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1巻
1-2
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獣人は皆、このような振る舞いをするのが当たり前なのだろうか。
つまり、男女の距離が近いというか、気軽に触れるというか……
褥のことに関してはうんざりするほど教えられたが、男女の機敏にはとんと疎い。そんな自分には判断しようがないけれど、まあ、嫌われてはないってことだと思おう。
アナベルは熱くなる頬を見られないように俯いた。
「アナベル、自国で辛い思いをした分、この国では幸せに暮らしてくれ。俺ができる限り力になる」
その言葉に、低頭する。
「勿体ないお言葉でございます。けれど、シメオン様に番が見付かった、もしくは私の母国が滅びた時には遠慮なく放り出してください。私は既に何も役には立ちませんが、ご迷惑をおかけすることは望みません。一人で庶民として生きていく準備もして参りましたから」
「アナベル……」
「さあ、寝ましょう。明日はフォルクス殿が城下町を案内してくださるそうですわ。楽しみです~」
アナベルは明るく言うと、自分のベッドに向かった。
「お休みなさい。シメオン様」
布団を被って目を閉じる。ふっかふかのお日様の匂いがする布団に包まれ、長旅の疲れもあってか、すぐにうとうとと微睡んだ。
「お休み、アナベル」
シメオンの心地好い低音の声が聞こえたが、瞼を上げられなかった。
翌日。
アナベルはフォルクスと並んで王都を歩いていた。五人いる側近のまとめ役ともいえる彼は、黄金色の大きな立耳を持つ、優しげな面立ちの美青年だ。耳より少し薄めのブロンドを背中の中ほどまで伸ばしているせいか、一見性別を疑いそうになるものの、その理知的な黄緑色をした瞳の奥には人を威圧する強さを湛えている。
しばらく散策したのち、フォルクスはある店の前で足を止めた。店先に置かれたベンチにアナベルを座らせ、紺色の暖簾をくぐって中へ消える。
少し汗ばむような陽気の中、吹いてきた涼しい風に吹かれ、アナベルは目を細めた。その目の前に、にゅっと差し出されたものがある。
それは、串に幾つもの丸いものが刺さった食べ物だった。薄茶のトロリとしたタレがまぶしてある。
「団子です。美味しいですよ」
思わずのけ反ったアナベルに、フォルクスが微笑みながら説明した。
「この甘味屋は妻の実家なのです。団子は一番の人気で、すぐに売り切れてしまうんですよ」
「そうなのね。じゃあ、さっそくいただきます」
一口食べたアナベルは目を丸くしてフォルクスを見た。
「美味しい! モチモチッ」
「そうでしょう、私の大好物なんです」
彼は柔らかく笑う。
「それにしても活気に溢れていい町だわ」
「ありがとうございます」
町には大勢の人が行き交い、店先では呼び込みの声が響いている。町の中央に設けられた広場には屋台が並び、歌や楽器の演奏を披露する大道芸人達が観客を集めていた。
その様子を微笑みながら見つめているアナベルに、フォルクスがそっと声をかける。
「姫様、ちょっと寄りたいところがあるのですが、お付き合いいただけますか」
アナベルは快く承知した。
そうして着いたのは薬屋だ。
「フォルクス、何処か悪いの?」
「いえ……あの」
フォルクスは言い淀んだが、意を決したように話し始めた。
ここ一年ほど性欲が湧かないと俯く。大きな耳がしゅんと垂れている。
「妻は二人目が欲しいと言うのですが、まったく役に立たず……仕事が忙しいことは理解してくれていますが、どうやら浮気を疑っているようで」
仕方なく、薬師に精力増強効果のある薬草を処方してもらっていると言う。
「最初は私だけかと思ったのですが、どうやら他の側近も、そしておそらく王にも同じ症状があるのではないかと推測しています。彼らはまだ独身なので、大事には捉えていないようだけど……」
見目がよく実力もある出世株の彼らは、元々女性からの人気が高く入れ食い状態。それこそ一年ほど前までは皆、派手に遊んでいたそうだ。
(なんと……あの王までもが)
アナベルは遠い目をした。
(何処の国でも男って奴は……)
「なんとか原因を掴みたいと密かに調べていたのですが、まったく手掛かりがなく、正直諦めかけていまして」
アナベルは腕を組み、考えた。
確かに側近と王が揃いも揃って精力が減退するなど不自然だ。それは間違いなく、番を嗅ぎ分けることへの支障にもなるだろう。
「フォルクス、それ、私も協力させて」
フォルクスは耳をピンと立てて、アナベルの手を握った。
「ありがとうございます! 外からいらっしゃったアナベル様なら違う視点で見ることもできるでしょう。デリケートなことですし、確証がなかったので、一人で長く思い悩んでいたのです。お申し出、大変心強いです!」
アナベルは眉間にシワを寄せて考え込んでいた。
フォルクスの証言と、今まで調べた事実を頭の中で並べる。
症状が出始めたのは一年ほど前から。
(多少個人差はありそう)
対象は側近と王に限られる。
(他の城仕えの者は、大丈夫みたいだ)
性欲減退の原因としては、過労、食事の偏り、なんらかの疾患が一般的だと聞くが……
仕事が忙しかったのは確かとはいえ、ここ一年は落ち着いているらしい。シメオンも休日はしっかり休むように指導しているようだ。
食事はそれぞれ好みが違うので、メニューはバラバラ。皆、健康そうで深刻な疾患があるようには見えない。
「アナベル、どうした? 何か悩み事か?」
シメオンがデスクから訊ねた。アナベルはそちらに顔を向ける。
「シメオン様。ここ数年、恋人がいたことは?」
予想外の質問だったようで、彼は目をパチパチさせた。
「いや、いないが……」
「番でなくとも欲情は可能と聞きましたが」
「そうだな」
「なぜ? なぜ、恋人を作らないのです? 番じゃない者同士の割り切った交際には肯定的な風潮だと聞きましたが」
シメオンは頬杖をつく。
「そういえばなんでかな? そんな気になれない」
アナベルは立ち上がり、モスグリーンのワンピースに手を掛けて、ボタンを外し始めた。
「ア、アナベル⁉」
シメオンはぎょっとして彼女を止めようと椅子から腰を上げる。
アナベルはボタンを外したワンピースで走り寄り、シメオンの真ん前に立つと、胸元をバッと左右に開いた。背中を反らし、白い胸の谷間を見せつけるように背伸びをする。
シメオンは固まった。
「ど、どうです?」
「どうとは?」
「こう、ムラムラッと来ますか?」
「アナベル、馬鹿なことを言ってないで胸をしまえ」
アナベルは溜め息をついてボタンを留める。
「やっぱ駄目かぁ、私のささやかな胸じゃなあ……、シメオン様のグッとくる女性のタイプってどんなのですか?」
シメオンはあっさりと踵を返した彼女に拍子抜けして、椅子にどさりと腰を下ろす。
「胸と尻のデカイ、色白で金髪巻き毛の……」
「ほほう、意外と定番ですね。しっぽと耳は?」
「そこは、あまり拘りがない」
再びシメオンのほうを向き、アナベルは訊ねた。
「シメオン様、想像してください。今ここにシメオン様の理想そのものの金髪美女が現れたとしたら、どうします?」
シメオンが真顔で答える。
「どうやって城に侵入したかを問い詰める。城の外庭は国民に開放しているとはいえ、執務室と居住エリアは立入禁止だからな」
アナベルは額に手をやり、天を仰いだ。
「……そうじゃなく。じゃあ、パーティーで出会ったとして」
「眺める」
「はあ?」
「何処の令嬢かも分からんのに、いきなり声をかけたら後々面倒だからな。眺めるだけなら平和に済む」
アナベルは腰に手を当てて、唖然とシメオンを見た。
(こりゃあ重症だわ)
* * *
シメオンはソファーに座って考え込んでいるアナベルをチラリと窺った。
(さっきのあれはなんだったんだ)
不覚にもどぎまぎしてしまった自分を恥じる。
誘惑しようとしているのかと思ったのに、どうやらそういうわけではなさそうだ。
そこでふと思う。
(そういえば、最後に女を抱いたのはいつだろう)
忙しくはあったが、以前はその疲れも性欲が高まる原因となり、手頃な女と一夜を共にすることも多かったのだが。
最近はまったくその気にならない。
公務を終えたら、食事をして風呂に入って寝る。
なんとも健全な毎日だ。
シメオンは書類の陰からアナベルの横顔を盗み見た。
王女らしからぬ、逞しい娘だ。厳しい生い立ちの中でも自分を失わず、しっかりと自分の足で立っている。
その姿は眩しく健気だ。
(悪くない。灰色の髪にエメラルドの瞳。細身だがふっくらと張り出した白い胸……むしろ……)
シメオンはハッとして浮かんだ思いを振り払った。
アナベルは保護対象。
そして人間だ。
やがて番を迎える自分に縛り付けるなど、あってはならない。
(そろそろ王城でもパーティーを催すか……)
シメオンは再び目前の書類に集中した。
アナベルは毎晩シメオンのしっぽをブラッシングする。
シメオンも気持ちが良いので咎めようとは思わなかった。
ヘアオイルの香りも好ましい。
「お耳にも塗りましょうか?」
アナベルが思い付いたように言って、シメオンの頭上に手を伸ばした。薄い夜着に包まれた胸が目の前に迫り、シメオンは唾を飲む。
広めに開いた胸元から、昼間見た白い胸の谷間が見えていた。
その柔らかそうでいい匂いのする身体に触れたい。欲望が突如、湧き起こる。
昼間は感じなかったのに。
シメオンは目を瞑り息を止めて、その本能を抑え込む。
しばらくすると、それは綺麗さっぱりなくなっていた。
(やはり気のせいだ。人間に欲情することなどあり得ないのだから)
グルーミングを終えたアナベルはベッドに入り布団を胸までかけると、笑顔でお休みなさいと言って目を閉じた。
当初は他人と同じ部屋で寝ることに抵抗があったが、今は当然のように彼女の存在を受け入れている。静かな寝息も心地好く思えた。
番が見つかれば、アナベルと二人で過ごすこの穏やかな夜は終わる。
それに一抹の寂しさを感じるシメオンだった。
ある日のこと。
廊下を歩いていたシメオンは、こそこそと顔を寄せ合って話すフォルクスとアナベルの姿を目撃した。
彼女が側近達と親しくしているのは好ましいが、距離が近すぎる。胸がモヤッとした。
「おい」
気付くと、不機嫌な声で呼び掛けていた。
二人はハッとしたように顔を上げる。
「なんの相談だ?」
そう訊ねると、フォルクスは取り繕うような笑みを浮かべた。
「もうすぐ娘の誕生日なので、姫様に贈り物の相談に乗ってもらっていました」
アナベルも頷く。
「……それはよいが、適度な距離を心掛けろ。お前は既婚者だし、アナベルは俺の側室なのだから」
フォルクスが頭を下げた。アナベルは気まずそうに俯く。頬に長い睫の影ができている。
その場を立ち去りながら、シメオンは後悔した。
まったくもって自分らしくない振る舞いだ。
窓の外から城下町を見下ろす。
(明日の夜にでもチャドを誘って飲みに出掛けようか、そこでよさそうな女を見つけたら……)
きっと、長く女性を抱いていないせいで、おかしなことを考えてしまうのだ。
シメオンは頭を掻いた。
* * *
アナベルはシメオンの後ろ姿を見送りながら、フォルクスに訊ねた。
「もしかしてシメオン様、怒ってた?」
フォルクスは少し考え込む。
「そうですね、王にしては珍しい、きつい口調でした。……まあ、さほど気にされなくても大丈夫です。しつこい方ではありませんから。ところで話の続きですが、原因は執務室にあると?」
「そうなの。六人の共通点がそれしか考えられないのよ。ここ数年の間で、何か思い当たることはある?」
その問いに、彼は頷く。
「関係があるか分かりませんが、二年ほど前に改装しています。隣の部屋と繋げて広くしたんです。その際に、王の希望で壁を全面塗り替えました」
数日後。
公務が忙しいフォルクスの代理として、アナベルに付き合ってくれたのはドルマンだった。鋭い美貌を備えた彼は、少々表情に乏しい青年だ。肩で切り揃えられたストレートの黒髪、その頭上には黒い立耳。凛と立つ様は近寄り難くも感じる。
しかし、よくよく話してみると口数が少ないだけで穏やかな親しみやすい性格であると分かった。
彼と和気あいあいと語り合いながら、アナベルは執務室の改装をした業者を訪ねる。
それから左官職人の家へ向かい、最後に、目的だった土壁の資材屋までたどり着く。
「王様はオレンジ色をご希望だったので、赤味を出すのに苦労しました。赤い染料は通常あまり使わないものですから。色々試行錯誤してたどり着いたのが、これです」
資材屋の長い垂れ耳の男が指差したのは、作業小屋の横にある林だ。
どうやら、そこに何本も生えている、細く赤い幹の樹木を指しているらしい。
「ボラカルっていうんですけどね、染料屋から教えてもらったんです。偶然、私の家の側にも生えておりましたので、これの皮から汁を絞り出して土に混ぜてみたんです。そしたらいい色が出ましてね」
アナベルは資材屋に剥がしたボラカルの皮を譲ってもらった。
「そんなもの、どうするんですか?」
ドルマンが不思議そうに問いかける。
「うーん……ねえ、この辺で一番植物に詳しいのは誰かしら?」
「薬屋のメルバ婆ですね」
彼は即答した。
「国一番の薬師で生き字引ですよ」
そしてアナベルは、フォルクス行き付けの薬屋へ幾日ぶりかに行くことにした。
ドルマンがメルバ婆に紹介してくれる。
「婆さん、この人が王の側室になったアナベル姫だよ」
メルバ婆は目深に被ったローブの下から覗く小さな赤い目で、アナベルを値踏みするように見た。
「ほう、なかなかの別嬪さんじゃないか」
「ありがとうございます」
「お綺麗なだけじゃないぞ、趣味は狩りで、弓矢を華麗に扱うらしい。獲物を捌くのもお手のものなんだ」
ドルマンが、ねえ、とアナベルに視線を向ける。アナベルは少々はにかみながら頷く。
「母が狩猟の民だったので」
「へえ、なんていう部族だい?」
答えると、メルバ婆は目をしばたたいた。
「なるほどねぇ……そういうわけかい」
メルバ婆の不可解な呟きに、ドルマンとアナベルは顔を見合わせる。
「で、この婆になんの用だい?」
小柄だが威圧感のある老人の問いに、アナベルは慌てて資材屋から貰った木の皮を取り出す。
「ボラカルっていう木で、赤色の染料として使用したらしいのですが、間違いないですか?」
メルバ婆は受け取り、それを至近距離で舐めるように見た。
「確かに似ているけどねぇ……これはボラカルじゃないね。ソラン草だ」
ドルマンが首を傾げる。
「いや、婆さん、草には見えなかったぞ」
「かなり大きく育つからね。だけど二、三年で枯れちまうんだ。よく似てるからねぇ、素人は間違えてもしょうがない」
アナベルは急いで訊ねる。
「ソラン草には薬効はあるのですか?」
メルバ婆は頷いた。
「ああ、あるよ。うちの店にも煎じたものがある。あんまり売れないけどね」
* * *
「あ、姫様だ」
執務室の窓から外を見下ろしていたレッサードが声を上げた。金色の丸い耳がぴくぴくと動いている。柔らかいブルネットの癖毛に青色の大きな瞳、童顔で小柄な彼は、側近達の中でもムードメーカー的な存在だ。可愛い見かけのわりに毒舌で、しばしば知らずに人を傷つける。
そして、その隣にいたレッサードより二回りほど大きな獣人も、ひょいと下を覗き込んだ。
「今日はドルマンと一緒か」
間延びした声で話す彼は、初日にアナベルを肩に担いだベアルだ。短く刈り込んだ髪から小さな茶色の耳がひょこっと生えている。精悍な顔つきながら性格はマイペース、怪力が自慢の癒し系だ。
「いいなぁ、僕も姫様とお出掛けしたいです」
「俺は一緒に狩りをしてみてえな、どれほどの腕前なんだろ」
「大人気だな」
シメオンが口を挟んだ。
「もし、番がこのまま見付からなかったら……姫様を下賜してほしいなぁ……」
窓に貼り付いたレッサードがポツリと漏らした言葉に、シメオンはぎょっとしてその背中を見る。
「じゃあ、俺も。姫さんと一緒になったら楽しそうだよなぁ」
ベアルも加わった。
「真似しないでよ。ベアルは駄目だよ、お前みたいな巨漢は姫様が可哀想じゃないか、体格差は夜の生活の深刻な…………」
「お前らいい加減にしろ!」
シメオンは側近達を叱りつけた。
「もう、こうなったら一刻も早く見合いパーティーを開催する。レッサード、お前が段取りしろ」
「はい!」
レッサードが背筋を伸ばす。シメオンは息を吐いて、隣に立つチャドにこそっと話し掛けた。
「今夜一杯付き合え」
シメオンと同じ年齢のチャドは無造作に整えた赤毛に、もふもふの茶色い耳を持つ獣人だ。面倒見のいい性格で、細やかな気配りもでき、モテる。一時期はシメオンも凌ぐほどの人気を博した色男だ。女を目的に据えた飲みに誘うには、最適の相手なのである。
チャドは主の意を汲んだとばかりに、ニヤリと笑って頷いた。
「――実際のところどうなの? レッサードが言うように、番が見つからなかったら姫さんを王妃にするってのは王的にあり?」
バーのカウンターで、チャドはシメオンに訊ねた。
「あり得ない。アナベルは人間だぞ」
「試してみねぇと分からねぇぞ」
シメオンはチャドを横目で睨む。
「アナベルは保護対象だ。幸せになるために尽力してやりたいが……パートナーとしては無理だ」
チャドはフッと笑うと、面倒臭そうに言った。
「まあ、古参どもが認めねぇよな。何より血の継続を重んじるのが獣人だからなぁ。王家の血筋に人間の血は入れたがらねぇだろう」
シメオンはグラスをグッと握る。
「じゃあ下賜すんの? 俺でもいいぜ」
グイッと酒を飲み干すと、グラスを音を立てて置いた。
「なんなんだ、揃いも揃ってお前らは。俺は……アナベルの希望に沿うつもりだ。無理に未来を押し付けるつもりはない!」
チャドはシメオンを見て、ふうん、と呟く。
その時、背後から艶やかな声が掛かった。
「あら、シメオン様、チャド様もお久しぶり」
チャドとシメオンを挟むように両脇に見知った美女が座る。
二人とも金髪巻き毛にダイナマイトボディ、スパイシーな香り。
「ああ、相変わらずいい女だな」
女達は流し目を送ると、白い耳と白い尾を優雅に動かした。
シメオンは寝室のドアをそっと閉めた。
アナベルは既に寝ているようだ。足音を忍ばせてベッドに近付き、覗き込む。
長い睫を伏せ、唇を緩く閉じ、健やかな寝息を立てる愛らしい寝顔だ。
シメオンは暫し見入った。
彼女にブラッシングをしてもらいたくてしっぽが疼く。彼はしっぽを自ら撫でた。
結局、女とは飲むだけで別れた。
その気になれなかったのだ。それはチャドも同じだった。
女の刺激的な香りより、アナベルが塗ってくれるオイルの優しい匂いを嗅ぎたい。
しなだれ掛かる柔らかい身体より、しっぽを撫でる繊細な手が恋しかった。
シメオンはアナベルの頬に手を伸ばす。
しかし、触れる直前で手を引いた。
つまり、男女の距離が近いというか、気軽に触れるというか……
褥のことに関してはうんざりするほど教えられたが、男女の機敏にはとんと疎い。そんな自分には判断しようがないけれど、まあ、嫌われてはないってことだと思おう。
アナベルは熱くなる頬を見られないように俯いた。
「アナベル、自国で辛い思いをした分、この国では幸せに暮らしてくれ。俺ができる限り力になる」
その言葉に、低頭する。
「勿体ないお言葉でございます。けれど、シメオン様に番が見付かった、もしくは私の母国が滅びた時には遠慮なく放り出してください。私は既に何も役には立ちませんが、ご迷惑をおかけすることは望みません。一人で庶民として生きていく準備もして参りましたから」
「アナベル……」
「さあ、寝ましょう。明日はフォルクス殿が城下町を案内してくださるそうですわ。楽しみです~」
アナベルは明るく言うと、自分のベッドに向かった。
「お休みなさい。シメオン様」
布団を被って目を閉じる。ふっかふかのお日様の匂いがする布団に包まれ、長旅の疲れもあってか、すぐにうとうとと微睡んだ。
「お休み、アナベル」
シメオンの心地好い低音の声が聞こえたが、瞼を上げられなかった。
翌日。
アナベルはフォルクスと並んで王都を歩いていた。五人いる側近のまとめ役ともいえる彼は、黄金色の大きな立耳を持つ、優しげな面立ちの美青年だ。耳より少し薄めのブロンドを背中の中ほどまで伸ばしているせいか、一見性別を疑いそうになるものの、その理知的な黄緑色をした瞳の奥には人を威圧する強さを湛えている。
しばらく散策したのち、フォルクスはある店の前で足を止めた。店先に置かれたベンチにアナベルを座らせ、紺色の暖簾をくぐって中へ消える。
少し汗ばむような陽気の中、吹いてきた涼しい風に吹かれ、アナベルは目を細めた。その目の前に、にゅっと差し出されたものがある。
それは、串に幾つもの丸いものが刺さった食べ物だった。薄茶のトロリとしたタレがまぶしてある。
「団子です。美味しいですよ」
思わずのけ反ったアナベルに、フォルクスが微笑みながら説明した。
「この甘味屋は妻の実家なのです。団子は一番の人気で、すぐに売り切れてしまうんですよ」
「そうなのね。じゃあ、さっそくいただきます」
一口食べたアナベルは目を丸くしてフォルクスを見た。
「美味しい! モチモチッ」
「そうでしょう、私の大好物なんです」
彼は柔らかく笑う。
「それにしても活気に溢れていい町だわ」
「ありがとうございます」
町には大勢の人が行き交い、店先では呼び込みの声が響いている。町の中央に設けられた広場には屋台が並び、歌や楽器の演奏を披露する大道芸人達が観客を集めていた。
その様子を微笑みながら見つめているアナベルに、フォルクスがそっと声をかける。
「姫様、ちょっと寄りたいところがあるのですが、お付き合いいただけますか」
アナベルは快く承知した。
そうして着いたのは薬屋だ。
「フォルクス、何処か悪いの?」
「いえ……あの」
フォルクスは言い淀んだが、意を決したように話し始めた。
ここ一年ほど性欲が湧かないと俯く。大きな耳がしゅんと垂れている。
「妻は二人目が欲しいと言うのですが、まったく役に立たず……仕事が忙しいことは理解してくれていますが、どうやら浮気を疑っているようで」
仕方なく、薬師に精力増強効果のある薬草を処方してもらっていると言う。
「最初は私だけかと思ったのですが、どうやら他の側近も、そしておそらく王にも同じ症状があるのではないかと推測しています。彼らはまだ独身なので、大事には捉えていないようだけど……」
見目がよく実力もある出世株の彼らは、元々女性からの人気が高く入れ食い状態。それこそ一年ほど前までは皆、派手に遊んでいたそうだ。
(なんと……あの王までもが)
アナベルは遠い目をした。
(何処の国でも男って奴は……)
「なんとか原因を掴みたいと密かに調べていたのですが、まったく手掛かりがなく、正直諦めかけていまして」
アナベルは腕を組み、考えた。
確かに側近と王が揃いも揃って精力が減退するなど不自然だ。それは間違いなく、番を嗅ぎ分けることへの支障にもなるだろう。
「フォルクス、それ、私も協力させて」
フォルクスは耳をピンと立てて、アナベルの手を握った。
「ありがとうございます! 外からいらっしゃったアナベル様なら違う視点で見ることもできるでしょう。デリケートなことですし、確証がなかったので、一人で長く思い悩んでいたのです。お申し出、大変心強いです!」
アナベルは眉間にシワを寄せて考え込んでいた。
フォルクスの証言と、今まで調べた事実を頭の中で並べる。
症状が出始めたのは一年ほど前から。
(多少個人差はありそう)
対象は側近と王に限られる。
(他の城仕えの者は、大丈夫みたいだ)
性欲減退の原因としては、過労、食事の偏り、なんらかの疾患が一般的だと聞くが……
仕事が忙しかったのは確かとはいえ、ここ一年は落ち着いているらしい。シメオンも休日はしっかり休むように指導しているようだ。
食事はそれぞれ好みが違うので、メニューはバラバラ。皆、健康そうで深刻な疾患があるようには見えない。
「アナベル、どうした? 何か悩み事か?」
シメオンがデスクから訊ねた。アナベルはそちらに顔を向ける。
「シメオン様。ここ数年、恋人がいたことは?」
予想外の質問だったようで、彼は目をパチパチさせた。
「いや、いないが……」
「番でなくとも欲情は可能と聞きましたが」
「そうだな」
「なぜ? なぜ、恋人を作らないのです? 番じゃない者同士の割り切った交際には肯定的な風潮だと聞きましたが」
シメオンは頬杖をつく。
「そういえばなんでかな? そんな気になれない」
アナベルは立ち上がり、モスグリーンのワンピースに手を掛けて、ボタンを外し始めた。
「ア、アナベル⁉」
シメオンはぎょっとして彼女を止めようと椅子から腰を上げる。
アナベルはボタンを外したワンピースで走り寄り、シメオンの真ん前に立つと、胸元をバッと左右に開いた。背中を反らし、白い胸の谷間を見せつけるように背伸びをする。
シメオンは固まった。
「ど、どうです?」
「どうとは?」
「こう、ムラムラッと来ますか?」
「アナベル、馬鹿なことを言ってないで胸をしまえ」
アナベルは溜め息をついてボタンを留める。
「やっぱ駄目かぁ、私のささやかな胸じゃなあ……、シメオン様のグッとくる女性のタイプってどんなのですか?」
シメオンはあっさりと踵を返した彼女に拍子抜けして、椅子にどさりと腰を下ろす。
「胸と尻のデカイ、色白で金髪巻き毛の……」
「ほほう、意外と定番ですね。しっぽと耳は?」
「そこは、あまり拘りがない」
再びシメオンのほうを向き、アナベルは訊ねた。
「シメオン様、想像してください。今ここにシメオン様の理想そのものの金髪美女が現れたとしたら、どうします?」
シメオンが真顔で答える。
「どうやって城に侵入したかを問い詰める。城の外庭は国民に開放しているとはいえ、執務室と居住エリアは立入禁止だからな」
アナベルは額に手をやり、天を仰いだ。
「……そうじゃなく。じゃあ、パーティーで出会ったとして」
「眺める」
「はあ?」
「何処の令嬢かも分からんのに、いきなり声をかけたら後々面倒だからな。眺めるだけなら平和に済む」
アナベルは腰に手を当てて、唖然とシメオンを見た。
(こりゃあ重症だわ)
* * *
シメオンはソファーに座って考え込んでいるアナベルをチラリと窺った。
(さっきのあれはなんだったんだ)
不覚にもどぎまぎしてしまった自分を恥じる。
誘惑しようとしているのかと思ったのに、どうやらそういうわけではなさそうだ。
そこでふと思う。
(そういえば、最後に女を抱いたのはいつだろう)
忙しくはあったが、以前はその疲れも性欲が高まる原因となり、手頃な女と一夜を共にすることも多かったのだが。
最近はまったくその気にならない。
公務を終えたら、食事をして風呂に入って寝る。
なんとも健全な毎日だ。
シメオンは書類の陰からアナベルの横顔を盗み見た。
王女らしからぬ、逞しい娘だ。厳しい生い立ちの中でも自分を失わず、しっかりと自分の足で立っている。
その姿は眩しく健気だ。
(悪くない。灰色の髪にエメラルドの瞳。細身だがふっくらと張り出した白い胸……むしろ……)
シメオンはハッとして浮かんだ思いを振り払った。
アナベルは保護対象。
そして人間だ。
やがて番を迎える自分に縛り付けるなど、あってはならない。
(そろそろ王城でもパーティーを催すか……)
シメオンは再び目前の書類に集中した。
アナベルは毎晩シメオンのしっぽをブラッシングする。
シメオンも気持ちが良いので咎めようとは思わなかった。
ヘアオイルの香りも好ましい。
「お耳にも塗りましょうか?」
アナベルが思い付いたように言って、シメオンの頭上に手を伸ばした。薄い夜着に包まれた胸が目の前に迫り、シメオンは唾を飲む。
広めに開いた胸元から、昼間見た白い胸の谷間が見えていた。
その柔らかそうでいい匂いのする身体に触れたい。欲望が突如、湧き起こる。
昼間は感じなかったのに。
シメオンは目を瞑り息を止めて、その本能を抑え込む。
しばらくすると、それは綺麗さっぱりなくなっていた。
(やはり気のせいだ。人間に欲情することなどあり得ないのだから)
グルーミングを終えたアナベルはベッドに入り布団を胸までかけると、笑顔でお休みなさいと言って目を閉じた。
当初は他人と同じ部屋で寝ることに抵抗があったが、今は当然のように彼女の存在を受け入れている。静かな寝息も心地好く思えた。
番が見つかれば、アナベルと二人で過ごすこの穏やかな夜は終わる。
それに一抹の寂しさを感じるシメオンだった。
ある日のこと。
廊下を歩いていたシメオンは、こそこそと顔を寄せ合って話すフォルクスとアナベルの姿を目撃した。
彼女が側近達と親しくしているのは好ましいが、距離が近すぎる。胸がモヤッとした。
「おい」
気付くと、不機嫌な声で呼び掛けていた。
二人はハッとしたように顔を上げる。
「なんの相談だ?」
そう訊ねると、フォルクスは取り繕うような笑みを浮かべた。
「もうすぐ娘の誕生日なので、姫様に贈り物の相談に乗ってもらっていました」
アナベルも頷く。
「……それはよいが、適度な距離を心掛けろ。お前は既婚者だし、アナベルは俺の側室なのだから」
フォルクスが頭を下げた。アナベルは気まずそうに俯く。頬に長い睫の影ができている。
その場を立ち去りながら、シメオンは後悔した。
まったくもって自分らしくない振る舞いだ。
窓の外から城下町を見下ろす。
(明日の夜にでもチャドを誘って飲みに出掛けようか、そこでよさそうな女を見つけたら……)
きっと、長く女性を抱いていないせいで、おかしなことを考えてしまうのだ。
シメオンは頭を掻いた。
* * *
アナベルはシメオンの後ろ姿を見送りながら、フォルクスに訊ねた。
「もしかしてシメオン様、怒ってた?」
フォルクスは少し考え込む。
「そうですね、王にしては珍しい、きつい口調でした。……まあ、さほど気にされなくても大丈夫です。しつこい方ではありませんから。ところで話の続きですが、原因は執務室にあると?」
「そうなの。六人の共通点がそれしか考えられないのよ。ここ数年の間で、何か思い当たることはある?」
その問いに、彼は頷く。
「関係があるか分かりませんが、二年ほど前に改装しています。隣の部屋と繋げて広くしたんです。その際に、王の希望で壁を全面塗り替えました」
数日後。
公務が忙しいフォルクスの代理として、アナベルに付き合ってくれたのはドルマンだった。鋭い美貌を備えた彼は、少々表情に乏しい青年だ。肩で切り揃えられたストレートの黒髪、その頭上には黒い立耳。凛と立つ様は近寄り難くも感じる。
しかし、よくよく話してみると口数が少ないだけで穏やかな親しみやすい性格であると分かった。
彼と和気あいあいと語り合いながら、アナベルは執務室の改装をした業者を訪ねる。
それから左官職人の家へ向かい、最後に、目的だった土壁の資材屋までたどり着く。
「王様はオレンジ色をご希望だったので、赤味を出すのに苦労しました。赤い染料は通常あまり使わないものですから。色々試行錯誤してたどり着いたのが、これです」
資材屋の長い垂れ耳の男が指差したのは、作業小屋の横にある林だ。
どうやら、そこに何本も生えている、細く赤い幹の樹木を指しているらしい。
「ボラカルっていうんですけどね、染料屋から教えてもらったんです。偶然、私の家の側にも生えておりましたので、これの皮から汁を絞り出して土に混ぜてみたんです。そしたらいい色が出ましてね」
アナベルは資材屋に剥がしたボラカルの皮を譲ってもらった。
「そんなもの、どうするんですか?」
ドルマンが不思議そうに問いかける。
「うーん……ねえ、この辺で一番植物に詳しいのは誰かしら?」
「薬屋のメルバ婆ですね」
彼は即答した。
「国一番の薬師で生き字引ですよ」
そしてアナベルは、フォルクス行き付けの薬屋へ幾日ぶりかに行くことにした。
ドルマンがメルバ婆に紹介してくれる。
「婆さん、この人が王の側室になったアナベル姫だよ」
メルバ婆は目深に被ったローブの下から覗く小さな赤い目で、アナベルを値踏みするように見た。
「ほう、なかなかの別嬪さんじゃないか」
「ありがとうございます」
「お綺麗なだけじゃないぞ、趣味は狩りで、弓矢を華麗に扱うらしい。獲物を捌くのもお手のものなんだ」
ドルマンが、ねえ、とアナベルに視線を向ける。アナベルは少々はにかみながら頷く。
「母が狩猟の民だったので」
「へえ、なんていう部族だい?」
答えると、メルバ婆は目をしばたたいた。
「なるほどねぇ……そういうわけかい」
メルバ婆の不可解な呟きに、ドルマンとアナベルは顔を見合わせる。
「で、この婆になんの用だい?」
小柄だが威圧感のある老人の問いに、アナベルは慌てて資材屋から貰った木の皮を取り出す。
「ボラカルっていう木で、赤色の染料として使用したらしいのですが、間違いないですか?」
メルバ婆は受け取り、それを至近距離で舐めるように見た。
「確かに似ているけどねぇ……これはボラカルじゃないね。ソラン草だ」
ドルマンが首を傾げる。
「いや、婆さん、草には見えなかったぞ」
「かなり大きく育つからね。だけど二、三年で枯れちまうんだ。よく似てるからねぇ、素人は間違えてもしょうがない」
アナベルは急いで訊ねる。
「ソラン草には薬効はあるのですか?」
メルバ婆は頷いた。
「ああ、あるよ。うちの店にも煎じたものがある。あんまり売れないけどね」
* * *
「あ、姫様だ」
執務室の窓から外を見下ろしていたレッサードが声を上げた。金色の丸い耳がぴくぴくと動いている。柔らかいブルネットの癖毛に青色の大きな瞳、童顔で小柄な彼は、側近達の中でもムードメーカー的な存在だ。可愛い見かけのわりに毒舌で、しばしば知らずに人を傷つける。
そして、その隣にいたレッサードより二回りほど大きな獣人も、ひょいと下を覗き込んだ。
「今日はドルマンと一緒か」
間延びした声で話す彼は、初日にアナベルを肩に担いだベアルだ。短く刈り込んだ髪から小さな茶色の耳がひょこっと生えている。精悍な顔つきながら性格はマイペース、怪力が自慢の癒し系だ。
「いいなぁ、僕も姫様とお出掛けしたいです」
「俺は一緒に狩りをしてみてえな、どれほどの腕前なんだろ」
「大人気だな」
シメオンが口を挟んだ。
「もし、番がこのまま見付からなかったら……姫様を下賜してほしいなぁ……」
窓に貼り付いたレッサードがポツリと漏らした言葉に、シメオンはぎょっとしてその背中を見る。
「じゃあ、俺も。姫さんと一緒になったら楽しそうだよなぁ」
ベアルも加わった。
「真似しないでよ。ベアルは駄目だよ、お前みたいな巨漢は姫様が可哀想じゃないか、体格差は夜の生活の深刻な…………」
「お前らいい加減にしろ!」
シメオンは側近達を叱りつけた。
「もう、こうなったら一刻も早く見合いパーティーを開催する。レッサード、お前が段取りしろ」
「はい!」
レッサードが背筋を伸ばす。シメオンは息を吐いて、隣に立つチャドにこそっと話し掛けた。
「今夜一杯付き合え」
シメオンと同じ年齢のチャドは無造作に整えた赤毛に、もふもふの茶色い耳を持つ獣人だ。面倒見のいい性格で、細やかな気配りもでき、モテる。一時期はシメオンも凌ぐほどの人気を博した色男だ。女を目的に据えた飲みに誘うには、最適の相手なのである。
チャドは主の意を汲んだとばかりに、ニヤリと笑って頷いた。
「――実際のところどうなの? レッサードが言うように、番が見つからなかったら姫さんを王妃にするってのは王的にあり?」
バーのカウンターで、チャドはシメオンに訊ねた。
「あり得ない。アナベルは人間だぞ」
「試してみねぇと分からねぇぞ」
シメオンはチャドを横目で睨む。
「アナベルは保護対象だ。幸せになるために尽力してやりたいが……パートナーとしては無理だ」
チャドはフッと笑うと、面倒臭そうに言った。
「まあ、古参どもが認めねぇよな。何より血の継続を重んじるのが獣人だからなぁ。王家の血筋に人間の血は入れたがらねぇだろう」
シメオンはグラスをグッと握る。
「じゃあ下賜すんの? 俺でもいいぜ」
グイッと酒を飲み干すと、グラスを音を立てて置いた。
「なんなんだ、揃いも揃ってお前らは。俺は……アナベルの希望に沿うつもりだ。無理に未来を押し付けるつもりはない!」
チャドはシメオンを見て、ふうん、と呟く。
その時、背後から艶やかな声が掛かった。
「あら、シメオン様、チャド様もお久しぶり」
チャドとシメオンを挟むように両脇に見知った美女が座る。
二人とも金髪巻き毛にダイナマイトボディ、スパイシーな香り。
「ああ、相変わらずいい女だな」
女達は流し目を送ると、白い耳と白い尾を優雅に動かした。
シメオンは寝室のドアをそっと閉めた。
アナベルは既に寝ているようだ。足音を忍ばせてベッドに近付き、覗き込む。
長い睫を伏せ、唇を緩く閉じ、健やかな寝息を立てる愛らしい寝顔だ。
シメオンは暫し見入った。
彼女にブラッシングをしてもらいたくてしっぽが疼く。彼はしっぽを自ら撫でた。
結局、女とは飲むだけで別れた。
その気になれなかったのだ。それはチャドも同じだった。
女の刺激的な香りより、アナベルが塗ってくれるオイルの優しい匂いを嗅ぎたい。
しなだれ掛かる柔らかい身体より、しっぽを撫でる繊細な手が恋しかった。
シメオンはアナベルの頬に手を伸ばす。
しかし、触れる直前で手を引いた。
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