をすっ飛ばしてきたから予定より早く着いたわ」
「あー……本当だ。カーボおいで」
　呼ばれた馬は、砂の上を慎重に歩きながら近づいてくる。差し出された鼻先を撫でられ、彼は愛すべき主人に擦り添い甘えた。
　私はその絵画のように美しい光景に魅入られる。
　しかし、直ぐに状況を思い出し、エマを急かした。
「ねぇ、だからといってのんびりしている暇はないわ。一刻も早く出発しないと」
　エマはクスリと笑うと、こちらに向かって手を伸ばす。強い力で首を引き寄せられ、唇を塞がれた。抵抗しようと上げた腕は手首を掴まれ、動きを封じられる。
　食むような動きで官能的に唇を愛撫されて身体から力が抜ける。嗅ぎ慣れた甘い体臭に脳が痺れた。
　漸く唇を離したエマは、鼻を擦り付けながら囁く。
「夢のようだよ。これからずっと姉さんと一緒に過ごせるなんて」
「捕まったら牢屋行きの逃亡生活だけどね」
「姉さんとだったらなんでもいいよ」
　エマは私の頬を手で挟み、水色の瞳を蕩けさせた。