家事力底辺の私を捨てた元カレが復縁を迫ってきましたが、年下スパダリ彼氏に溺愛されてるのでもう手遅れです

久留茶

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【5】懐いた理由

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 それから叶多は度々灯里のアパートに顔を出すようになった。

 疲れた彼女を労うように、さりげなく部屋を片付け、料理を作る。

 灯里は申し訳ないと思いつつも、彼の好意に甘えた。

 しかし、肝心なことを灯里は口に出せないでいた。

 ――どうして、彼はこんなにも自分に尽くしてくれるのか。

 叶多が来る度に聞こうと思うが、宏哉から受けた失恋の傷が未だに灯里を蝕み、新しい恋愛に進もうとする気持ちの妨げとなっていた。

 元来、人に奉仕する気持ちの強い叶多が、失恋して元気のない灯里を放って置けないからなのか。
 単純に家事が好きで、だらしない灯里に世話好きの血が騒ぐのか。
 それとも、純粋に灯里に好意を寄せているからなのか。

 一番最後の答えであって欲しいが、それ以外の理由だとしたら、立ち直れない。

 灯里はシャワーを浴びながら一人悶々と考えを巡らせていた。

「――うん! いつまでも叶多君に甘えている訳にもいかないし、この際、はっきりさせよう! 」

 灯里は心に決めると、キュッとシャワーの蛇口を強く締めた。

「砂原さん、ご飯の準備が出来ましたよ」

 灯里がシャワーを終えて出てくると同時に、待ってましたと、言わんばかりに叶多が声を掛ける。

 今日もダイニングテーブルには盛り沢山の料理が並べられていた。

「わぁ、美味しそう! 」

 ぐぅ、と反射的に灯里のお腹が鳴る。

(はっ、違う違う! まずは彼の気持ちを聞かないと)

 灯里はご飯に釣られそうな思考をかき消すように、頭をぶんぶんと振った。

「あ、砂原さん。髪の毛まだ濡れてるじゃないですか」

 灯里の髪から飛び散る水滴を見て、叶多が灯里の元へと近付いた。

「夏の暑さも落ち着いてきて、夜は冷えます。このままだと風邪引いちゃいますよ」

 灯里が無造作に乗せていたタオルを手にすると、叶多が優しく灯里の濡れた髪の毛をタオルドライするように、ポンポンと拭き取っていく。
 その行動に、灯里の心臓がきゅうと甘く締め付けられる。

(これで、まだ付き合っていないってどういうこと? )

 灯里は困ったように上目遣いで、じっと叶多を見つめた。

 灯里の視線に気付き、叶多がハッとしたように手を止める。

「あ、す、すみません。図々しかったですか!? 」
「う、ううん! 全然! 」

 自分の行動に照れる叶多に釣られて、灯里も顔を真っ赤に染める。

「ご、ご飯! ご飯食べようか! 」
「は、はい! 」

 結局灯里は叶多に何も聞けないまま、もう何度目かになる彼の手料理を堪能するのだった。


 ◇


「もう何も食べられない……」

 食後。
 幸福に、心もお腹も満たされた灯里は、ソファーに身体を預けながら、チラリと台所に視線を向けた。
 台所では、空になった食器を満足そうに洗う叶多の姿が見えた。

 灯里は大きめのクッションを腕に抱き、顔を隠すようにして、こっそりと叶多を観察した。

 灯里のアパートで家事をこなす叶多は、とても生き生きとしていた。
 病院でも一生懸命働いている姿は目にするが、普段は眼鏡とマスクで素顔を隠し、あまり職員とは余計な話をしない彼の姿を思い浮かべる。

(どうしてこんなに、私に懐いたのだろう……)

「ねえ、叶多君。聞いてもいい? 」
「はい、なんでしょうか? 」

 灯里の声掛けに、叶多は水道の蛇口を締めると洗い物の手を止めた。

「叶多君は、どうして私にだけそんなに素顔を見せてくれるの? 」

 はっきりと恋愛に直結する内容は聞けないものの、灯里は疑問を口にした。

「え? あっ、そ、それはですね……」

 突然ストレートな質問を投げ掛ける灯里に、叶多は狼狽えながらも、汚れた手を拭き、ソファーに座る灯里の側までやって来ると、灯里の目の前にストンと正座の姿勢で腰を下ろした。

 灯里を見上げる形で、叶多は真正面から視線を合わせた。

「俺がまだ介護経験も浅い頃、302号室の鈴木さんが、皆が帰り始める17時半前に熱を出したの覚えていますか? 」
「え?  そんなこと、あったっけ? 」
「今から1年ほど前の話なので覚えてないとは思いますけど、夜勤の看護さんは夜勤業務が始まってて忙しそうで、声を掛けるのを躊躇っている俺に、砂原さんが声を掛けてくれたんです」


 ◆◆◆


「どうしたの? 」
「あ、302号室の鈴木さんを起こしに行こうとしたら、なんだか身体が熱いみたいで……」
「熱は計った? 」
「あ、はい。 38度2分あります」
「風邪症状は? 」
「ありません。あ、でも夕方のオムツ交換に入った時に少し、パッドに出ていた尿が濁っていました。尿臭もありました」
「それ、今日の部屋担当の看護さんに伝えた? 」
「あ、はい。伝えたんですけど、特になにも言われませんでした……すみません。俺がもっとちゃんと伝えられてれば良かったのかもしれません……」

 しゅんと項垂れる叶多の肩をポンと灯里が優しく叩いた。

「そんなことないよ。入職して、まだ現場経験も浅いのに、よくそこまで観察して報告出来たね。すごいよ、宇佐美君。あとは私に任せて、宇佐美君はもう定時だから上がっていいよ」
「え、いや、俺も何か手伝えることあれば残ります」
「ううん、大丈夫。多分症状からして、尿路感染だと思うし、先生に報告して、点滴の指示もらうことになると思うから、あとは看護の仕事。鈴木さんね、前も似たような症状出たことあるんだ。だから多分間違いないかな」

「やっぱりすごいね」と、灯里が叶多に賛辞の笑顔を向けた。

 新人介護の言葉を疑うことも、面倒臭がることもなく、素直に受け取ってくれた看護師は灯里が初めてだった。
 その時から、叶多の中で灯里は“特別”で、最も尊敬する看護師となったのだった。


 ◇


「――と言うわけで、俺にとって砂原さんは尊敬する看護師さんであり、ちゃんと新人の訴えも真摯に受け止めてくれる、憧れの先輩なんです」
「あはは、なんだか恥ずかしいなぁ……。そんなの、看護として当たり前のことなのに」
「その当たり前が出来る人が、その時は砂原さんしかいなかったんです。みんな帰る前だったし、要領の悪い新人介護の訴えなんて、まともに取り合ってくれなかった」

 思い出したように、叶多は悔しそうに膝の前に置いた拳をギュッと握り締めた。

「その時から……俺は、もし砂原さんに何か困ったことがあったら絶対に、あの時の恩返しではないけど、助けたいって強く思ったんです」
「うん、そっか。はは……」

 叶多が強い決意を込めた瞳で灯里を見上げる。
 灯里は叶多の真意が分かって、ホッとすると同時に、気持ちが沈んでいた。

(なぁんだ、やっぱり、恋愛感情じゃなかったか……)

『恩返しをしたいから』『尊敬する先輩だから』とはっきりと叶多の気持ちを聞いた灯里は、既に動き始めていた自分の気持ちにストップをかけた。

「……もう、十分恩返しされたよ?」

 そう言って、灯里がこの関係を終わらせようと口を開いたその時――。

 ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。

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